2015年10月23日金曜日

習近平さんの英国演説の背景になにがあるのだろうか。

英国で習近平国家主席が演説をした。
 英国の首相は、同時通訳機を外していた。
 演説を聞きたくもなかったのだろう。

 しかし、なにか異様な感じのするこの英国の中国国家主席へのもてなし—ではある。
 習近平さんの意図もどうも定かではないし--まぁ、中国人のやることだ。ここぞとばかり、アヘン戦争の戦勝国に対して、ふんぞりかえり・威張り散らしたいのだろう。

 アヘン戦争の恨みをここで返してやるぞ—てなことがあったのかな。

 以下、新聞から抜粋。

 中国の習近平国家主席が初の英国訪問でお持て成しを受けているものの、中国指導者としては初めて英議会で行った演説で法治を強調し、逆風に晒された。

 習主席が、「英国は古い議会制国家だが、中国は2000年前から法治を施行した」と述べたことについて、英紙は「英国のシステムと中国式モデルを比較するのは正しくない」と皮肉。

 英国の国会議員の間では、マグナカルタが制定800周年を迎えて中国での展示を行う予定だったが、北京人民大での展示が中止となり、広州などの地方都市の英国総領事館で展示されていることを挙げ、中国に法治と民主主義を強調する資格があるのか、と批判。

 また習主席は、シェイクスピアの言葉も引用し、ノルマンディ上陸作戦で協力したことを強調したが、いざ自身が立っている所が阿片戦争を承認した場所であることには触れなかったことから、歴史に関しては自分たちに有利なところだけを言及したとも指摘。

 英国の議員たちは演説が続く中、一度も拍手をせず、演説が終わった後の規律拍手もなかった。
 タイムズは、「習主席が議会制の揺籃で決まり悪い瞬間を迎えた」と書いた。
 この日の演説は、始終異様な空気の中で行われた。

 英下院の議長が習主席を紹介しながら「ここはミャンマーのアウン・サン・スー・チー女史も立ったし、来月インドのモディ首相が立つ予定だ」と言い、スー・チー女史を人権のシンボルとして、インドを世界最大の民主国家として持ち上げた上で、中国については「道徳的霊感を与える国になることを望む」と述べた。

 バッキンガム宮殿で開かれた国賓晩さんでは、エリザベス2世女王が、「1997年に香港を返還する際に行った香港自治を保障するという約束を守ってほしい」と述べ、中国として敏感な部分に触れる場面もあった。
 英紙ザ・タイムズは、女王がバランスを取ったと報じた。

 キャメロン英首相は、非公開の会談で人権など懸案問題について話し合ったと述べたが、労働党議員から「自分を噛んだ犬の手を舐めるような行動だ」と非難。
 キャメロン首相は、習主席が演説する間、同時通訳機をつけなかったが、聞きたくないからわざとそうしたのではないかとも見られている。


補足、感想など

 まぁ、なんとも不評な---

 英国へ言って、日本がどうたら—と言い続けるってなんだろう。
 あぁ、韓国の朴大統領と同じか。
 要するに告げ口外交ってことか。

 2012年の夏だったかな。
 習近平さんが国家主席となる前に、日本を叩いてやろう—と反日騒動を起こした。
 あの感覚をそのまま持っているということか。

 ちょいと古いが、2012年10月時点で、習近平さんの「考え方」の記事を転記してみよう。
 長い文章なので、筆者が大幅に抜粋する。

--ここから--

 10月開幕第18回共産党大会を前に、胡錦濤と習近平との間で、最終戦争が展開。
 この権力闘争の渦中に、日本が巻き込まれた。

■「毛沢東時代に立ち返れ!
 「重度のストレスで立てなくなった」・・・・・・
 習近平副主席(59)が、2週間消えた。
 この事態の裏に、権力闘争が隠されていた---
 91日、北京市のキャンパスで、始業式が開かれた。

 それが、「中央党校」である。
 中央党校は、1933年に創設、以来、中国共産党の最高学府として君臨してきた。
 中国では、共産党のエリートたちは、1年間にわたって、 中央党校で、教育を受けねばならない。  中央党校の校長は、国のトップが兼任。

 そして'07年から校長を務めているのが、習近平副主席である。
 中国は胡錦濤時代を終えて、来月から習近平時代を迎える。
 習近平校長は、始業式で、「新入生」を前に挨拶に立ち、次のように強調。
 「幹部たちは、ぜひ党の根本的な理論を学んで ほしい。党の原点である理想的信念の踏襲こそが、幹部にとって重要」

