2016年10月4日火曜日

韓国人は、ノーベル賞への適性がない

いや、別に韓国人をバカにしていると取らないで頂きたい。
 そうではなくて、民族として得手・不得手があるということ。
 日本人がどうたらなんて、考える必要もないではないか。

 たまたま、韓国人という民族は、ノーベル賞という「賞」には向かない、適性がないということだ。
 だから。
 民族として適性のある分野に傾注すればいいではないか。

 以下、新聞より抜粋。

 今年のノーベル生理学・医学賞受賞者に東京工業大の大隅良典栄誉教授(71)が決まった。
 これにより、日本の自然科学系のノーベル賞受賞者は22人目(米国籍を取得した2人を含む)になる。

 日本が喜びに沸いている。安倍首相は、発表直後に大隅氏に電話をかけ「先生の研究は難病に苦しむ方々に光を与えた。日本人として本当に誇りに思う」と祝意を伝えた。

 日本科学界の成果を見て気持ちが沈むのは、韓国の基礎科学の研究環境が劣悪であるかを思い知らされるため。
 ノーベル賞を受賞した科学者は、他人が関心を持たない分野で黙々と研究に打ち込んできた。

 大隅氏は東大を卒業し、米国に留学中だった1976年以来、40年にわたり酵母の研究に専念した。細胞の「オートファジー(自食作用)」の仕組みを解明するため、3万8000種類の突然変異の酵母を検査するという作業の末に14種類の遺伝子がオートファジーに関わっていることを突き止めた。

 だが、注目されない分野のため研究費を得るのが難しく、昇進も遅かったという。
 大隅氏は「競争が好きではない」「人がやらないことをやるのが楽しい」と。
 自身の研究に地道に取り組む日本の科学者たちの姿勢こそが、日本の基礎科学の底力を生み出している。

 執念を持った科学者が研究に打ち込める環境をつくるには、政府の惜しみない支援が必要。
 日本は1995年に科学技術基本法を制定、2001年からは総合科学技術会議を設け、新技術や新知識の開発を体系的に支援。

 また、名門大学が人材や研究支援を独占するのではなく、旧帝大と地方国立大などが活発に交流し、競い合う日本科学界のオープンな環境にも注目する必要がある。
 日本のノーベル賞受賞者の中には、徳島大、山梨大、埼玉大など地方大学の出身者だけでなく、中小企業の元研究員も含まれている。

 一方の韓国はどうか。
 理系トップクラスの大学受験生は例外なく医学部への進学を希望し、医学部の優秀な人材は形成外科や皮膚科など仕事が楽で収入は多い分野を専攻するため競争に熱を上げ、ほとんどの人は基礎医学など眼中にない。

 企業が実用技術の研究に打ち込むのは分かるとしても、基礎科学の研究支援に大きな役割を果たすべき政府までもが短期間に成果を出すことを求め、研究費支援を受ける科学者たちを官僚的な規制でがんじがらめにしている。

 こうした状況で韓国の科学者40人が、約1兆7500億円を超える政府支援研究費のうち基礎科学の研究者が提案する課題に配分されたのは6%ほどと訴え、政策変化を求めた。
 世界は今、人工知能(AI)などを活用する「第4次産業革命」の時代を迎えている。
 韓国は先進国が開発した技術をまねるという戦略で産業化を成し遂げたが、今やそんな手法で中国などの新興国と競い合うことは不可能だ。

 基礎科学の土台を固めなければ、新たな時代に何も期待することはできない。
 ノーベル賞をもらうためではなく、国の生存のため、科学界の風土、政策、教育システム、企業の研究開発(R&D)、産学連携など基礎科学の振興に関わる全ての要素を見直し、時代遅れの古い制度と慣行を改めていくべき。

補足、感想など

 なにか、的外れな---
 冒頭でふれた。
 民族として、ノーベル賞がどうたら—とか考えなくていいのではないか。

 韓国人という民族には、民族なりの適性がある。
 記事にもあるとおり---先進国が開発した技術をまねるという戦略で産業化を成し遂げた---が、得意なら、その部分を磨けばいいのではないか。

 「技術をまねる」というところに適性があるなら、その適性を徹底的に推し進めれば、また、新しい展開が生まれてくるのではないのか。

 冒頭でふれた。
 ノーベル賞がどうたら言うが、世界を見渡してみれば、大部分の国は、ノーベル賞など関係はない。

 民族には民族なりの特性というか、得手・不得手があるのだ。
 得手の部分を伸ばすという方向へ考え方をもっていくべきだ。