▲いや、なにかというと、中国人は世界で中国人街を作るのに—対して、日本人は--という文章だ。
どこらに核心があるのだろうなぁ。
これは—と思う。
日本人が日本人街を作らない—という「やり方」が普通なのではないか。
逆に、中国人が中国人街を作らなければならない—その理由が異常なのだろう。
ちょいと、書き込みをみてみようか。
--ここから--
2013/02/13(水)
いや移民でも問題なのは中国・朝鮮系だよ。
こいつらは、移民先の国の文化や地域に溶け込まず
チャイナタウンやコリアタウンを形成してくんだよ。
これが移民先の住人からすれば不気味なのは言うまでも無い。これで主義主張だけはいっぱしにするから手がつけれない
。
最後には差別ガーーーーーーーー
2013/02/13(水)
基本的に自分さえ良ければ他人はどうなっても構わない、ってのが、支那畜鮮人の古来より受け継がれし文化だからな。
今の支那の公害問題の根本的な原因もそれだし。
あんなキチガイ民族なんか受け入れるべきじゃないんだよ。
--ここまで--
基本的に、中国人は漢字に圧し潰され(20世紀始めで、識字率5%程度だ)、無学文盲のまま、世界へ押し出されていったのだろう。
無学文盲だから、集団で暮らさないと生きていけないという状況だったのだろうな。
カナダでの中国人の様子をみよう。
--ここから--
2013/02/03(日)
華声在線は記事「中国移民の悪習は多過ぎる?カナダの新移民政策は中国人を閉め出し」を掲載。
2012年はカナダの中国人移民締め出し年だった。多くの方がこの見方に賛同するだろう。
投資移民の道が閉ざされたのに続き、技術移民の規定も改定されハードルは大きく上がった。
語学力の基準強化、すべての海外学歴に認証が必要、47歳以上の場合は認定ポイントがゼロ査定になるなどの変更があったが、
中国人を狙い撃ちにした締め出し策であることに疑いの余地はない。
移民に寛容な国として知られるカナダが、なぜ中国人を閉め出そうとするのか。
第一にカナダ世論の要請だ。
中国人移民はカナダの社会福祉目当てのことが多く、国家財政にとって負担となる。
また、中国人の投資移民も現地経済にあまり貢献していないことが明らかとなった。
さらに新たな中国人移民と昔から住む中国系カナダ人との仲たがいも深刻になっている。
そして何より中国人の悪習。
所構わずタンを吐く、信号を守らない、公共空間で大声で話しタバコを吸う、何でもコネで解決しようとする。
こうした悪習は海外でもよく知られており、カナダに限らず米国、オーストラリア、シンガポールでも中国人移民を制限する政策が登場している。
こうなった以上、中国人は自ら問題を認識し、自分を変えていかなければならない。
--ここまで--
また、日本人の海外における行動様式についても文章があった。ご紹介したい。
--ここから--
2016年04月14日
日本人移民は帰化した国にたいして徹底的に尽くして、死んだらその国の土になるつもりでいってる人間が多いから、元の母国である日本に変な情をいつまでも持たないというだけ。
米国の日系人が戦争で祖国ではなく帰化した米国のために文字通り「魂かけて尽くした」ように、他のアジア人とは根本的に日本人の性質が違うだけ。
日本の帰化人の忠誠は元の国である日本にはなく、帰化した国に真実に存在するというだけ。
ペルーの人はきっと珍しくその中でも、少しだけ日本に親身な気持ちがあるというだけでしょう。
日本人自身はよそに行った元日本人移民に何も淡い期待はしていません。日本人は世界のどの国の民族よりも孤独だととことん知っています。
--ここまで--
日本人と中国人の「違い」のようなものが明確になった気がする。
で。
表題の記事を抜粋。
中国メディア・今日頭条は12月29日、「中国人は海外で中華街を作りたがるのに、どうして日本人は日本街を作らないのか」とする記事を掲載した。
記事は、「古くより中国人が海外に出る主な目的はよりよい生活をするため。
1人で出掛けて現地の足場を築いた後、家族や親戚、友人たちを呼び寄せて生活するのだ。
このため、海外では中国人による小さなコミュニティができやすい。横浜中華街がその典型的な例だ。
中国人の同郷意識は強く、今の日本では多くの省・市・自治区の同郷会団体が設立されている。 何かあれば同郷者に助けを求めるというのが、中国人の習慣的な思考なのである」と説明した。
一方で、「日本人の国家意識、民族意識は中国人とはいささか異なる。日本人は現地にやってくると速やかに同化して、現地人の生活に溶け込もうとする。同胞コミュニティづくりには消極的なのだ。
ハワイの人口の3分の1は日系人だというが、彼らは長年の努力を経て米国民となり、日本人としての血統をほぼ忘れてしまうのだ。
海外の日系人は、日本を離れたからには居住国を自らの祖国とし、その国の一員になることが責任であり義務であると考える。
シンガポールにはチャイナタウン、インドタウン、マレーシアタウンなどがあるが、明らかな日本人居住街というものは存在しないのだ」としている。
記事はそのうえで、「世界各地に散らばる日本人たちの生存能力は非常に強い。彼らはある種の信念や理想を抱いて異郷に足を踏み入れ、現地の一員となり忍耐強く生きていくのだ。日本人街、日本人コミュニティというのは、彼らにとっては余計なものなのである」とした。
何かの理想を抱いて国を飛び出した人の多くは、確かに現地で自国民と付き合うことを敬遠するかもしれない。
しかし一方で、企業の駐在員やその家族など、自分の意志で国を出た訳ではない人たちもいる。 彼らはやはり、中国の人びと同様日本人どうしのコミュニティーに身を置く傾向がありそうだ。
▲補足、感想など
冒頭であれこれ、日本人と中国人との違いにふれた。
やはり、根底にあるのは、識字率の差ではないのかな。
19世紀後半で、日本人の識字率70%、対して、中国人の識字率5% という違いは大きい。
日本人は、一人立つことができる。(その持つ知識で、技術で、見識で)
対して、中国人は一人立つことができまい。(殆どが無学文盲、無知蒙昧なために)
別の表現でいえば、日本人は、漢字の本来的なポテンシャルを100%引き出して、漢字かな交り文で効率的に利用できる民族。対して、中国人は漢字に圧し潰された民族。
その違いこそが、日本人が日本人街を作って、寄り集まる必要がなかった。対して中国人は、殆ど無学文盲で、寄り集まって暮らさなくては生き延びることができなかった—ということではあるまいか。