▲今秋の衆議院解散に向けて、各政党の動きが忙しくなってきた。
大阪の維新の会もいよいよ政党化するようだ。
それに対して、意図的なバッシングがあるようだ。
橋下さんが、議席を半分にしよう—とコメントしたことに対して、一段とバッシングが激しくなっている。
でもなぁ、と思う。
議席を半分にする—ってそんなに叩かれるような提案か。
この提案がなぜ「敵意をむき出し」にしたことになるのだ?
そういう表現をする方がおかしくないか。
議席を半分にする—という提案に対して、まともな反論を聞いたのは一つだけだ。
→議員数が減少することで、官僚による主導がもっと激しくなる、だから反対だ—と。
筆者はなるほどなぁ—と思った。
もう一度繰り返したい。
橋下さんの「議席数を半分に」というのは、一つの提案だ。
それがオカシイと思うなら、上で例示したように反論すればいい。
その反論が妥当だと判断するなら、国民はその方に投票するだろう。
記事で「敵意をむき出し」とか書いてあるが、一体なんのことだ?
以下、新聞から抜粋。
橋下徹大阪市長の国政進出が、いよいよ現実味を帯びてきた。
橋下氏率いる 「大阪維新の会」は現職国会議員5人以上に参加を呼びかけ、政党要件を満たす新党を9月中旬にも立ち上げる構え。
永田町では橋下氏の国政進出は「当然」との認識が高まっている。
橋下氏自身も最近になって衆院議員定数半減など過激な政策を打ち出し、既成政党への敵意をむきだしにしている。
▲補足、感想など
べつに、橋下さんは「敵意をむき出し」にはしていない。
たた、新しい構想(維新八策)を示そうとしているだけだ。
それを空理空論だと思うなら、そう批判すればいいことだ。
そのやり取りをみて、国民が自分の気に入る方へ投票するだろう。
これのどこがオカシイのだ。どこに「敵意をむき出し」にしているのだ。
上掲の記事は、国民をミスリードしてやろう—という作為があるすぎる記事だ。