 「党の原点」とは、毛沢東主席の思想のこと。
 毛沢東時代の革命の原点とは、日本帝国に勝利して建国を成し遂げたと主張する「中国共産党史」に他ならない。

 〈わが国は幹部の腐敗がはびこり、国民の生活格差が深刻になり、庶民が生活苦に喘いでいる。
 こうしたこと は毛沢東時代にはあり得なかったことで、過度の対外妥協政策の副作用である。
 中国共産党は、『失われた10年』を過ごしたが、正しい指針を持った新時代を迎えるであろう〉
 中央党校機関紙は、中国は対外的に妥協しない強硬路線で臨む と宣言したのである。

■「活動禁止処分」が出ていた
 だがこの『学習時報』を読んで、驚愕した幹部がいた。
 令計画・前中央 弁公庁主任である。
 令計画は、 「党校機関紙」を、直ちに胡錦濤主席に届けた。

 内容を確認した胡主席は、命じた。
 「『学習時報』を全面回収させ、緊急常務委員会を招集せよ!

 常務委員会で胡錦濤主席は、『学習時報』の内容を批判し、中央党校の校長を兼任している習近平副主席の監督責任を厳しく追及した。
 習近平は自己批判を強要させられ、「当分間の活動禁止処分」が下されたのだった。

 ストレスで立てなくなったなどである。実際は、中南海で「軟禁生活」を余儀なくされていたのである。

 習近平とその一派は、この「冷たい仕打ち」に甘んじていただけではなかった。
 この仕打ちによって一層、「反胡感情」 が焚きつけられたのだった。
 全国的なムーブメントを展開する。

 「国民の反日感情を煽って胡錦濤一派を駆逐せよ!
 つまり、国民の反日感情が高まれば、「胡錦濤・親日政権・は誤りだった」という論理が正当化され、胡錦濤派の面々を一掃できる
 こうして日本は、権力闘争の道具とされた。

■中国版ネオコンの誕生

 こうした手法は、実は中国共産党の「お家芸」とも言えるものだ。
 '95年には江沢民主席が、北京で「反腐敗運動」を展開し、陳希同・北京市党委書記を失脚させて いる。

 こうした中国共産党の伝統的手法を、習近平副主席が、「反日」というイシューを使って展開しているのが、いまのデモ騒動の 真相である。

 党大会を目前に控えて、「胡派」と「習派」による仁義なき権力闘争は激化の一途を 辿っており、その両派の闘争の真っ只中にあるイシューが、まさに「対日政策」なのである。
 換言すれば、「習派」としては、いまの中国で混乱が起ころうと、それは胡錦濤時代の責任というわけだ。
 だから暴徒たちが「日本人 はみな殺しだ!」と叫ぼうが、むしろそれを煽ろうとするのである。

 日本として気になるのは、新体制の反日の度合いである。
 結論を先に言えば、「中国ネオコン体制」が誕生 するのである。

■日本を敵視するメンバー

 まず、序列第1位の習近平新総書記は、「反日を権力闘争に利用する」ほどの権謀術数家である。
 訪日時に、天皇陛下との会見を巡って一悶着あったように、日本との関係は、良好なものとは言えない。
 さらに、 「習派」の最大のバックボーンは、人民解放軍の強硬派である。
 こうしたことを踏まえると、強硬路線 を貫こうとするだろう。

 序列2位、張徳江副首相は、江沢民前主席の 秘蔵っ子である。
 北朝鮮の金日成総合大学卒業という経歴から見ても、反日派として習近平新総書記を 補佐するだろう。

 序列4位、兪正声・上海市党委書記は、父親が毛沢東主席夫人・江青の前夫という、いわば 毛ファミリーに連なる家柄である。
 同じ「太子党」に属し、習近平が、実の兄貴のように頼る人物なので、 反日派の政治家に数えてよいだろう。

 序列6位、王岐山副首相は、実務派の実力者で、アメリカが頼りにする米中間のパイプ役である。
 おしまいに、中国外交部も、野田政権の「鈍感力外交」によって、発言力を失っている。
 中国外交部は、APECで野田首相と胡錦濤主席が会う機会を最後の交渉どころ と考え、日本側に「譲歩」を求めてきた。
 日本側は、応じなかったどころか、尖閣諸島 国有化を宣言したのである。

 中国外交部は、失望感を隠せず、いまや「反日スポークスマン」と化して しまった。
 中国に 「ネオコン体制」が誕生してしまえば、日本は隣に「巨大な敵国」を作ることになる。

--ここまで--

 反日を国是とする—か。
 まるで、日本の朝鮮系工作組織である朝日新聞のようなものだな。

 戦後レジームも完全崩壊し、今、日本は「極東の虎」だ。
 反日が国是の習政権 対 極東の虎   か。

 いい勝負かもしれないな。