2016年10月27日木曜日

学校側に過失ありと大川小津波訴訟、仙台地裁

う~ん、筆者はどうもひっかかる。
 これは控訴されるべき裁判であろう。

 もう、東日本大震災が発生して5年以上が経過した。
 なにか、混乱が収まってから、「賢しら顔」をして、震災の混乱時のことをああだこうだ—と言っているように見える。

 筆者は陸前高田市の松原の跡地に立ったことがある。
 地震が発生してから、津波の一波が押し寄せるまでに約20分。逃げれるとしたら、約1キロ先の山しかない。
 地震が発生して、すぐに逃げ出せばなんとか助かる可能性がない訳ではないだろう。
 でも、そうすぐに決断してすぐに動けるものだろうか。

 未曾有の大災害が発生した時、誰しもが「正しい判断」ができるものではない。
 大川小学校の先生方も「普通の人達」なのだ。スーパーマンである訳がないではないか。

 この裁判の「過失あり」という部分にひっかかる。
 これは普通人である教師達を「スーパーマン」のように扱い、そのスーパーマンである教師達が、「判断ミス」をした--という判決であろう。

 上でふれた、陸前高田市の松原の例ならば、近くに国民宿舎のようなものがあった。
 あの二階に上げてもらえば助かるかも—と判断した人もいたろう。
 結局、まるごと波にかぶってしまったようだが。

 こう、考えれば、助かった人達は、本当に「運のいい人」だけなのだ。
 大川小学校の先生方も通常人として判断したのだ。
 結果として、生徒達、自らの命を失ったことになったが。

 これを「過失」と言えるのか。
 これを「判断ミス」と言えるのか。

 なにか、混乱が収まってから、賢しら顔で、混乱時の中での「通常人の判断」したことをあげつらい、死者を鞭打っているようにしか見えない。
 筆者は、東京大空襲の裁判での「皆が等しく負担すべき」という言葉に惹かれる。

 以下、新聞から抜粋。

 東日本大震災の津波で児童、教職員計84人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校を巡り、児童23人の遺族が市と県を相手取り約23億円の損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁は、市と県に総額14億2658万円の支払いを命じた。

 高宮健二裁判長は「教員らは津波襲来の7分前には危険性を具体的に予見したのに、安全な裏山ではなく不適当な場所へ避難しようとした」と指摘し、学校の過失を認定した。
 大震災による学校災害に対する司法判断は、教育現場に課題を突きつける内容となった。

 裁判の大きな争点は(1)大川小への津波襲来を予見できたか(2)安全な場所への避難は可能だったか--の2点。
 判決は、校舎付近が震災までに大津波に襲われた経験がなく、ハザードマップの浸水予測区域外だったことから、震災前や地震直後の段階では襲来は予見できなかったとした。
 一方で当時の市職員の証言から、北上川河口への津波襲来や高台避難を呼びかける広報車が校舎前を午後3時半ごろに通り、7分後に実際に津波が襲ったと認定。
 「教員らは広報を聞いた段階で、大規模な津波が襲来し、児童に危険が生じることを予見したと認められる」と指摘。

 教職員や児童らはその後、北上川の橋のたもとにある標高約7メートルの「三角地帯」と呼ばれる高台に向かう途中に津波にのまれた。
 市側は、遺族側が主張する裏山への避難について「山崩れや倒木の危険があった」と反論したが、判決は「児童らはシイタケの栽培学習で登っており、裏山への避難を決断すべきだった」として、学校側に過失があったと結論付けた。
 賠償額は慰謝料、逸失利益など児童1人について約5300万~6000万円とした。

 大川小の被災を巡っては、市が2013年2月に第三者検証委員会を設置。
 14年2月、被災の直接原因を「避難決定が遅れたこと」とする報告をまとめたが、その背景事情には踏み込まず、遺族が同年3月に市と、国家賠償法に基づき教職員の給与を負担する県の責任を問うため提訴した。

 亀山紘・石巻市長の話 大変重く受け止めている。控訴するかどうかは検討し、早い段階で結論を出したい。

▲補足、感想など

 日経の社説でも取り上げていた。

 --ここから--

 災害に際して学校などの施設は「想定」にとらわれず、状況を適切に把握・判断し、子どもたちの命を守らなければならない。そんな責務の重さを認識させる判断が示された。

 2011年3月11日に東日本大震災が起きたとき、宮城県石巻市の大川小学校は児童らを校庭に集め、約50分後に北上川の堤防ちかくを目指して避難を始めた。
 間もなく一帯を津波が襲い、児童74人と教職員10人が犠牲になった。

 このうち児童23人の遺族が市と県に損害賠償を求めていた裁判の判決があった。
 仙台地裁は「教職員らは大規模な津波を予見できた」「避難先として選んだ堤防付近は不適当で、学校の裏山に退避させるべきだった」と指摘し、学校側の過失を認めた。

 裁判で市などは、大川小が津波浸水被害の想定域外だったと主張していた。
 そもそも大川小は当時、津波からの避難場所に指定されてもいた。
 確かに、あの地震が千年に1度といわれる規模の大災害で、誰も経験したことのないような津波が襲ってくることまで予測するのは、難しかっただろう。

 だが地震が起きた後、10メートルの津波警報が流れていた。
 判決も指摘したように、市の広報車が近くを回って避難を呼び掛けていた。
 それまでの経験や「想定」とかけ離れた事態であっても、現実に起きていることを踏まえ適切に判断すべきだったということである。

 避難先についても、市側は「裏山は崩落や倒木などの危険がある」と反論していた。
 これも固定観念にとらわれた判断だったのではないか。
 より高い裏山に逃げようとの訴えがあがっていたのに児童を校庭に長時間とどめたことには、疑問がのこる。

 判決は学校だけでなく、幼稚園や保育園、病院、高齢者や体が不自由な人のための施設などに、改めて警鐘を鳴らしたといえる。
 いま一度、避難マニュアルの見直しや訓練の実施など災害時への備えを、自治体や施設ごとに確認しなければならない。

 --ここまで--

 ふ~ん、この社説も大川小学校の先生方をスーパーマン扱いしているのか。
 スーパーマンが判断ミスとした—とかか。

 冒頭でふれた。
 地震が発生して、津波がくるのが数十分以内なのだぞ。
 大川小学校の先生方は、通常人なのだ。
 普通の人間が判断できること、行動できること—って、たかが知れているだろうが。

 何度でもいいたい。
 上の裁判は、混乱が収まって平静な時に、混乱時での通常人の判断を「賢しら顔」でああだ、こうだと言い募っているように見える。

 冒頭で、陸前高田市の例をあげた。
 もう失われた松原の跡地にたって、地震発生から20分で、津波が押し寄せたことを考えると、そこには「絶望」しかなかった。
 筆者にはこのタイミングで正常に判断できる自信はない。