▲まぁ、表題の意味はよく分かる。
ロヒンギャの人達は、ミャンマー人には、面倒臭い、扱いづらい「よそ者」なのだ。
融合しようともしない、非寛容な、「郷に入っても郷のものがオレ様のやりかたに従え--というオレ様主義」を振り回す面倒な人達ということだ。
だから。
ロヒンギャの人達の生きる道は、2つしかないのだ。
1つは、仏教徒になって、周囲のミャンマーの人達の「やり方」で暮らしていく—という道。
2つめは、ムスリム特有の「オレ様主義」が通用する国へ行って、そこで暮らす—という道。
現在、ムスリムのオレ様主義が、まるで第2の黒死病のようにヨーロッパ諸国を覆っている。
ロヒンギャの人達も、ヨーロッパ諸国の中に存在するムスリム占拠地区なら、暮らしていけるかもしれないぞ。
ロンドンとかスウェーデンにはありそうだが---
以下、新聞から抜粋。
ミャンマーのイスラム教徒ロヒンギャ約40万人が難民になっている問題で、アウンサンスーチー国家顧問への国際的な批判が高まる中、国内では支持が高まる。
多くの人がスーチー氏の写真を載せて応援。「スーチー氏への批判は的外れだ」と主張。
治安部隊による掃討作戦で難民が増え、国際人権団体などは「民族浄化だ」とミャンマー政府への批判を強めている。
それに対し、スーチー氏の写真とともに「私たちはあなたとともにいる」というメッセージを、自分のFBのプロフィル写真に添える人が増えている。
メッセージをデザインしたミャンマー人男性(29)は「国民として、糾弾されている彼女を支えたかった」と話す。現在約27万人が使い、数は増え続けているという。
国内では掃討作戦を「襲撃事件を起こしたテロリストへの攻撃」とする意見が目立つ。
人口の9割近くを占める仏教徒を始め、ヒンドゥー教徒やロヒンギャ以外のイスラム教団体からも「政府の姿勢を支持する」との声が上がっている。
イスラム教組織の幹部は「ロヒンギャは多くの国民にとって『よそ者』。襲撃事件でさらに反感が高まっている」と話した。
また、bbcの記事から。
ミャンマーの実質的指導者アウンサンスーチー氏は初めて、ラカイン州の武力衝突と難民危機について公の場で言及。
BBCの記者は、ミャンマーとバングラデシュの国境の両側からロヒンギャ問題の取材を続けている。記者がスーチー氏の主張がどこまで本当かを点検した。
○ スーチー氏「今月5日以降は武力衝突や強制排除作戦は行われていない」
今月、私は政府主催のマスコミ視察ツアーに参加。その際、遠くから自動小銃の音が聞こえ、4本の太い煙が立ち昇っていたのを目撃。複数の村が焼かれていたとうかがわれる。
その後、ロヒンギャのガウドゥタールヤ村が、複数の武装警官の目の前でラカイン族の仏教徒によって焼かれた。村の近くには警察署がある。
バングラデシュからは、ナフ川の向こう岸で複数の煙が立ち昇っているのが見えた。
煙の規模からして、村が焼かれていたとしてもおかしくない。
アウンサンスーチー氏は、これを「強制排除」作戦とは呼ばないのかもしれない。
しかし、この川岸付近の地域でミャンマー軍と警察が非常に多く見られることから、少なくとも当局の暗黙の了解がなかったとは考えにくい。
○ アウンサンスーチー氏「宗教、人種、政治的立場を問わず、この国の法に背き、国際社会が認める人権を侵害するすべての人物に、対処する」
ミャンマー軍は70年以上にわたり人権侵害を重ねてきたが、ラカイン州だけでなく、国内で武力衝突が続く多数の地域で、軍人が処分を受けたという記録はほとんどない。
それが今になって処分されるようになるとは考えにくい。
ミャンマー軍は、約40万人のロヒンギャが避難したのは、武装勢力「アラカン・ロヒンギャ救世軍」(ARSA)の襲撃に関与したからだと主張。
取材した大佐は、多くのロヒンギャ難民がレイプされたという訴えについて、事実であるはずがないと私に話した。
自分の部下は強姦などするには戦闘で手一杯だし、ロヒンギャの女性はそれには魅力がなさすぎるからと。
○スーチー氏「ラカイン州に住むすべての人は、分け隔てなく教育と医療を受ける機会がある」
これはまったく事実と異なる。
ロヒンギャは長年にわたり、差別され、様々な制約を受けてきた。
当局の許可がなければ移動できず、結婚すらできない。許可を得るためには往々にして、賄賂を支払う必要がある。
ラカイン州で2012年に起きた暴力沙汰を機に、ロヒンギャへの規制は強化された。
ミャンマー国内の難民キャンプにいる多くのロヒンギャは、特別な許可がない限りそこから離れられず、その地域に縛られている。そして特別許可はなかなか得られない。
そのキャンプにいて、5年間も教育を受けられない生徒たちを私は知っている。
私は4年前、ラカイン州ラテダウン南部にある、ロヒンギャのアーナウピーン村を訪れた。
そこでは周辺のラカイン族仏教徒たちはロヒンギャを非常に敵視しており、ロヒンギャはたとえ病気やけがの治療が目的でも村を出られなかった。
今月、私はガウドゥタールヤ村から来たアブドルマジドさんに話を聞いた。
私自身、その村が焼かれるのをこの目で目撃した。
アブドルマジドさんは私に、「5年前から、仕事のためでも村の外に出らなかった」と話した。
▲補足、感想など
ミャンマー人から嫌がられるよそ者ということか。
歴史的な経緯もあり、頻繁に暴動を起こす、この厄介者を、ミャンマー政府は追い出したかったということだろう。
厄介者扱いされるから、更に暴力的になり、ますます、いる世界が狭くなるという悪循環ということだな。
解決策は、冒頭でふれた通りだ。
郷に入って郷に従うか。郷に入っても、オレ様主義を貫くかだ。
オレ様主義が、自分の居場所をなくしていることに気が付けよ。
オレ様主義に、未来などないことに気が付けよ。
メキシコでの日本人の溶け込み方の記事があった。ご紹介したい。
--ここから--
メキシコには日系人今でも多いよ
うちの親族夫婦があっちで10年ほど仕事で行ってたので、その辺の話はいろいろ聞いてる
ただ、日系人でまとまってコミュニティ作って一か所に固まって生活する、ということをほとんどしていないうえ、日系人同士で結婚することにもあんまりこだわりがないので、名前とか苗字は日系だけど顔だけみたらコテコテのラテンアメリカ人、というのが多いらしい
親族の知り合いの日系三世、四世のメキシコ人をうちの両親がよくホームステイさせてたけど、名前は「シゲル」「カズコ」みたいな割と古典的な日本人名なのに、顔はラティーナでもちろん日本語も話せない、そんな人たちばっかりだったw
それだけメキシコに溶け込んでるってことだろう
移民した先で同じ出自どうしで固まってる中国人、韓国人とは明らかに違う日本人の面白い行動原理だとおもう
2017/04/21
--ここまで--