▲漢字というツールは、大きなポテンシャルを有している。
発明者である中国人は、漢字のもつ本来的にもつポテンシャルを引き出すことができず、返って、漢字に圧し潰されてしまった。
なぜ、それを言うのか。
例えば、漢詩を中国語の原文と日本語の読み下し文とを比較してみよ。
日本語の方が「深く理解している」ことが分かる。
静夜思 李白
牀前看月光
疑是地上霜
擧頭望山月
低頭思故郷
静夜思 李白
牀前月光を看る
疑うらくは是地上の霜かと
頭を挙げて山月を望み
頭を低(た)れて故郷を思う
山中問答 李白
問余何意棲碧山 余に問ふ 何の意ありて碧山に棲むと
笑而不答心自閑 笑ひて答へず 心 自づから閑(しづ)かなり
桃花流水窅然去 桃花流水 窅然(えうぜん)として去る
別有天地非人間 別に天地の人間(じんかん)にあらざる有り
日本語の「かな」の持つ価値を理解できる。このかなを併用することで、日本語では漢字が本来的にもつポテンシャルを引き出しえた。
中国語だけでは、余韻のようなものがふっとんでいよう。
以下、中国の新聞から抜粋。
古代中国から伝わり、現代の日本社会で非常に強い存在感を示している中国文化の1つに「漢字」がある。
中国メディアの中華網は、なぜ日本は漢字との関係を断つことができないのかというテーマについて論じる記事を掲載。
記事は、唐朝時代の中国は当時の日本よりもはるかに先進的であったため、中国から伝わった「漢字」は日本の支配階級の文書などに直接取り入れられたと説明。
そして日本では「真名(まな)」とも呼ばれている漢字は、当時の日本人にとって複雑であり、習得するのが難しい文字だったため、漢字の一部分を用いた「仮名」つまり平仮名や片仮名などの文字が発明されたと説明。
さらに、かつて日本が西洋文化を吸収しようとしていた時代に、漢字は文化の発展を阻害する文字であり、廃止すべきだと見なされたことがあると紹介。
これと似たような問題は韓国でも生じたと説明したが、日本は韓国ほど徹底的な処置を取らず、まず漢字の数量を減少することに着手し、日本は1946年に1850字の漢字を掲げた「当用漢字表」を公布したと紹介した。
一方で記事は、当時の日本人は日本語表記と漢字は「関係を断つことができない」ことを認識するに至ったと説明、そのため日本は1981年に95字を追加し1945字を掲げた「常用漢字表」を新たに公布したと紹介した。
中国から伝わった漢字は、間違いなく日本人の生活やその文化に計り知れないほどの大きな影響を与えている。
古代中国の人々が知恵や文化の点でいかに優れた存在だったかということを思わずにはいられない。
しかしこの漢字文化を見事に吸収また独特の方法で改変し、美しい日本文化の形成に活用した日本人の知恵も強烈な光彩を放っている。
▲補足、感想など
かなは、中国語を日本語の中に取り込んで、日本風に使おうとした工夫だろうなぁ。
魯迅という人に関する記事を列記してみよう。
--ここから--
■当時、中国でさえ簡体字化、将来のラテン文字化を目指していた。
文豪魯迅までが、「漢字滅ぼせずんば中国滅ぶ」と遺言をのこしている。
交信メディアの転換は近現代にかぎらず、人類史上よく見られることだ。
仙台市は今日も、毎年一連のイベントにより魯迅の誕生日を祝い、この中国出身で、奮起し戦争に立ち向かった弱小民族のすべてを代表する精神的指導者を称えている。
今日の中国では、韋小宝(金庸の武侠小説「鹿鼎記」の主人公)のような功利主義・日和見主義が横行しており、批判と反省を妨げている。
魯迅は当時、「中国人はなぜ自信を失ったのか」と問いかけた。
理想と希望を軽視・嘲笑し、自己反省と自己批判が失われ、権力を恐れ、不公平を無視し悪に 同調すれば、新たな「阿Q」が生み出されるのではなかろうか。
■
ある意味、中国から程良い距離にあって、漢字を導入し
かつ言語体系も違ったから、更に仮名とか発明し、
それが国民の上から下まで大いに民度を上げた。
これが大きい。特に仮名は、耳から入った言葉をそのまま
筆記でき、かつ少し複雑な概念は漢字で記録できた。これはある意味、アルファベット化より有効。
だが、中国も、都市部と農村部との格差は大きいが、
今は原則として全員が読み書きでき、一人っ子政策の
期間も長く、十数億の人口があるのだから、発展しない方がオカシイ。
ただ中国の政治・文化はこれまで、
賽の河原状態。
■科挙を受けるために勉強してた魯迅は、四書五経を意味もわからずラテン語のように丸暗記してた。
