2017年9月19日火曜日

殺されても戻らないとロヒンギャ。でも、迫害っておかしくないか

どこへいっても邪魔者扱いされる。
 それを迫害と言ってしまえば、もう、イスラム国のように「暴れる」だけになってしまう。

 ユダヤ人、ジプシーも同じだ。
 世界のどこにいっても、融和しようとしない、他者に寛容とはならない。
 言わば、「郷にいっても、オレ様のやり方を郷のものが受け入れろ」とのみ言う民族が、土着して周辺の民族と争うなんて当たり前ではないか。

 その非寛容さ、非融和性というものが、自分の住む場所を狭くしているのだ。
 そして、世間を狭くなっていくことが、他者がオレ達を受け入れないのだ—と他者に恨みをぶっつける。
 結果として、更に、自分の生きる場所を狭くしていくのだ。

 上でふれた。
 郷に入れば、郷に従え—というのは、人類の長い歴史の中で生み出された「智慧」だ。
 その智慧を活用せよ。
 そういう智慧を軽視するな。そういう智慧をバカにするな。

 以下、新聞から抜粋。

 ミャンマーでイスラム教徒の少数民族・ロヒンギャへの迫害が指摘され、深刻になっている。
 こうした中、NNNは隣国バングラデシュに避難してきた人々の過酷な状況を取材した。
 ロヒンギャはミャンマー西部に住む少数民族だが、ミャンマー政府は国民と認めず、治安部隊などが家を焼き払うなど迫害していると指摘されている。

 国連は、40万人を超えるロヒンギャが隣国バングラデシュに逃げ難民になっていると発表、大勢のロヒンギャが流入していた。
 ロヒンギャの男性「昼に出ると軍に撃たれるので、夜に(国境を)越えました」
 バングラデシュ側の主要な難民キャンプでは収容しきれなくなり、大勢の人々が劣悪な環境で暮らしている。

 ロヒンギャの女性
 「(食べものなど)何もありません。ほんの少しの食料以外、お金も何ももらっていません。首を斬られても殺されても、ミャンマーには戻りません」

 具体的な対策を示していないとして批判が高まるミャンマーのトップ、アウン・サン・スー・チー国家最高顧問は、今週、初めて演説でロヒンギャについて説明するとみられる。

補足、感想など

 スーチーさんが、どう言おうと、状況は変化しまい。
 ロヒンギャの人達は、世界のどこに行っても、邪魔者扱いされるだろうな。
 上でもふれた。
 「郷に入っても、郷のものがオレ様のやり方に従え」とのみ言い続ける人間達を、どこの国が受け入れるというのだ。

 まず、「郷に入れば、郷に従え」。それしか、生き延びる・受け入れてもらえる道はない。
 ミャンマーに居続けようと思うなら、仏教徒になればいい。
 周辺のミャンマー人と同じようにすればいいことだ。

 このあたり、日本人とはまったく異なる。
 日本人は、外国へ行っても、日本人街というものを作らない。周囲の中に溶けてしまう。
 ちょいと、南米での日本人の溶け込みかたをみようか。

 --ここから--

・ペルーは日本人の子孫多いぞ〜
 ペルーには日系の大統領まで居たことある
・ご先祖が日本人の人にはいままでたくさん出会った
 名字がれっきとした日本の名前の方も多かったペルーには日本食レストランも多いのよね
・スペイン語の先生がペルー出身で日系だったな
 日本語もペラッペラの方でした

・ペルー人のお母さん、日本人のお父さんでメキシコ生まれの人なら知ってる

・北京に官話習いに留学してた時はそりゃあもう大勢の日本人駐在員と日本人留学生を見かけたもんだ

・台湾には大勢の日本の人が住んでそうなもんだねえ

・おれの周りに台湾系アメリカ人がたくさんいたけどおじいさんか曾祖父さんが日本人って言ってるの多かったよ

・日本の台湾占領末期では「名前を日本風にしませんか?」的キャンペーンもあったから
 日本の血は入ってないんだけど日本のご先祖様がいるみたいに思ってる台湾人もそこそこいるかも

・ボリビアに住む日本人の子孫の多さはなかなか
 オキナワという街にたくさん住んでらっしゃる

 リベラルタとラパスといったボリビアの限られた地域では、日本人による商業が栄えた。
 1930年代には、多くの日本人が居住者として留まり、母国から妻を迎えたり、多くは現地の女性と結婚したりした。
 第二次世界大戦が始まると、29人の日系ボリビア人のみがアメリカ合衆国に送還された。
 しかし、それ以上に地方政府が反日法を制定しなかったため、戦争は日系ボリビア人の居住者に影響を与えなかった。
 戦後、政府は日本人難民を暖かく迎え入れた。
 日本政府からの金融援助を得てコロニア・オキナワとサン・フアン・デ・ヤパカニが建設された。

 二つの移住地は異なったコミュニティとして、一つは沖縄県の、他方は本土の、アイデンティティを持ち、現在もまたボリビア生まれの世代から変遷を経ている。現在、約14000人の日系人の他、日本国籍の日本人2,719人が住む。

・ビックリする人多いけど
 日本人の子孫が日本の次に多いのはブラジル

・ブラジルペルーに日系の方々が多く住んでることを知ってるアメリカ人は一割も居るかどうか

・ブラジル「日本人の子孫は300万人くらい住んでるぞ」
・日本に仕事行ってお金貯めてこっち戻ってきて商売始める、みたいのは多い

・サンパウロの俺の高校なんてクラスの3分の1が日本人だし。36人中11人

・ブラジルに住む日本人はどれくらい日本文化を保ってるかんじ?
 日本人街とかあり?

・↑ 人によるとしか
 日本っぽい生活してる人もいれば完全ブラジル人なっちゃってる人もw

・テーブルRPG仲間で日系の友達が何人もいた
 うちの地方の日系の人たちはわりと固まって住んでるんだけど生活スタイルはほぼブラジル人ですね。

 --ここまで--

 日本人は、郷に入れば郷に従え—という「智慧」をもって暮らしているということが理解できよう。
 自分達の生きる環境というものは、「自分達の言動」から、広くなったり、狭くなったりしているのだ。

 ロヒンギャの人達が、どう暮らしていけるかは、ロヒンギャの人達の「言動」の結果に過ぎない。