2016年10月16日日曜日

なぜ、日本人は自分より圧倒的に強大な敵に挑むことができるのか---と中国人

う~ん、これは日本人という民族の「本質」にふれる問いだな。
 これへの答えとして、英国のチャーチルの2次大戦の回想録から引用してみよう。

 --ここから--

チャーチルの「対日世界大戦回顧録」より

 日本人は無理な要求をして要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。
 反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数が上がるのに、それができない。
 それでもう一度、無理難題を要求すると、これも呑んでくれる。
 すると議会は、いままで以上の要求をしろという。

 無理を承知で要求してみると、今後は笑みを浮かべていた日本人がまったく別人の顔になって、
「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。

 英国はマレー半島沖合いで戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈されシンガポールを失った。日本にこれ程の力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。

 --ここまで--

 簡単に言うと、「日本人は閾値(しきいち)が高い」のだ。
 閾値についてちょいと説明する。

 --ここから--

 閾値(しきいち)は、わかりにくい言葉です。
 「ある反応を起こさせる、最低の刺激量」だが、たとえ話をしましょう。

 立っている人のおなかを棒で押します。
 押す力は、計って数値で示すことができるようになっています。
 押す力をだんだん強くしていくと、痛くて立っていられなくなります。
 何人かの人に順に立ってもらい、痛くて立っていられなくなった数値を記録します。
 その中で、いちばん小さな値が、参加した人たちの棒の押す力に耐えられる閾値ということになる。

 --ここまで--

 別の言葉で言えば、「切れるまで時間がかかる民族だ」ということ。
 しかし、一旦、切れてしまえば、暴れまわって手がつけられなくなる—ということ。
    このあたり、短い文章だがご紹介しよう。

 --ここから--
 2013/08/24(土) 
 忠臣蔵とかもそうだけど日本人は一度スイッチ入ると成功しても失敗しても 必ず死ぬ状態で動き出す狂気の民族だからな。
 --ここまで--

 だから、中国人は日本人に用心しろよ。「切れてしまえば、キチガイだからな」

 以下、新聞から抜粋。

 日本が江戸時代に鎖国を行っていたことは、誰でも知っている。
 黒船に乗ったペリーが日本に開国を迫り、力の差を認識させられた日本は明治維新と同時に文明開化を経て、短期間で列強の1つに数えられるほどに国力を高めた。
 その後、日本は清やロシアと戦争を行うことになるが、両国ともに日本より国土も大きく、世界的に大国と認識されていた国であり、特にロシアとの戦争では日本のほうが圧倒的に不利という評価も多く、日露戦争の勝利は世界を驚かせた。

 また、第2次世界大戦では、枢軸国の日本は米国を中心とした連合国と戦争したが、開戦前における日本の国力は米国を圧倒的に下回っていた。
 中国メディアは、「日本はなぜ自らより圧倒的に強大な相手に果敢に挑んできたのか」と疑問を呈する記事を掲載、日本人は強者を尊び、負けることを極端に嫌う民族であると考察。

 記事は武士道について取り上げ、日本独特の文化であると同時に、「刀ですべての矛盾と問題を解決してきた」と主張。
 日本の武士は好戦的であると同時に、互いに徹底して戦い、負ければ腹を切って自殺するのが武士だったと伝え、こうした民族性があるからこそ、「清国、ロシア、米国という当時の日本より圧倒的に強大な国に挑むことができたのだ」と考察。

 乱暴な考察だが、続けて「日本人は他の民族と異なり、理では納得せず、力にのみ従う民族」であるとの評価もあるとし、こうした民族性は今なお日本人のなかに存在すると主張。
 正しいとは言い難い考察の中で気になることと言えば、当時の日本人にあった「民族性」は現代の日本人にどれだけ残っているかぐらいか。

補足、感想など

 どのあたりに核心があるのか分からない。
 ただ、日本語というものに「一つのヒント」があるのかもしれない。
 ピントが外れているかもしれないが、文章をご紹介したい。

