2016年10月4日火曜日

VWとトヨタとの未来への一手の違い。それはドイツと日本との未来をどう切り開くかの違い

いや、仰々しい表題となった。
 今、世界でものつくりに関しては、日本とドイツが双璧であろう。
 アメリカという国は、どうも品質管理という小難しい理屈が嫌いで、合わないようだ。

 で。
 先日のvw の電気自動車へ社運を賭ける—という判断をみて、VWの追い込まれている、その窮状というものにちょいと感慨を抱いた。

 このVWの「窮状」は、西欧諸国の階級社会というものの「破綻」を意味していよう。
 逆に言えば、西欧諸国の「階級社会」というものが、完全に崩壊しなければ、VWは、トヨタを追い抜くことはできないという意味でもある。

 VWが、電気自動車という「日銭稼ぎ」に注力している限り、「未来を切り開く一手」を打つことはできまい。
 対するトヨタは、「共に暮らすロボット」というものを発表した。

 高齢化社会において、つれあいを亡くして、一人暮らしという人が増えるだろう。
 「共同生活をしてくれるロボット」というものは、高齢化社会において、現在の「コンビニ」のような存在となる可能性があろう。
 <話相手となり、緊急の際に助けを求める手段となり、近縁者への連絡の手伝いをしてくれるとか--

 まず、VWの電気自動車へ傾注するという記事から。

2016/9/30
 欧州自動車大手がディーゼル車から電気自動車(EV)へのシフトを強める。
 先頭を行くのが独フォルクスワーゲン(VW)だ。
 パリ国際自動車ショーでは1回の充電で最長600キロメートルを走れるコンセプト車を発表。
 背水の陣でEV開発を急ぐ。独ダイムラーも同じ波に乗り、欧州発のエコカー競争が始まる。

✦VWが披露したEVのコンセプト車。1回の充電で600キロメートルの走行をめざす
 自動車産業に次の変革をもたらすモデルになる。
 VWのヘルベルト・ディース氏が世界で初めて披露したのがコンセプトEV「I.D.」だ。
 開発中のEV専用プラットホーム(車台)「MEB」を採用し、2020年に生産を始める。
 電池など部品の配置を柔軟に組みかえられ、様々な派生モデルを造れる。
 部品共通化で量産効果を引き出し、「発売時にはゴルフ並みの価格に抑える」(ディース氏)。

 VWは25年までに30車種以上のEVを投入し、年間販売台数に占めるEV比率を現状の1%から最大25%に引き上げる。
 1年前に発覚した排ガス試験の不正問題が方針転換の引き金を引いた。

 欧州勢のEVシフトはVWにとどまらない。背景にあるのは燃費規制の強化。
 EUは最も厳しく、21年に走行距離1キロメートルあたりの二酸化炭素(CO2)排出量を15年規制値より約3割減らす必要がある。
 三井物産の西野室長は「ディーゼル車の進化だけで数値目標を達成するのは困難」と指摘。

 独ダイムラーはEV向け新ブランド「EQ」を立ち上げ1回の充電で最長500キロメートルを走れるコンセプト車を公開。独オペルや仏ルノーも新型EVを披露した。

 部品生産や充電インフラの投資も急ぐ。ダイムラーは電池企業を完全子会社にし、今年3月には5億ユーロ(約570億円)で第2工場を建設する。ドイツではEV普及のために官民が折半出資で総額10億ユーロを拠出、うち3億ユーロで1720年に計1万5千カ所の充電スタンドを整備。

 日本車大手は欧州でのEVシフトに距離を置く。
 トヨタ自動車が披露したのは今冬に日本で売り出すプラグインハイブリッド車(PHV)「プリウスPHV」。電気だけで走れる距離は現行車の2倍強の60キロメートル。
 日常生活ではほぼEVとして利用できる点を訴えるが、純粋なEVとは異なる。

 トヨタ、ホンダは燃料電池車(FCV)を次世代エコカーの本命に据える。
 「電動化」という点では一致するものの、水素をエネルギーとするためEVとは違うインフラが必要だ。

 欧州は現在、新車販売の約5割をディーゼル車が占めるが、次世代車はEV、PHV、FCVの三つどもえの競争となる。欧州勢は先端技術のデファクトスタンダードづくりにたけている。
 そのEVシフトのスピード感を甘く見ていると、日本車大手は思わぬ劣勢に立たされる可能性がある。

補足、感想など

 電気自動車か燃料電池車のいずれが、最終的な勝者となるのかは、分からない。
 自動運転というものと関連して、どっちか使いやすいか—てなことかもしれない。

 燃料電池車は、将来の「水素エネルギー社会」をいうものを見据え、この仕組の一部として機能する「動く機械」というコンセプトであろう。

 使う人間と、どうつかってもらえるか—とメーカー側は提案しながら、いずれ勝者が決まっていこう。

 それはそれと、トヨタは「次の一手」を打ってきた。それが「共同生活をするロボット」だ。
 まぁ、ロボットという言葉がなんならば、邪魔にならない無機的な共同生活者とでも言えばいいのかな。

 --ここから--

 トヨタ自動車は、コミュニケーションロボット「KIROBO mini」を39800円(税別)で今冬以降に発売する。
 高さ10センチと小型で、ユーザーと雑談などが楽しめる。
 個人向けロボットという「トヨタが全く経験したことがない」新製品だが、「人が愛車とパートナーになるように、心を通わせることができる存在を目指した」という。

 --ここまで--

 上でふれた。
 共同生活者としてのロボット—というコンセプトであろう。
 主として、団塊の世代を狙ったものかもしれない。
 話相手であり、なにか伝言とか、軽く反応してくれる存在ということなのだ。

 この「共同生活者としてのロボット」に対する外国人の反応もついでにみてみよう。

 --ここから--

・う~ん、それでも玩具みたいだ。

・日本の人口問題は、ロボットの赤ちゃんでは解決できない。

・子供の代わりにはならないよ。

・私は赤ちゃんよりもこれがいい。(笑)

・私は犬の方がいいな。

・本物の赤ちゃんには、392ドル以上金がかかる。これはお買い得品だ!

・↑私はこれを言いにきた。392ドルなんて、1年目に払うオムツの消費税と同じくらいだよ。

・↑赤ちゃんにかかる維持費は狂っている。

・↑それに午前3時に黙らなければ、電池を取り出すことが出来る。

・これが大学に通うために金を出さないといけないか?

・十分に可愛くない。

・誰にでも持ち運びできる友は必要だ。

・代わりに犬の里親になれよ。

・人類の滅亡が始まった。ロボットによって支配される。

・世界中が完全に狂ってしまった。最寄りの非常口はどこ?

・我々の人生は、なんて悲しいのだろうか?

・これを持っていたら、本当に悲しい人だよ。

・何が問題なんだよ?人間は少ない方が良いんだろ?

・私はこのロボットを気に入ったよ。一つ欲しい。

 --ここまで--

 外国人には、この「共同生活をしてくれるロボット」の価値が理解できないようだ。
 それは、日本人と外国人との「ロボットに対する親密度」の差かもしれないな。

 日本でしか売れないものかもしれない。
 しかし、今のコンビニのごとく、その価値が数十年後にやっと理解される—そういう「共同生活者としてのロボット」というものだろうな。