2012年8月31日金曜日

河野洋平という人


河野洋平さんの父親は、政治家だった。確か建設大臣とかしていたなぁ。
当時、ドイツのアウトバーンのようなことを真似して、全国に無料の高速道路をつくろうとした。--昭和40年台の始め頃の話だ---その名残りが、関西圏の西名阪道路(国道25号線)だ。
河野洋平さんは、1970年代、自民党の若手のホープだった。
しかし、田中角栄さんの頃だったか、当時の自民党内の金権体質を批判して、西岡さんらと新自由クラブという政党を立ち上げ、自民党を飛び出した。
その新自由クラブも西岡さんらとの内部抗争でうまくいかなくなり、数年後解散して、河野さんは自民党に復帰した。
その頃からかなぁ。
この人、どんどんおかしくなっていった。
一旦、大口をたたいて自民党を飛び出して、復帰するということで周囲から「日陰者」扱いされたのだろうな。
 そんな状況の中で、記事にある「河野談話」なるものが公表されたのだ。
 以下、新聞から抜粋。

安倍元首相や松原仁国家公安委員長など日本の政治家たちが、慰安婦の強制連行を謝罪した「河野談話」の見直し・撤回を主張していることをめぐり、 1993年に談話を発表した河野洋平元官房長官は「(自分の)立場は談話を発表したときと全く変わっていない」と語った。
河野元長官の事務所関係者が、河野氏の見解を伝えた。
 同関係者は「最近の状況に非常に不満を感じており、日韓関係をとても心配している」と話した。
先ごろ一部の国会議員が、 談話発表の経緯や事実関係を確認するため河野氏の参考人招致を求めたことに対しては「正式な手続きを踏んで要請してくれば、国会で談話に対する立場を堂々と語る」とした。
河野元長官はまた 「日本と韓国は今回の事態にもう少し冷静に対応してほしい」と語った、と事務所関係者は話している。
 河野元長官は、2007年に当時の安倍晋三首相が「旧日本軍の強制連行はなかった」と主張すると、 インタビューで「慰安婦がなかったという議論をするのは知的に誠実ではない」と批判した。
また、 慰安婦の徴集命令を裏付ける資料がないとする右翼の批判には「処分されていたと推定できる」と指摘したほか 「私は信念を持って談話を発表した」「元慰安婦16人からの聞き取り調査で、 明らかに厳しい目に遭った人でなければできないような状況説明が次々と出てきた」などと語った。

▲補足、感想など
河野さんって「卑怯」な人間だな。
 えっと、河野さんがいくつか意図的にミスリードしようとしている箇所がある。
 安倍さんからの批判に対して、「慰安婦がいなかったという表現は--」云々という言い方をしている。
 慰安婦は確かにいた。民間の女衒業者(殆どは朝鮮系業者のようだ)による戦場出張慰安婦というのが正しいだろうが。
 問題の核心はそこにあるのではない。
河野談話の問題点の核心は、この戦場出張慰安婦について、日本軍との関連(強制してどうこう-と)を認めたことにあるのだ。
考えてもみよ。戦場出張慰安婦について、国が、日本軍がいちいち関与するわけもあるまい。
目ざといというか頭の回る女衒業者が日本軍があんなところまでいくなら、「女性達を連れていきますよ」という感じで行動したに決っている。
この談話にはウラがある。
いまでこそ、河野さんは記事にあるような表現をしているが、かっては違っていた。
韓国へいって韓国の政治家達と話し合いをしている途中、韓国の一政治家が河野さんに向かって「日本軍の関与がないことはわかっている。でもこの場だけでも認めてくれないか」と頼みに来たという。
そこで河野さんは、この場だけならと渋々、「日本軍の関与」を認めたと。
すると、やにわにこの政治家は態度を変え、それ「河野さんが日本軍の関与を認めたぞ」と大騒ぎしたと。---かっては、河野さんは以上のような説明をしていたのだ。
これはなぁ、と思う。
この場だけでもと騙(だま)した韓国の政治家が悪いとは言える。
しかし、こんなことを簡単に判断して、「認める」というところに「日本を代表している」という資質に欠けているだろう。
核心はこの部分だな。
河野さんは、この個人の「判断ミス」を「日本という国家」へなすりつけようと決心したのだ。
その「なすりつけた」結果の発言が、記事のような「表現」となっているのだ。
河野洋平という政治家は、よくよく「業の深い政治家」ではある。
上の一個人としての「判断ミス」が、日本人へ・日本という国家へ、やれ○○万人の性奴隷がどうとか、従軍慰安婦がどうとかという悪名というか、いわれなき悪しき評判を立てられ・攻撃を受ける「元凶」となった。
河野さんは、いい死に際はできないだろうな。
最後の最後まで、「売国・反日政治家」としての「悪名」を背中に貼りつけられたまま生きるしかあるまい。
政治家として悪しき「生涯」--まだ、生きてはいるがではある。