2021年8月13日金曜日

コロナ感染は増えても、死者数が少なければいい---。ウイズコロナという世界では、その通りだ

 

そもそもコロナウイルスをゼロにすることはできない。ゼロコロナなんて夢想だ。「コロナウイルスと共存する」という世界では、「死者数が少なければ、それでいい」。インフルエンザでもそうではないか。「死者数を少なくして、ウイルスと共存する」のだ。それが一番実務的・合理的だついでにいうならば、アフターコロナの世界とは、「ワクチンによって極小化した死亡者数のウイズコロナ=コロナウイルスと共存・共生する世界」だ。日本政府だって、数万人であっても感染者増そのものを恐れているのではない、感染者増の一時的ピークによって重症者数が用意した病床数を超え、医療崩壊となることを恐れているだけだ以下、新聞から抜粋。

8/12() 日刊ゲンダイDIGITAL

笑いを交えて「感染者が増えても死者が少ないからいいだろう」と、竹中平蔵と高橋洋一両氏(C)日刊ゲンダイ 数々の問題を残しオリンピックが終わった。関係者は「終わりよければ全てよし。やれやれ」と胸をなで下ろしているかもしれないが、そうは問屋が卸さない。「まだ祭りは終わらない。ここから悪魔の祭りが始まる」と誰かが呟いていたが、コロナの感染爆発はとどまるところを知らない。テレ朝女性社員の「泥酔宴会報道」で富川悠太アナがコメントを避けたワケ 「五輪の開催が感染数増加の原因であるというエビデンスはない」と皆言う。確かに五輪の関係者からウイルスが感染したわけではないだろう。ただ2週間の開催期間だけ問題なのではない。厚労省が検査数抑制論をあおり、世界に比べても極端に検査数を少なくしたのは、オリンピック開催に支障があってはいけないという忖度だろうし、2年延期にすればいいものを無理やり1年延期でごり押ししたこともコロナ対策が不十分になった要因だ。東京五輪がなければこんな惨状にはなっていなかったし、助かる命もあったはずだ。国民のため日本のためなどとおためごかしなことを言い、復興五輪でもコロナに打ち勝った証しの五輪でもない。ただ一部の関係者の利権のために開かれたオリンピックなのに、アスリートの頑張りを隠れ蓑にして見せかけだけを取り繕う。その仕掛けがほぼみんなにすっかりバレてしまっている。IOCから菅総理と小池都知事に功労章が贈られるなんて、「儲けさせてくれてありがとう」っていうことだろう。都内の自宅療養者から初の死者が出たニュースの後に、晴れ着でほほ笑む小池都知事を見るのは、この夏一番狂おしい夜だった。加えてもっとひどい、悪魔のような対談を見た。YouTube上の竹中平蔵と高橋洋一の話だ。要約すれば「史上最大の感染だって言ってるけど」「全然大したことない。世界から見ればさざ波よりさらにちっちゃくなっちゃって」「死者なんて十数人になっちゃってるから」「そうそういいじゃない」と、感染者は増えても死者が少ないからいいだろう、という話を笑いを交えてしているのだ。たとえ一人の死でも遺族にとっては痛恨の出来事だ。決して軽く話せることじゃない。自分たちの身内に死者が出ても同じように笑うのか。死を数にして、少なかったからよかったとは、決して言ってはいけない。しかも竹中は、コロナの死者より「毎日自殺者は5060人いるんですよ。そういう国で経済を悪くしたら、また増える」とまで言う。待て待て。貧困者が増えて未来に希望が持てないのは誰のせいだ。あんたが派遣社員や非正規を増やし、企業だけが儲かり最低賃金は世界でも最低水準のこのシステムをつくった、言わば犯人だろう。こんなこと言わせておいていいんですか。皆さんいいかげん立ち上がったらどうですか。(ラサール石井/タレント)

補足、感想など

まぁ、この人の「ケチの付け方」って、「朝鮮ヤクザの誠意を見せろよ」方式なのだな。「論理性」の高い部分と、「なんとも知れぬ”ねちゃ”とした感情に訴える」部分を交互にいれて文章をつくる。だから、日本人から信用されないのだ。この世界は、合理性の高い方へ高い方へと収斂しつつある。合理性の高い言葉には、高い信頼性と高い説得力が付与されるのだ。文章を少し核の部分だけ、書き抜いてみよう。

1.オリンピックは、今年、開催するというのが、妥当な判断だったと思える。2年延期という選択肢はなかったと筆者は記憶する。2年延期なら中止となる筈。オリンピック級の選手の「ピークの期間」がそれほど長期の筈はあるまい。今年だから、オリンピックに出場できた—という選手も多かった筈。その意味で本年度に開催してよかったと感じる。

2.記事で取り上げられた竹中さんと高橋さんのコメントを示してみよう。

竹中さん:毎日ね、日本は自殺者が50~60人いるんですよ。そういう国で経済を悪くしたら、また増えるわけで。命か経済かというわけですけど両方とも命なわけですから。その辺がいっこうに改まらない。その背後に学者の村社会とゆがんだ吹聴をするだけのメディアがあるという構図

高橋さん:「(政府の)分科会の人ってリスク管理ができていない。我々の世代はワクチンを打っているからだいたいは大丈夫。打ってない世代がどのくらい死ぬかというと、交通事故より死亡確率は低い。交通事故が心配だからって、東京都内で交通を全部、止めるかというと止めるわけないでしょ。何を言っているのという感じ--と。この表現っておかしいか。ものごとを俯瞰すれば、こう見えるということでしかあるまい。大局的に現象をみると、えっと「貧困者が増えて未来に希望が持てないのは誰のせいだ。」とかになるのか。感染者が増えたところで、死者数が増加しなければ、ただの風邪状態ということであろう。ただの風邪で、経済を停滞させてどうするんだ? だからこそ、このコロナウイルスを2類に移行させるという議論がなされているのだ。go to キャンペーンまでもうすぐであろう。最後に感染者数と死亡者数をみよう。<こうしてみると、ワクチンの効果がどれほどのものかよく理解できる