▲ポルノって。
じゃ、誰がポルノとか判断するのか?
どれがポルノで、どれがポルノじゃないのさ。
裸がのっていりゃ、みなポルノなのか?
判断基準はなになのさ。
この問題、たしかアメリカでも裁判所が判断していた記憶があるなぁ。
ちょいと古い判断なのだが、検索して要点だけを転記しよう。
--ここから--
2002年04月17日
ワシントン発――米連邦最高裁判所が16日(米国時間)、バーチャルな児童ポルノを禁止した米連邦議会の決定を取り消す判決を下した。
子どもがセックスをするように見えるだけのポルノ画像等は、合衆国憲法修正第1条[言論の自由]で保護されることになる。
9人の裁判官のうち賛成6人、反対3人で下された今回の判決は、ポルノ業界だけでなく、映画製作者など法を遵守するアーティストたちの勝利でもある。
子どものセックスのシミュレーションまで幅広く禁止されると、最近の映画『トラフィック』や『ロリータ』に出てくるようなセックスシーンまでが犯罪とみなされるおそれがあると、アーティストらは主張していた。
--ここまで--
日本でも昭和30年代末頃の永井豪の作品に対するバッシングに似ている。
なんせ、「けっこう仮面」なんて、顔だけ隠して他を隠さない—という丸裸の女性のでてくるマンガだった。
で。
なにか起こったのか?
別になにも起こらなかった。
なんというかな。
こういうものは一時的な刺激なのだ。
そして、その刺激に対して、感覚が疲れてしまうのだ。
慣れといれば、慣れ。鈍麻するといえば鈍麻。
また、裸がでてくればポルノだと規制すれば、例えば上でふれた「けっこう仮面」もポルノなのか、
日本の江戸時代の「春画」もポルノなのか-となってしまう。
日本という国は、その境目がボンヤリしたものが多いのだ。
だから、規制ということができないのだ。
英国には、日本の春画に相当するものもあるまい。
伝統がないというか、文化として厚み・深みがない—というか。
どうぞ、ご勝手に—と日本人からすれば言うしかないな。
以下、新聞から抜粋。
2015年1月6日、BBCは「日本はなぜ児童ポルノ漫画を禁止しないのか?」と記事を掲載。
この報道に、海外のネットユーザーがコメントを寄せている。
BBCは同人誌即売会を取材し、ローティーンやそれより幼い少女たちの性行為が描かれた作品が描かれた
作品が並んでいることなどを紹介。
イベント主催者が「児童虐待がいけないことは誰もが分かっているが、
想像して楽しむことは禁じられていない」と語ったことなどを伝えている。
また、「ジュニア・アイドルもの」と呼ばれるジャンルのDVDの人気についても紹介。
東京オリンピックが近づくにつれ、こういったものに対する圧力が強まるのではないかと述べている。
この報道に、海外のネットユーザーがコメントを寄せている。
「気持ち悪くて恥ずかしい、憂慮すべき日本の一面
だね」
「まったく理解に苦しむ」
「日本には私たちとは違った文化があり、違った基準があるんだろう。だが、禁止されているんだろう?」
「オリンピック開催までに、イルカを殺すことや児童ポルノなどについて、日本は変わるべきだ」
「本当の話なのか?」
「これは本当に問題だと思う」
「この報道はは日本の一面、それも最も愚かな一面を取り上げている」
「漫画で描かれている大きなくりくりした目のヒロインや
“ジュニア・アイドル”の性的関係なんて、本当の関係じゃない」
▲補足、感想など
冒頭でふれた。
筆者もすべて可だと思っているわけではない。
でも。
そこにあるのは、英国と日本との間にある伝統とか文化の深み・厚みの「差」だとしか言いようがあるまい。
ちょいと敷衍すれば。
数年前の橋下大阪市長と沖縄米軍の長との「風俗」議論に通じているものと思える。
また、日本の従軍慰安婦騒動に繋がる議論でもある。
国それぞれに、歴史があり、その積み重ねた歴史から伝統とか文化が形成されてきたのだ。
特に日本という国は、二千年近い歴史があって、異民族から征服されたということがないために、価値観というものが逆転・混乱したことがないのだ。
そのあたり、英国と日本との間に、歴史を背景にした視点の違い、価値観に違いがあって当然ではないか。
自国の価値観だけで、他国を批判しまい。