2012年8月7日火曜日

原発ゼロにすれば経済にプラスって。枝野さんの暴言。


▲民主党の枝野さんは、民主党議員の中では能力の高い人に入るだろう。
それでも、筆者には暴言としか聞こえないようなコメントをする。
それが表題の“いい”だ。
再生可能エネルギーなる言葉は、日本人特有のアイマイ語だという気がしてならない。
風力、太陽光、潮力等たくさんある。
しかし、どれをとっても、原発に代替するほど実用化したものは存在しない。
つまり、どれも今から数十年かけて、実用化へ向けて実験中なのだ。
もっとはっきり言えば、本当に使い物になるかどうかさえ分からないものなのだ。(今、はやりのメガソーラーもそうだ)
原発をゼロにするかどうかという議論は、これから20-30年の期間、原発を稼働しつつ深めていることだ。
今の時点で、原発ゼロなどという議論は、「暴論」としか言いようがない。
為政者が、簡単に発言すべきことではない。
そのあたり、枝野さんは国を率いるリーダーとしては口が軽すぎる。
以下、新聞から抜粋。

 枝野経済産業相は後記者会見で、 原発依存度を2030年時点でゼロにすることについて「日本経済にマイナス(の影響)と思っていない。
やり方を間違えなければ、むしろプラスだ」と述べた。
理由として、太陽光など再生可能エネルギー・省エネ設備の導入による内需拡大、技術開発に伴う国際競争力向上を挙げた。
 政府は中長期のエネルギー政策で原発をゼロにする案を含め三つの選択肢を示しているが、経団連などはゼロ案に関し、電気料金上昇による経済成長抑制の恐れを指摘。
再生可能エネルギーの大幅拡大にも現実的ではないとしているが、経産相は「実現可能」と反論。

▲補足、感想など
さて、筆者のひっかかる点って、一体どこなのだろう。
議論が大きく振れすぎるとでも言えばいいのかな。
文系の人の頭って、あまりによく回り過ぎる
稼働中は---原発は安全だというイメージを壊したくない。だから、原発の中に入るロボットなどを研究すると、安全神話を壊してしまう。だから、ロボットの研究開発をやめろとか。
一旦、原発で事故が発生すると、原発ゼロありきだ、理屈は後からついてくるというような話になる。
どこに核心があるのか。
枝野さんの意見に代表されるように、大衆に迎合するというか、大衆の意見・意向に余りに敏感すぎる。
余りに敏感に反応して行動・発言するため、ものごとの本質から外れてしまうとでもいえばいいのかな。
もう一度、筆者なりに自分の意見をまとめてみよう。
あ、20-30年後、2030-2040年頃になって原発ゼロにしようと決めるなら、それは正しい決定だと思える。
い、原発とか再生可能とかいう前に、毎日の通常の生活を維持するためのエネルギーをどこからもってくるかという視点で議論を進めるべき。
う、確かに福島の事故の被害は甚大だ。しかし、筆者はこの原子力というものを人類の手で制御できなければ、人類に未来はないと思う。福島の事故を踏まえて、更に安全な原発を日本人の手で開発すべき。
え、再生可能エネルギーとして風力、太陽光、潮力、地熱など様々にある。この実験設備を作るとか、様々に工夫することで経済が発展するという議論は正しい。
お、しかし、20-30年後に原発に代替するほどのエネルギー源となるかどうかは分からない。多くの試行錯誤の結果、廃棄設備だけが残ったという様になる可能性も高い。
か、従って、今後20年くらいは原発を主たるエネルギー源とする以外にない
同時並行して、再生可能エネルギーを様々に数年実験し、5-10年後に例えば地熱発電に絞って、国家プロジエクトとして原発と同程度のエネルギーを獲得できるところまで実用化する。(方向性として)
き、(あ)に戻って、原発をゼロにするか否かを判断する。
多少、矛盾したところもあるが、筆者の大体のイメージが分かってもらえると思う。
筆者は、枝野さんのように大衆受けのする発言をすることができない。
原発バンザイ →原発ゼロへ  という手のひらをひっくりかえすような発言はできない。
物事は、端から反対側の端へ飛んでいくというようなことはない。
原発というエネルギー源は、国家として大切なエネルギー源なのだ。
まず、そのことを直視しよう。
そして、毎日、通常の生活を維持して暮らしていけることの大切さを認識しよう。
それを支えているのが「エネルギー」であり、現在時点では原発・火力・水力発電などで賄われている。
普通の暮らしを維持するためには、もう、20-30年は原発に依存する以外にないし、上でふれたように代替エネルギー源の開発、探求のためにも原発でのエネルギー源維持が必要だ。
大切なことを繰り返そう。
まず原発ゼロありき---ではない。毎日の通常の生活ありきなのだ。その視点を忘れまい。