日本に留学して、日本語と漢文の読み下しをマスターしてやっと意味を理解した。
日本人は意味を理解してマスターしてたけど、シナは違う
2008/08/16(土)
1
つうか今の中国の書き言葉は魯迅の言文一致運動以前の漢文とは全く別物。
今の中国語をどれだけ勉強しても中国人は昔の漢文は全然読めません。
今の中国の書き言葉は魯迅が日本留学の際に日本語の言文一致体に衝撃を受けて日本語の語彙と文法を使って新しく作った文体なんですよ。
2012/04/26(木)
日本語の達人の魯迅が現れて、一九一八年、人肉食をテーマとした小説『狂人日記』を発表し、これがもとになって、日本文を一語一語翻訳した中国文が爆発的に流行することになった。
これが、すなわち「中国語」の誕生であった。
■2012/04/26(木)
しかし、先に言ったように、いまだに中国全土に通用する「中国語」は存在しない。
「普通話」は、かつての漢文と同様、地方の中国人にとっては外国語にひとしい。
つまり、われわれ日本人が考えるような、
同じことばを話す十二億の中国人はいないのである。
■日本は小さな島国で、いつの時代にも保守的な人が存在してきたものの、
ここぞという時には、
開放的な態度で、外国の良いものを取り入れ自国の発展に役立てる姿勢(拿来主義)を示し、各時代の世界最先端の
言語文化に学び、発展の波に乗ってきた。
日本に行ったことがある人なら誰でも、そのような「混血文化」に親近感を覚え、日本文化について少しでも知識がある人であれば、
外国の良いものを取り入れて発展してきた日本人の精神に感心するものだ。
そして、著名な思想家・魯迅が「拿来主義」
という記事を書いたことに納得するだろう。
魯迅は当時、日本の「拿来主義」に啓発を受けたことに加えて、中国の社会が当時、
閉鎖的、保守的であったため、感じるところがあり、そのことを記事にしようと思ったのだろう。
2017年06月17日
この四角い字(漢字)の弊害を伴った遺産のお陰で、我々の最大多数の人々は、すでに幾千年も文盲として殉難し、中国もこんなザマとなって、ほかの国ではすでに人工雨さえ作っているという時代に、我々はまだ雨乞いのため蛇を拝んだり、神迎えをしたりしている。
もし我々がまだ生きていくつもりならば、私は、漢字に我々の犠牲になって貰う外はないと思う。
-魯迅-
■一国の発達の背後には、必ずその要因がいくつかあるものだが、中国メディアの網易がこのほど掲載した記事は、資源に乏しい日本が大きな経済発展を遂げることができたのは、「拿来主義」によると説明しており、中国も日本の拿来主義に見倣うべきだと提言している。
拿来(ナーライ)主義とは魯迅が創り出した言葉であり、外国文化を頑として拒むのではなく、むしろ積極的にそれを取り入れ、その文化のある面を使用してみてもし良ければ使用し続けるし、もし役に立たないのであれば捨てるという考え方だ。
自国の発展に役立つのであればそれを積極的に利用するという実用性を重視する考え方だと言える。
記事は、「日本語」にはまさに日本人の拿来主義が反映されていると説明。
中国の文字である漢字は日本にとって外国語であり、日本の一般の人にとって漢字を習得するのは至難の業であったため、漢字の一部を元にしてより表記が簡単なカタカナが生み出されたと指摘した。
また、日本は明治維新の時期に西洋文明を吸収するために英語を学んだが、その英語をカタカナ表記を用いて日本語に溶け込ませたと説明。
さらに、言語はその国の文化の「キャリアー」であり「核心」でもあると説明、日本の高度な発達と拿来主義により生まれた日本語は切っても切れない関係にあるという見方を示した。
記事は、日本の歴史に保守的な時期は確かに存在したが、日本人は国の一大事の時期には開放的な態度を示し、拿来主義によって世界最先端の文化を学び、急激な発展を成し遂げたと絶賛した。
中国もかつて洋務運動によって国力増強を目指したが、中華思想という「中華文明がもっとも優れている」という保守的な思想の影響によって西洋の優れた点を積極的に学ぶことができなかったという見方もできる。
日本は古来から実用性を重視する国であり、他国の優れた点を学ぶのに非常に長けた国だ。
日本人のこの実用性を重んじる特長は、確かに日本の発展と密接な関係があるに違いない。
--ここまで--
清末での科挙という試験が、意味も分からず丸暗記したものを競う--というものであるいうことに衝撃を受けないか。