2014年3月1日土曜日

永遠のゼロ  百田尚樹著 講談社 2009年 感想。

映画とはまた違っていて面白く感じた。
 えっと、この本、400万部を越えたのだとか。

 そうだなぁ、どのあたりから。
 まず、構成の仕方だなぁ。

 神風特攻隊を扱った小説は多くある。
 阿川弘之さんの「雲の墓標」とかがあるのだが、阿川さんは戦争のとき、少尉だったかな、戦った当事者であったということだ。

 しかし、表題の小説では、孫が祖父の戦争時の様子を尋ねて回る—という形式となっている。
 戦後、60年以上を経過したからこその構成だろうな、と感じた。

 内容について、余り、詳細にふれる気はない。
 小説全体について感じたことと、いくつか筆者にひっかかった点などを主として以下、箇条書きとしたい。

あ、日本という国の「富の蓄積のなさ」が一番印象に残った。
 つまり、日本という国は貧乏だったということ。
 戦争とは金食い虫なのだ。軍艦を造るにも、戦闘機をつくるにも、砲弾をつくるにもお金がかかる。
 トコトン、貧乏では戦いもできない—ということだ。
 日本が最後には、竹槍でどうたら—となったのも、お金がない、資源がない--ということの究極的な現れであろう

 日本という国は、19世紀の後半、英国の産業革命に約100年遅れて、明治維新というリセットを経て、欧米化を、欧米列強に「肩を並べる」ということを目標に、富国強兵を急いだ。
 明治維新から太平洋戦争まで、約70年くらいしか経過していない。
 現在、先の大戦終了時から約60数年だから、ほぼ似通った感じかな。

 産業革命に約100年遅れて出発し、「欧米列強に肩を並べた」と感じたのが、2000年頃。約130年という歳月を要している。
 
 してみると、明治維新後60年-70年というタイミングは、欧米列強とことを起こすにはいかにも早過ぎる。
 ましてや、日本という国は17世紀初め、「大航海時代」の最中に自ら「閉じこもり」、領土拡大というものから自ら降りている。

 この産業革命に100年遅れた、大航海時代に自ら閉じこもった—という「選択」が、欧米列強との決定的な「富の蓄積の差」を生じさせたのだ。
 そして、明治維新後70年という歳月では、とても「富の蓄積の差」を埋めることができなかった。

 日本の敗戦の理由の根源的なことはこれであろう。

 しかし、その「富の蓄積の差」を知りながら、どうしても我慢ができなくて、「殴りかかった」というものが、先の太平洋戦争というものであろう。

い、表題のゼロとは、ゼロ戦のことであろう。
 この三菱の堀越技師の作ったゼロ戦というものが、1940年代初頭、他国の戦闘機と較べ、一世代抜けたようなものであったからこそ、上でふれた100年遅れのハンデをものともせず、一か八かの戦争に突入したということだ。

 戦争とは、国と国との「総合力の競争」なのだ。
 ゼロ戦、戦艦大和だけ、傑出していても、それをバックアップする能力、運営する能力がなければ、勝ち続けることは不可能だ。

う、小説の中で、日本軍の振る舞いとか、戦艦大和を温存していたこととか—様々に批判されている。
 しかし、上で触れたように、「日本という国は貧乏だったのだ」--戦線を拡大すればするほど、戦艦の不足、軍備の不足、食料の不足等が、露呈してくる。
 軍部のトップは、口では威勢のいいことを言っても、戦艦を空母を簡単に失うことはできなかったのだ。

え、つまり、貧乏国日本は、「一寸の虫にも五分の魂」ってやつで、「日本の意地を欧米列強に見せなければならない」--そういう局面に追い込まれたということだ。
 1つは,小説にもあるように「新聞」というものが大きな意味をもっていたのだろう。
 戦後の半世紀以上、米軍の作った「戦後レジーム」というもので、世論操作されていたことになかなか気がつかなかったように、戦前でも「新聞という世論操作装置」でうまうま操縦されていた可能性もあろう。

お、まとめ
 神風特攻隊へ志願する—というのは、個人の意思という形であった。
 志願するものは○印をつけろ—とか、一歩前へ--とかであった。
 そう言われたとき、ほとんど、一歩前にでる—であろう。

 これはなぁ、と思う。
 いいように出れば、先の大震災の際、水を買うにも順番を待つ—という形ででてくる。

 日本人の特性を利用した「攻撃方法」といえなくもない。
 背景にあるのは、上でふれた「貧乏ゆえ」だ。

 1930年代、1940年代 というのは、明治維新から約60年後だ。
 100年遅れなりに、「ここまできた」感もあったろうし、「日本人の意地を見せてやりたい」感もあったのだろうな。

 日本人は、島嶼国に住む、孤独な民族なのだ。
 世間ずれしていない、異民族から支配されたこともない--

 だからこそ、
 自分の家族を守るため—というキーワードさえあれば、なんとか「死」を乗り越えることができたのだろう。
 自分自身を納得させることができたのであろう。