▲いや、宮崎さんのリップサービスかな。
案外、アメリカの映画界に対する皮肉だったりして---。
いや、なにかというと宮崎監督の「風立ちぬ」がアメリカのアカデミー賞をどうしたこうした—という話だ。
で。
アカデミー賞を受賞したのが、日本では話題にすらならなかった--ゼログラビティ--とかいう映画で7部門を受賞するとかどうとか—だし。
アメリカという国は—と思う。
自分の作る映画の顧客を馬鹿にして面白いか。
このあたり、日本映画と決定的に路線が違うのだな。
日本語という世界ではローカルな言語と英語という世界で通用する言葉の違いということでもある。
英語という言語を使った映画だからこそ、世界中の多数の観客を獲得できる。
そしてそれ故に、想定する観客の知的レベルを上げることができない。
対して、日本語は日本人という1億2千万人しか、顧客の可能性がないということ。
だからこそ、日本人の「知的レベル」に合わせないと観客を獲得できない。
で。
宮崎監督は、1億ちょいの日本人しか観客として想定していない。
逆に言えば、宮崎さんはアメリカ映画の想定する観客層をみて「あんなレベルの人間を相手にできるか」--とか思っていそうだ。
だから、アメリカのアカデミー賞なんて--という感じで。
だから、ノミネートされただけで光栄だ—と。
以下、新聞から抜粋。
映画「風立ちぬ」でアカデミー賞の受賞を逃した宮崎駿監督が、「戦闘機を作った男の映画をノミネートするまでにもっていって
くれただけでも、感動しています」と。
「スタジオジブリ」では、10人のスタッフが
テレビで授賞式の様子を見守りました。
受賞を逃したことが分かると「あー」というため息がもれましたが、
拍手で健闘をたたえました。
その後、宮崎監督が取材に応じ、
「こういう結果になりましたが、戦闘機を作った男の映画をノミネートするまでにもっていって
くれただけでもちょっと感動しています。それで十分だと思います。
こういうことで悔しいとかうれしいとか思うのはやめるという気持ちになってきました」と気持ちを述べました。
また、アカデミー賞の評価については「作品として評価してくれた。そういう友情とか公正さを
感じました」と話しました。
作品について、「10年後にどういう風に見られるかですね。あるいは20年後、
まだ見てくれているかどうか、そういうことだと思います」と、
「日本ではお客さんが随分来てくれた。これ以上望むのは間違いだと思うくらい来ていただいたと
思います」と感謝の気持ちを語った。
▲補足、感想など
ふ~ん。
冒頭で筆者は、意地悪く宮崎監督の心中を邪推した。
宮崎さんが、アメリカ映画を馬鹿にしている—と思ったからだ。
ところが、宮崎監督は、そんなことおくびにも出さない。
アカデミー賞の中味がどうたらより、「受賞することの価値」のようなものをよくご存知だからであろう。
また、先の太平洋戦争で活躍したゼロ戦を作った堀越さんを扱ったことで、アメリカ人には「受けがよくない」とか思っていたのかもしれないな。
まぁ、アレコレ考えると。冒頭の話に戻る。
「ノミネートだけで感動だ」--と。