▲京大周辺の立て看板が撤去されたようだ。
なにか、学生たちの「表現の自由」なる言葉が、振り回されて、どうにも非常識なという感じだったが、納まるところに納まったということか。
以下、新聞から抜粋。
京都大は13日、京都市左京区の吉田キャンパス周辺の公道に面した立て看板を撤去した。
市から景観に関する条例に違反するとして指導を受けていた。
関係者によると、撤去は同日早朝で、休日でもあり目立ったトラブルはなかった。
京大工学部1年の男子学生(19)は「京大らしさが失われて残念。12日の夕方には、たくさんあったのに。まさか、大学がここまで徹底的にやるとは思ってなかった」と驚いていた。
法学部2年の女子学生(20)は「入学した頃からなじんでいたので寂しいが、京都市の方針なら仕方ない」と淡々とした様子だった。
京大は1日、設置を吉田キャンパス内に限定する「京都大学立看板規程」を施行し、撤去を求める通告書を立て看板に張り付けた。
学生側は応じず「表現の自由を奪う」「話し合いをすべきだ」などと反発していた。
市は2012年以降、京都らしい歴史的景観の保全のため、繰り返し京大に是正を求めた。
状況が変わらないことから17年10月、文書で指導。
京大は同12月、大学の指定場所にのみ看板設置を許可する規程を公表した。
設置できる看板の大きさは2メートル四方とし、期間も30日以内と定めた。
看板はこれまでサークルや団体の新入生勧誘やイベントなどのため設置され京大の名物とされてきた。
▲補足、感想など
冒頭でふれた。
「自由」という言葉を簡単に使うな。
「表現の自由」ということを「履き違えるな」
非常識な表現は、社会では受け入れられない。通常人の心に響かない。
じゃ、お前はどうなんだ—とか言われそうだな。
筆者は、「覚悟」して使用している。
声闘というのは、「罵りあいごっこ」だ。いまの野党から、安倍政権の批判なんて声闘そのものだ。
声闘と通常の議論とは、使い分けをしている。(つもりだ。)