 --ここから--

■日本文明は「一国で成立する、主観的な自己認識を持つ孤立文明」

 米国の学者・サミュエル・ハンチントンは「文明の衝突と世界秩序の再創造」の中で、国民国家の視点ではなく文明に着目し、世界秩序を分析した。
 前世紀末における世界の文明圏を8つあげ、一つとして、日本文明を「一国で成立する、主的な自己認識を持つ孤立文明」と取り上げた。

 ほかにも、フィリップ・バグビーの世界九大文明論にも、マシュー・メルコの五大文明論にも、日本文明が列挙されている。
 いずれにせよ、日本文明は、他文明とは共通するものが少なく、極めて独自性の高い民族文化に由来すると定義されている。
 根源的なものは、「日本語の特殊性」にある。

■欧米でもアジアでもない、ユニークでニュートラルな文化力
 国力の三大要素とは、「軍事力」「経済力」「文化力」である。
 17世紀のウェストファリア条約以降、20世紀前半の第二次世界大戦までは、 国際紛争の最後の外交的解決手段として戦争が許容されてきた。
 その後、経済貿易の自由化を経てグローバル経済競争に突入すると、国境や民族間の貧富格差の抗争をめぐって、局地戦、宗派闘争、テロ事件が頻発する。
 今こそ、世界が取り組むべきは、ソフトパワーの典型である文化力によるフェアな折衝、相互理解による互助精神の発露ではないか。
 もっとも、こうした活動が期待されていた国連が機能していない。
 最大の欠点は、戦勝5カ国の持つ拒否権がブレーキとなり、公平なる裁定が行われないこと、さらには活動経費の負担に問題点が多いこと。

 最大の負担比率を持つ米国が、自国に不利な裁定があるとして、支払いを留保した際、負担第2位の日本が最大20%強から11%もの大金(加盟国の最高額)を 長期にわたって負担させられながら、常任理事国にさえなれず、日本の数分の1から半分足らずしか支払っていない露中英仏などが、発言力を キープする不合理さ、不公平さは、日本人として看過できない。

 また、国連公用語として、英語(10億)仏語(1.5億)露語(3億)中国語(13億)スペイン語(4億)アラビア語(1.5億)の6言語が採用され、 ヒンズー語(7億)や、日本語、ポルトガル語、ベンガル語などの採用が拒絶されたことに、納得がゆきない。
 文化力を発揮し、世界平和への貢献、相互理解には、言語力の重要性は避けて通れない。
 しかも、近代世界を武力で、財力で、文化力でリードした白人・キリスト教・米欧語族が、ここへ来て、経済力で陰りを見せ、 軍事力で露中の台頭に怯え、イスラムのテロに脅かされる事態が常在化した。

 今この状況下で、極めてユニークでニュートラルな文化力を誇り、それを支える高度な経済力を備えた日本こそ、混迷するグローバル時代の新たな世界へとリードすべきと思量する。

■日本が二千年来の母語を維持継続できた理由
 日本の文化力が、世界中で図抜けているかと問われれば、「人類史を通じて、日本語が唯一、植民化されなかった言語であり、独自の客観的世界観が凝縮されているから」と答えられる。

 いま世界で一番普及している言語は英語ですが、それは大英帝国が植民地化してきた地域が60数カ国・地域にも及んだから。
 同様に、スペイン語やポルトガル語が中南米を席巻し、フランス語も植民地化されたアジア、アフリカへ、そしてロシア語もソ連体制下の東欧や中央アジアに広がった。

 日本だけは、中世で元寇の役をしのぎ、幕末の英と仏両国の植民地化狙いを退け、内輪揉めは自らの手で“維新”したことで、英仏語による置き換えを逃れた。
 戦後のアメリカ占領下でも、ヘボン式ローマ字化を通じた英語への誘導にも乗せられず、(換言すれば、識字率の高さと日本語教養力の高度成熟度が壁となって)文化大国としての日本が二千年来の母語を維持継続できたわけ。

 --ここまで--

 はて、表題の問いに対する答えとなっているかは分からない。
 しかし、日本人が集団行動できるのは、孤立した日本語を使っているからだ。