▲核心はなんだろうか。
国という単位で、どこからエネルギーをもってくるか—という問題は、国家としての命運を賭けるほどの問題だ。
このブログでなんども触れた。
先の大戦の始めに、日本が南進作戦をとった理由が分からないのか。--これがゾルゲが知りたかったことなのだが、あの時点での日本の立場を考えれば最初からソ連進攻はないなぁ—
どうも一国の命運を賭けるほどの—という意味が理解できないのかな。
なにか、文化人とかいう人達の意見を聞いていると、こういう危機感が鈍くて疎い--。
原発事故の影響が小さい—ということをいっているのではない。
まず、通常の生活を維持しなければ、原発事故への対策・対応もままならなくなる—そういう事実がなぜ分からないのだろうか。
文化人という人達は、まるで「霞—カスミ」を食って生きている人のようだ。
以下、新聞から抜粋。
何だろう、この違和感は。
自民党総裁選。
領土問題などで勇ましき言葉が飛び交う一方、原発となると「ゼロは無責任」「時間をかけて議論を」などと口をそろえ、盛り上がらない。
安全性も除染問題も何一つ解決していない今、 「次の首相」候補に論戦を期待して、なぜいけないのか。
◇福島からあまりに遠い?? 作家・僧侶、玄侑宗久さん
5人の候補者は皆、原発問題を口にするのを避けているように見えます。争点にしたくないかのようです。
自民党の方が民主党より現実感覚が鋭いからでしょう。
「原発ゼロ」の実現は簡単なことではありません。
原発依存社会をつくった元政権政党として、自民党はそれをよく分かっているのでしょう。
原発事故のあった福島から見ると、今度の自民党総裁選はあまりに遠い。
民主党の閣僚は、少なくとも、福島を何度か訪れることで原発事故がどういう事態を招いたのかを理解し、 その実感を福島の人々と共有しようとした。
自民党にはそれもない。だから、総裁選でも取り上げられないのだと思います。
「原発ゼロ」は、根源にあった地方の過疎化や、核廃棄物処分の問題に真剣に向き合う中で実現されるべきだと思います。
原発所在地と郵便番号との関係を知っていますか。全国54基のうち39基の所在地の郵便番号は「9」か「0」から始まる。
つまり「1」で始まる東京から最も遠い場所に、ほとんどの原発がある。
原発を地方に押しつけたこの国の構造そのものに由来する根深い問題です。
その点で、自民党総裁選の5人の候補の誰が選ばれても変わらない気がします。
一方の民主党は「2030年代に原発稼働ゼロ」の閣議決定を朝令暮改で見送った。
方丈記の「古きは廃れ、 新しきは成らず」という言葉のようです。
「古き」は民主党、「新しき」は自民党。
ゼロを口にはするが言葉があまりに軽い民主党と、 そもそも言葉にしない自民党。
これでは脱原発は「成らず」です。
「もう一発来ないと、この国は分からないのか」という思いです。
▲補足、感想など
別に、原発事故を過小に考えているのではない。
核心を・大事なことを見失うな。事故にかまけて本質を見失うな。
それは、国民の大多数がまず、通常の生活を維持する—ということだ。
毎日、食事ができて、毎日、電車に乗れて、毎日、工場にでかければ機械が通常に動く---そういう生活をまず維持しなければならない—ということだ。
その生活を維持して始めて、原発事故への対応とか対策が考え・実行できるのだ—ということだ。
そのことを直視せよ。
そして、そういう通常の生活を維持するためには「エネルギー」が必要だ。
現在の日本で、日本人が通常の生活を維持するためのエネルギー源としては、原発しかないのだ。
それもまた直視せよ。
文化人と言われる人達は、科学知識に乏しくまたヒステリックなのだな。
仮に原発を全廃するとして、じゃ、原発に代替するエネルギー源はどこにあるのだ?
原発に代替できるようなエネルギー源が仮にあるとしても、実用化までにはもう20-30年は充分にかかる。
そういう長期的視野でこのエネルギーという問題を見続けなければならない。
こういう長い目でものごとを見る—というのが、文化人といわれる人達には苦手なのだろう。
物事は一挙には進まない。
福島の原発事後の処理という重い荷物を背負いながら、新しいエネルギー源の開発という目的のために、長い長い坂を登り続けなければならないのだ。---日本という国は---
そんなにヒステリックになっては、この長い長い坂を登り続けていくことはできないぞ。