▲朝鮮日報って、日本ならなにに当たるのかな。
読売とか朝日くらいなのかな。
まぁ、確か韓国では一番の大新聞だ。
そこがとうとう壊れてしまったようだ。
李韓国大統領についで、朝鮮日報が--か。
なるほど、韓国という国の大変動の先駆けなのだろうなぁ。
以下、日本の天皇陛下への韓国大統領の暴言をとりあげた記事から、大幅に抜粋。
日本の野田首相が李大統領に送った「抗議の書簡」(親書)が、対立をあおっている。
野田首相が李大統領に書簡を送った理由は、李大統領による独島(竹島)訪問だが、本当の理由は天皇を批判したこと。
「韓国による日王(天皇)批判に対応しなければ、首相の座を維持できないからだろう」と述べた。
李大統領は、韓国の大統領として初めて独島を訪問、この時点で日本の対応は落ち着いていた。
独島訪問を、 「独島の紛争地域化」に利用できると考えていたからだ。
ところが日本の雰囲気が急変するきっかけとなったのは、李大統領が行った天皇批判だ。
李大統領は、教師たちのワークショップで、独島訪問の感想を尋ねた際「『痛惜の念』などの単語を持ってくるだけなら、来る必要はない」と発言。
日本の政治家たちは「礼儀知らずだ」「無礼だ」などと批判。
野田内閣が追加の「報復措置」に着手したのも、天皇王批判が大きく作用している。
しかし韓国の立場からすると、天皇批判に日本の政界が敏感に反応する理由が理解できない。
韓国史から見ると、昭和天皇は1926年の即位後、日本が朝鮮半島を統治した時代に民族全体を迫害し、弾圧した人物で、太平洋戦争では韓国の若い男性を銃の盾とし、若い女性を日本軍の性的奴隷とした、まさに「特別A級戦犯」だ。
今なお南北分断も、昭和天皇が統治していた日帝時代の統治が原因になっている。
日本の王室に対し「韓国に来たければ、韓国の独立運動家が全てこの世を去る前に、心から謝罪せよ」と求めたわけだが、 これはある意味当然の要求だ。
李大統領による発言は、決して言ってはならない言葉というわけではない。
これまで韓国の大統領は、天皇を神聖視する日本の状況を意識し、天皇に関する発言を公の席では控えてきた。
こちらの方がおかしなことだ。
米国も同じだ。天皇が日本で占める立場を考慮し、戦犯の天皇には戦争の責任を問わず、日本の王室の存続を認めたのだ。
この背景から、今上天皇は歴史に対する遺憾の意を表明することで、 責任を回避することができた。
今上天皇は「平成」を年号として使用している。
『史記』の「内平外成」と『書経』の 「地平天成」から引用した平成という言葉は「世の中と日本内外の平和を願う」という意味だ。
日本の王室が訴える平和を実現するには、まずは心から過ちを認め、これに対する批判を受け入れる勇気から持たなければならない。
天皇は決して神聖不可侵ではない。
今上天皇は手遅れになる前に、ブラント首相のように膝をついて謝罪する写真を歴史に残すべきだ。
▲補足、感想など
1945年まで、現韓国人・北朝鮮人は、日本人の中に含まれていたではないか。
別に日本人は、韓国人と戦争をした記憶はない。
また、南北分断は、大戦後の昭和25年以降の朝鮮戦争の結果であって、日本人の知ったことではない。
この一連の事件の核心は、日本の皇室を批判することは、日本人の逆鱗に触れることであり、天皇陛下を侮辱することは日本人にとって最大のタブーだということにある。
過去、日本の天皇陛下が仮にも一国の大統領から侮辱された—ということは一度もない。
文字通り、始めてのことだ。そして日本人の殆どがこれを怒っているのだ。
確かに、野田さんなどが、肩をいからせて韓国を攻撃しているのは、もうすぐある衆議院選を睨んでということもあろう。
今、仮に韓国大統領を擁護するような発言をすれば、民主党は「惨敗」などというものではあるまい。文字通り、壊滅的な大敗北となろう。野田さんだってどうなるか—分かったものではない。
だから。
ここに至っては、と思う。
このブログで「賽はなげられた」と繰り返し書いた。
行き着くところまで行き着くしかない—とも繰り返し書いた。
朝鮮日報は、自分達の思うことを書けばいい。日王だろうが、なに—ブラントのようになんとか—好きに書けばいい。
日本人は、韓国及び韓国人など知ったことではない。
観光旅行とか修学旅行にいく人数など激減するだろう。計画があれば反対するし。
店舗で製品をチェックして、韓国製品ならば買わない。
韓国資本の例えばロッテとかソフトバンクなどの商品は買わない。
通貨スワップの延長・韓国国債の購入に反対する。
韓国人の日本への入国を厳しくしよう。
韓国系の人間の日本への帰化を厳しくしよう。
個人でできるあらゆる対抗措置を取ろう。