2012年9月14日金曜日

原発ゼロの非科学的さ。


▲どう言えばいいのだろう。
「原発ゼロ」という言葉を聞く度に、筆者は、この日本という国の政府の首脳陣達が「科学者ではないなぁ」と憂鬱な気分となる。
なんという非科学的な言葉だろう。「原発ゼロ」なんて。
原発というものを論理的に考えれば、原発ゼロなんていう「言葉」がでてくる訳がない。
だから。
そこにあるのは大衆迎合的な、ドイツ人のような「頭デッカチな」、現実から遊離したような「言葉遊び」という印象しかない。
筆者と同じような懸念というか不安を、西欧諸国の首脳達ももつようだ。
非科学的な「原発ゼロ」という言葉が、世界で流通しないことを望んでいるのだ。
以下、新聞から抜粋。

政府・民主党が固めた新しいエネルギー戦略で2030年代に原子力発電の比率を「ゼロ」にする方針について、内外から強い憂慮の声が寄せられている。
米国や英、仏両国からは、直接懸念の声が伝えられた。
日本は使用済み核燃料の処理や技術開発などで欧米と連携しており、原子力利用の停滞は、世界的な影響を与える恐れがあるためだ。
「重要かつ深い影響を米国にもたらす。原発ゼロを目指す『負の影響』をなるべく最小化してほしい」
米エネルギー省のポネマン副長官は11日、ワシントンを訪問中の民主党の前原政調会長と会談し、こう求めた。
日本の「原発ゼロ」方針に対する米側の強い懸念の表明だった。
英仏両国も「原発ゼロ」を懸念している。
ウォレン駐日英大使は11日、首相官邸を訪ねて藤村官房長官と会談した。
日本の原子力政策の転換への「関心」を表明した模様だ。
藤村氏は「英国との信頼関係を損なわないようにする」と釈明した。
マセ駐日仏大使も官邸に来た。
藤村氏と会談したマセ氏は、記者団に「日本政府が決めることに絶大なる信頼を置いている」と語ったが、英仏の両大使の相次ぐ官邸訪問は異例だ。
日本政府内には「原発ゼロへの無言のプレッシャーだ」との受け止めが広がっている。


▲補足、感想など
違うさ。
欧米諸国の首脳陣達は、日本の政府首脳の「非科学的な考え方」に呆れているのだ。
よくもこんな馬鹿な言葉が言えるものだと。
そういえば、ルーピー鳩山が、炭酸ガスの発生量を抑制したとんでもない数字を発表したことがあったが、アレに似ている。
日本の政府首脳には、「科学者」はいないのか。単なる大衆迎合者だけなのか。
もう一度始めから考えてみよう。
どこから、エネルギーをもってくるかという問題は、一国の命運を左右するほど大事なことだ。
戦後、日本は火力、水力から始めて1960年台頃から、原子力というものの比重を高めてきた。
2010年頃で、約45パーセントくらいが原子力発電によるものであった。
これを2030年頃に原子力発電をゼロにしようという方向性を示したというのが日本であり、この発表が世界へ影響を及ぼすことを欧米諸国が恐れているのというのが記事の内容だ。
上の日本が示した方向性のどこがオカシイのかと疑問があがりそうだな。
核心は、2030年まで後20年弱だ。
それまでに原発に代替するエネルギー源が実用化できるのか。仮にできるとしたら、それはなになのかということだ。また、原子力という手段をコワイ・コワイといって放棄していいのか。これだけコンパクトで強力なエネルギー源を活用しない手はあるまい。
この一番肝心な点を日本政府はなにも触れていない。
つまり、多分、なにか原発に代替するようなエネルギー源が見つかって、2030年までには充分なエネルギーを供給できるさと安易というかお気楽に考えているということだ。
こんなことを考え、口に出せる人間って、少なくとも「科学者」ではない。
単なるアジテーターだ。単なる占い人だ。
こんな曖昧な裏付けもないことおおっぴらに発表する日本人を、欧米諸国の首脳達が「呆れている」し、こんな「妄言」が世界に広まることを恐れているのだ。
なんというかなぁ。
こうありたいと思うということと、そうなるということの間には大きな距離が存在する。
分からないことは分からない(なんせ、なにが原発に代替する実用化可能なエネルギー源となるかさえ見通しが立っていないのだ)ともっと慎重に発言せよ。
さもないと、ルーピー鳩山の炭酸ガス発生量の発表と同じで、どこかの時点で「恥ずかしそうに」撤回しなければならなくなる。
現実に、2030年に「原発ゼロ」とできるものかどうか、さっぱり分からない。
それは、原発に代替するエネルギー源の開発の進捗と密接な関係にあるからだ。
まずは、代替エネルギー源の開発に着手してからの話だ。
2030年頃の未来など、なにも分からない。