2016年12月31日土曜日

日本人の名誉は、自分の手で守れ

いや、北海道・札幌で「慰安婦は売春婦だった」という展示会があるという記事があった。

 核心は、「日本人の名誉は、自分自身の手で守れ」ということだ。
 だれかがやってくれるだろう—なんて、とんでもない間違いだ。

 自分の手で、自分達・日本人の名誉を守ろう。
 また、これを攻撃してくる「日本人のふり・顔をした」evenki族工作員達に対抗していこう。

 それなくして、a級戦犯がどうたら—といつまでも韓国・中国から攻撃されてしまう。

 以下、新聞から抜粋。

 「日本人の名誉を守る」

 戦時中の従軍慰安婦問題について「捏造された歴史だ」と主張し、日本の加害責任を否定するパネル展が、札幌市の公共施設で開かれている。
 現代の韓国人女性の売春に触れたパネルもあり、市民団体などは「人権侵害で民族差別だ」と憤る。ただ、市は憲法21条が保障する表現の自由を守る立場から利用を認めている。

 「(慰安婦が)『日本軍に性奴隷にされた』話は全くの嘘)」。
 今月、札幌市豊平区の豊平区民センターで開かれた「歴史写真展 史実に見る慰安婦」。
 独自の歴史観を示す36枚のパネルが並んだ。

 パネルは慰安婦について、当時法的に容認された公娼制度と「おおむね同じ」と主張。
 旧日本軍が侵攻したビルマで慰安婦だった朝鮮半島出身の故文玉珠さんを取り上げ、文さんが約26千円を蓄えていたとして「慰安婦の所得は大将を上回る高額」と説明。
 文さんの回想録から、兵士の1人に恋をしていたことも抜粋した。

 さらに現代の韓国人女性について「10万人以上が世界中で売春を行っている」と記述した。
 ただ、その根拠や慰安婦の歴史を問うこととの関係性を示す説明は見当たらない。
 主催した実行委員会の1人で札幌在住の男性は「日本人の名誉を守りたい」と話す。

 パネル展は若い世代を含む数十人で準備をすることもあるといい、2014年からこれまでに札幌エルプラザや区民センター、旭川、岩見沢両市などで開催。
 今月のパネル展は保守系団体・日本会議の北海道本部が後援し、実行委にも会員が入っている。

 豊平区民センターで開かれたパネル展。
 「河野談話」を発表した河野洋平元官房長官への非難や、元慰安婦の証言が「二転三転している」との主張を記すパネルも掲げられた=4日、札幌市豊平区

 「歴史を歪曲、捏造している」
 ただ日本政府は、1993年当時の河野洋平官房長官談話で慰安婦が旧日本軍の関与の下で「心身にわたり癒やしがたい傷を負われた」と認めている。
 慰安所では、兵士らに利用料が課されていたとの史料も残るが、日銀の調査では、文さんがいたビルマは超インフレで貨幣価値が暴落していた。
 文さんの回想も憲兵らに連行され慰安婦になり、連日多くの兵士の相手をさせられて涙したり、暴力を受け骨折したりとつらい経験が大半だ。

 歴史の継承に取り組む市民団体はパネル展に警戒感を強める。
 在日朝鮮人2世で「日本軍『慰安婦』問題の解決をめざす北海道の会」の金時江共同代表は「展示は歴史を歪曲、捏造し、元慰安婦の尊厳を再び傷つけ、特定の民族をおとしめる内容。許せない」と憤る。

 札幌市には展示への抗議や、施設を使わせないよう求める意見が約30件寄せられている。
 これに対し、秋元市長は定例市議会で、関連質問に「パネル展は主催団体の歴史認識を表明したもので、ただちに利用を不承認とすることにはならない」と答弁。
 表現の自由の下で、施設の利用制限は抑制的にすべきだとの判例を踏まえた。

補足、感想など

 慰安婦問題の解決をめざす会からの「抗議」ねぇ。

 一昔前なら、在日朝鮮人の集団が押しかける、展示会場の玄関に糞尿が大量にばらまかれる、計画した当事者の自宅に朝鮮ヤクザが大勢で押しかける、玄関ドアにツルハシが打ち込まれる、担当者の子供が誘拐されて脅される—ということだったのだろうな。

 こんな風にして、日本の「戦後レジーム」というものが、日本人大衆の目から隠されて継続してきたのだ。
 こういう風にして、今の朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、その他地方紙の現在があるのだ。

 そして、それを日本社会党とか、自民党などに潜り込んでいる二階さんとか河村さん等のevenki族国会議員達が、陰になって支援していたということか。
 いまでも、日韓友好議員とか、日中友好議員なんてものは、そんなことをし続けているということだろうな。

 逆に言えば。
 上の記事は、日本の「戦後レジームの崩壊」というものが、やっと顕在化した---という一つの現象なのだ。
 日本人の誰の目にも、「戦後レジームの崩壊」というものを理解し、「もの言えるタイミング」が来たということを意味しているのだろう。

 戦後70年という長い長い時間を経て、やっとここまできた----
 ありがたいと思うし、ある意味、感慨を抱く。