▲野田さんの短慮がどうも目立つなぁ。
2030年代原発ゼロとか、尖閣諸島の国有化—とか。
まぁ、尖閣諸島を国有化したのは、東京都が買ってしまえば、石原さんがなにをするか分からない—という危惧をもって急いだのだろうが、韓国・中国がどうでるかまでは考えが及ばなかったのだろう。
日本がどう考えようが、中国は攻撃するということしか考えてもいなかったようだが。
尖閣諸島の問題は、日本が実効支配を続けることがポイントだろう。攻撃してくれば、反撃すればいいこと。
ひとまず、尖閣諸島のことは置いておく。
原発ゼロという言葉を、日本政府がもう撤回したようだ。
このブログで、原発ゼロなど、荒唐無稽だと筆者は攻撃した。
改めて、この「原発ゼロ」という言葉を眺めてみると、いかにも日本人的な情緒性にひっぱられた--本質から外れてしまった言葉だと分かる。
日本の原子力行政は、1960年代から始まっている。以後、半世紀を掛けてここまで到達した。
原子力に関して、燃料・使用済みの燃料をどうしようか等など—営々とした努力が積み重ねられてきた。
それが、昨年の福島原発の事故で以後180度の方向転換を図ろうとしていたのだ。
そもそも、180度の方向転換なんて無理すぎるだろう。
原発に代替するエネルギー源も実用化していない。また、従来の原発・原発に必要な様々な材料などをどうするのか等—そこに大きな問題が山積している。
以下、新聞から抜粋。
政府は、将来の全発電に占める原子力発電の比率について 「2030年代に原発稼働ゼロ」との目標を掲げた 革新的エネルギー・環境戦略の閣議決定を見送った。
同戦略の文書の決定を避け、今後の方針についてのみ閣議決定した。
原発のある自治体や米国などから「原発ゼロ」に批判が集まったため、 あいまいな形での取りまとめを図ったとみられる。
閣議では、エネルギー戦略について 「新戦略を踏まえて、責任ある議論を行い、柔軟性をもって不断の検証と見直しを行いながら、遂行する」との方針を決定した。
「30年代原発ゼロ」の文言は閣議決定には盛り込まなかった。
古川国家戦略相は、 「原子力委員会の原子力政策大綱や規制改革会議の規制改革推進の答申など、これまでもこういう形がとられている」と過去にも同様の事例があったと説明。
藤村官房長官も 「エネルギー政策を遂行するため、今後のプロセスを見据えたもの」として、新戦略をあいまいにしたものではないと説明した。
▲補足、感想など
冒頭で「短慮」と書いた。
尖閣諸島の国有化にせよ、原発ゼロにせよ、野田さんの発想がどうも「他者にどう影響するか」ということに対して、考えが深くない—という感想をもつ。
野田さんという人が、鳩山さん、菅さんより実務家で、民主党の中では能力が高いことは認める。
それでも--。
例に挙げた尖閣諸島を国有化すると決心した背景は、石原さんによって東京都が買うより、国有化した方が対中国では刺激が小さいだろう—と思ったのだろう。
原発ゼロという言葉にしたって、新聞の記事とかに書いてあったものだから、大衆の受けがいいだろう—と考えたのであろう。
その裏側にある諸々の事柄に対する理解が浅いことが、こういう言葉遣い、行動に現れてくるのだろう。
詰まるところ、「教養」ということなのだろうな。
それは、人間だからなにもかも深く知るということはできない。
しかし、大きな視点で概観するという場合には、その教養の深さの差というものがあからさまになるようだなぁ。