▲さすがに、英国の産業革命に200年も遅れる大ノロマ頭脳。識字率30%で国民の大部分が無学文盲。漢字オンリーの漢文という不完全言語を採用して漢字に圧し潰された民族ではある。
自国・自民族の歴史の余りの惨めさを直視できないために、あの文化大革命を「ないことに」するようだ。
以下、中国の新聞から抜粋。
3月から中国の中学校で使われる歴史教科書から、中国が混乱に陥った「文化大革命」の項目が削除される。
文革を発動した毛沢東の過ちを認める表現が削られるとみられる。
中国では政治的な問題を巡る発言への締め付けが強まっているが、改訂の是非を巡り批判や疑問の声が上がる。
中国は昨秋から「歴史」「国語」「道徳と法治」の教科書の改訂を進める。
以前は複数の出版社の教科書が使われていたが、この3科目は「重要で教育機能がある」として教育省が統一して監修する。新たな教科書では、愛国意識を養い、共産党が国を発展させた歴史を教えることに重点を置く。
注目を集めているのは、中学2年生向けの「中国歴史」。
現行版は「文化大革命の十年」という項目を設け、全国の学校や工場が閉鎖され、知識人らが迫害されたなどと説明。10日、新版とみられる内容の一部がネット上に流出、文革の項目がなかったことから騒動になった。
出版社側はすぐにコメントを発表。
文革については別の項目で採り上げ、マイナス面にも触れると。
しかし、流出した新版の内容で、現行の「毛沢東が誤って認識」との表現や「動乱と災難」という見出しが消える一方、「世界の歴史は常に曲折を経て前進してきた」との説明が追加。
改訂には、習近平国家主席の意向が反映された可能性もある。
習氏は2013年の毛沢東生誕120周年座談会で、文革の誤りを指摘し「個人の責任だけでなく、国内外の社会的、歴史的な原因があった」と主張。
「世界の歴史を見れば、どの国や民族もみな曲折に満ちている」と、毛への批判を和らげようとするような発言をした。
■「今さら覆い隠してどうするのか」
文革を研究してきた北京大学の印紅標教授がインタビューに応じ、この問題について語った。
中国で、文革の歴史を徐々にあいまいにしようとする問題は、昨日や今日に始まったものではない。教科書の言葉は穏やかなものとなり、マイナス面の内容は減ってきている。
理由は三つある。
まず文革は共産党の過ちであったということ。党のイメージの問題がある。党の統治の威信や合理性に影響するからだ。
二つ目は、団結のためだ。悪いことはすべて林彪や江青がやったとして団結が保てたが、弊害が大きくなっている。
最後に、文革研究は共産党の制度上の問題につながっていく。
中国国内で研究が制限される一方、海外では学術的なもの以外に、反共の人々も文革を研究している。こうした人々に文革の歴史が利用されるのを恐れる。
しかし、私には理解できない。1980年代、共産党は文革の歴史について過ちを正し、人民の支持を得た。それを今さら覆い隠してどうするのか。
将来、国内の人々は何も分からず、国外の人々だけが文革について語るようになれば、私たちは文革についての発言権を外国に渡してしまうことになる。愚かな政策だと思う。
どの民族も、過ちを犯すときがある。日本の侵略戦争やソ連のスターリン時代の問題などたくさんある。中国では文革がそうだ。
問題はいかにそれを正しく認識するかだ。
真剣に過去に向き合い、過ちを繰り返さないようにするならば、現在の人々が恥じることはない。
歴史を直視し、過ちをきちんと認めることができれば、私たちは必ず尊重されるはずだ。
■「文化大革命」をめぐる新旧教科書の違い
【現行版】
・文化大革命は単独の学習項目
・「動乱と災難」の見出しをつけ、原因について「党と国が資本主義復活の危険に直面していると毛沢東が誤って認識した」と説明
【新版】
・文化大革命は別の学習項目の中で説明
・「動乱と災難」の見出しは削除
・原因は「党と国が資本主義復活の危険に直面していると毛沢東が認識した」と説明し、「誤って」という表現を削除
・「人の世に順風満帆な事業はなく、世界の歴史は常に曲折の中で前進してきた」との説明を追加
・「中国の夢を実現するための努力奮闘」という学習項目を追加
▲感想、感想など
愚かというより、弱いのだな、中国人って。自分達の「惨めさ」を直視できないのだ。
せいぜい識字率1桁か十数%の世界の話か。
自分達の惨めな歴史が、漢字という難解な言語によって圧し潰された多くの中国人民によってもたらされた—ということが直視できないのだろう。
1960年代に駐日大使であった、ライシャワーさんが、1930年代の上海でみた中国人の惨めさを文章で残している。
無気力で、ボロボロの服を着て、よろよろ徘徊していると。
1930年代ならば、識字率5%の時代だ。
殆どの中国人が、無学文盲で、黄巾賊のような蛮族であったのだろう。
文化大革命が起こった1960年代ならば、識字率もせいぜい10%~20%程度であろう。
一説によれば、8千万人以上の文化人、職人、教養人を殺害し、中国という土地をまっさらにしてしまおう—という毛沢東のお花畑思想での改革であった。
この毛沢東という人の持つ思想ってどうも子供っぽいのだ。
大躍進なんてものもそうだろう。
まるで、子どもがオモチャで遊ぶごとく、製鉄をしようとか考える。
こんなもの、失敗するのが当たり前であろう。
そして、そのお花畑思想のまま、その延長で文化大革命なる「中国全土をまっさら」にしてしまおうという運動をやる。
まるで子どもの思いつきのような運動ではないか。当然失敗する。
結局、毛沢東主席の死後、1980年代、トウ小平というフランス留学組のまともにものが考えられる人物がでて、やっと改革開放政策が推進されるようになった。
一連の流れをみて、この中国人のもつノロマさって一体なんだろう。
共産党を創設した毛沢東という人のもつ能力に問題があったのではないのか。
おそらく、科学的な知識というものは殆ど無かったろう。
あるのは、お花畑のような原始共産制のような平等な世界というようなものを夢にみていただけであろう。
だからこその人民公社とかであろう。
つまり、これが毛沢東という人の持つ能力一杯の企てだったのだ。
中国人の識字率を上げる手段としての漢字の簡易化も、そううまくはいかないし、技術の導入もソ連からではうまくいかない。
毛沢東の能力では解決策が見えない—それが1950年代から70年代の中国だったのだろう。
毛沢東の知識の無さ、科学的思考のできなさが、彼の死ぬまで、中国という国家を停滞の中に置き去りにしてしまったということだ。