▲日本アカデミー賞の話だ。
まぁ、順当なところだと思う。
風立ちぬは、昨年、確か売上も100億円を超えていた。
でも。
宮崎さんの曰くでは、制作費がそれに追いつかないそうだ。
えっと、5年だっけかな。
人件費とか外注するとか、また、吹き替えの豪華のメンバーをみてみると、そうだろうなと納得する。
Dvd
の売上などで、数年かけて採算ラインにのるのだろうな。
まずは、「最優秀アニメーション作品賞」の受賞をお祝いしたい。
以下、新聞から抜粋。
「第37回日本アカデミー賞」の最優秀アニメーション作品賞に選ばれた「風立ちぬ」のビジュアル
「第37回日本アカデミー賞」の授賞式が7日開かれ、
宮崎駿監督の長編引退作「風立ちぬ」が最優秀アニメーション作品賞に選ばれた。
授賞式に登場したスタジオ・ジブリの鈴木敏夫プロデューサーは、プレゼンターの細田守監督からトロフィーを渡されると、「ありがとうございます。といいつつ、ちょっと複雑です。去年はスタジオ・ジブリは『風立ちぬ』と『かぐや姫の物語』の2本を作ってしまいました。
同じ年に2本作るべきじゃないという教訓を得ました」と語った。
「風立ちぬ」は、13年7月20日に全国454スクリーンで公開された。
同年9月には宮崎監督が長編映画の製作を引退することを発表し、最後の長編作品として注目を集めた。
ゼロ戦の設計技師として知られる実在の人物、堀越二郎の半生を薄幸の少女・菜穂子とのロマンスを交えながら描いた作品で、
二郎の声を「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズ総監督の庵野秀明さんが担当しているほか、
菜穂子役は瀧本美織さん、そのほか西島秀俊さん、西村雅彦さん、大竹しのぶさん、野村萬斎さんらが声優を務めた。
▲補足、感想など
庵野さんが、主人公の声を担当した。
棒読みだとかの批判があるようだ。
でも。
筆者は映画をみて、悪い印象を持たなかった。
筆者も技術系の人間だが、いたってしゃべるのは苦手だ。
技術系の人間なんて、あんなもの、あんなもの。
それはそうとして。
この「風立ちぬ」という作品と、最近のアニメを比較してみると、なにか違う。
なんなのだろうなぁ。
先の大戦の直後に育った世代と、「豊かな安定した時代に育った世代」との違いのようなものかな。
昭和22年頃だったか。
岩波新書が再発行された。
その時、岩波新書の一番後ろがわに、「再発刊の辞」というものが書かれてあったと記憶する。
その中で、岩波さんは、「今度の敗戦は、日本人が科学的思考ができないためだ」とか書いてあったような記憶がある。
そのために、岩波新書を再発刊するのだ—と。
そこにあるのは、惨めな敗戦を契機とした、「知への憧憬」というようなものだと思える。
昭和20年代から30年代にかけて育って世代には、大なり小なり、そういう「知への憧憬」という気分の中で育ってきた。<『知への憧憬』って、説明は難しいが、この本棚のこの段の本を全部読めばなにか分かるかもしれないなぁ--てな感覚かな>
「風立ちぬ」という映画を見ながら感じたのは、宮崎監督のもつこの「知への憧憬」という部分だろうな。
そして、それがこの作品を深いものにしている—という気がする。
そして。
そのことが、最近の日本のアニメーションに対する批判ともなっているのではあるまいか。
作画技術が発達して、絵も綺麗、色も美しい、粗筋もそこそこまずくはない。
でも。
スピリッツがない--。
いってみれば、日本人が心の奥底にもつ「知への憧憬」というものを、作品のどこかに「ふりかけ」なければ、日本人は、「深み」を感じないのかもしれないな。
5-7-5という日本語の並びは、日本語を美しく響かせる「魔法の杖」だとか読んだ。
同じく、「知への憧憬」という「味付け」は、日本人の心の琴線を響かせるための「魔法の杖」なのかもしれない。