2018年5月15日火曜日

ものづくりの精神、中国にもあったはず---と、中国人


そりゃ、あったろうなぁ。
 でも、それは、科挙制度が創設されてから衰退したのだろう。
 だって。
 朝鮮半島でもみられるように、文官が最優秀とされた世界ではないか。
 ものづくりなんて、肉体労働をする労働者なんて、科挙にも合格しなアホマヌケのやることだと中国人は見たろう。(今だって、アホが肉体労働をしているのだ--とか思っていないか)

 誰しも、卑しまれる職業につくのが厭だったのだろう。
 そこから、「ものづくり精神」が衰退したのだ。

 えっと、科挙は、中国では598年~1905年、即ち隋から清の時代まで、約1300年間にわたって行われた官僚登用試験---のことか。
 つまり、隋の時代までなら、おそらく、ものづくりの精神が中国人にも横溢していた時代だろうな。

 以下、中国の新聞から抜粋。

 同じ製造業でも、日本のものづくりの精神は目覚ましい経済成長を遂げる中国と別の所に存在していると言えるだろう。
 中国メディアの今日頭条はこのほど、日本の職人を通して日本のものづくりの精神を紹介すると同時に「ものづくりの精神はもともと中国に存在していたはずなのに、日本で芽吹き、そして日本で花開した」と指摘する記事を掲載した。
 記事は、「職人のなかの職人」として、ある家具職人を紹介している。
 宮内庁や迎賓館、国会議事堂や高級ホテルでも使われる特注家具を作ると共に職人の育成に力を注いでいるというこの職人は中国でもその名が知られていることを紹介。

 たとえばこの職人が考える「職人に必須の心得」を収めた書籍は、中国語にも翻訳され、出版されている。
 歴史的背景から日本人の考え方に共感することは難しいと感じる中国人も、この本の内容を見て大きく見方が変わったようだ。
 職人の心得の第一に挙げられた「挨拶をすることを学ぶ」は中国人にとって興味深かったようだ。 出会った人に挨拶をし、自分をしっかりと紹介できることは、一見技術に関係がなさそうだが、「もし顧客に対面した時にきちんと自分を紹介できず、うまくコミュニケーションが取れないなら、職人として成功できない」という理由があるようだ。
 このように心得すべてが人間性を育てるものとなっていると紹介しつつ、仕事においても同時に重要なものだと強調。
 「一流の職人は顧客のニーズを細かく感じ取り、形にすること」であるゆえ、人間性は重要な基盤と言えると強調した。
 こうした苦労を重ねる下積みを必要とする日本独特の職人育成制度は、中国人から見て個の人格に踏み込む厳格すぎるものにも感じられるようだが、「丁稚の制度は中国から伝わったもの」と主張。
 匠の精神のルーツは中国にあれど、それが開花したのは日本でのことだったと伝えた。
 現在の中国でも品質の良い製品が増えつつあるのは事実だが、ものづくりの精神が日本と中国で対極にあると言われるのも致し方ない部分はあるだろう。


補足、感想など

 日本は、中国の科挙制度を採用しなかった。
 日本と中国との「ものづくり」に対する感覚の違いは、この科挙を取り入れたか否かというところで、大きく異なるのではあるまいか。

 また、日本では16世紀に織田信長により、己の腕に自信のあるものは「天下一」の名称を用いることを許された。
 その「腕に覚え」の内容はもう、雑多で、畳とか、壁塗りとか、傘作りとか、もう種々様々のジャンルであった。

 あぁ、中国は1960年代半ばからの10年間の「文化大革命」で、腕に覚えのある職人達も、皆殺しにしたか--

 つまり。
 日本と中国とでは、職人といっても、これだけの「差」があるのだ。
 これだけの差を一朝一夕に埋めることができる訳もあるまい。

 まず、中国で人間国宝の制度とかあるのか?
 職人達に、栄誉を与えよ。卑しい仕事をしているのではない—ということと周知させよ。
 それが、日中間の職人達の地位の「差」を埋める第一歩だ。