▲学問をし過ぎる、勉強しすぎる---てなことはありえない。
今、日本人は、16世紀の後半からほぼ400年を経過して、世界の最前線に立っている。
もう、日本人の目の前には産業革命組の先達の背中さえ見えない。
見本もない手本もない、いや、目標すらも定かに見えない薄闇の世界に突入している。
おのれの持つ眼と才覚のみを頼りにして、前進するしかないのだ。
世界の最前線に立ったとき、もう、己の頭脳に賭けるしかない。
ケッ、なにが、オーバーエジュケーションだ。馬鹿馬鹿しい。
以下、新聞から抜粋。
日本は「学歴社会」と言われている。
学歴社会とは、富や地位の配分に際して学歴が影響する度合いが高い社会だ。
日本の場合、25~34歳の高卒就業者の賃金を100とすると、同年齢の大卒就業者の賃金は144となり
、大卒の給与は高卒の1.4倍多い。
しかしこの相対値が高い国もあり、アメリカは170、チリでは261。
■学歴や序列さえも無意味な「新しい平等な社会」へ
学歴による差がほとんどない国もある。
ノルウェーでは、高卒者に対する大卒者の相対賃金は107、ほぼ同じだ。
学費が無償で大学進学率が高く、大卒の学歴の価値が下落している。
大卒者の割合と、大卒の相対賃金をとった座標上に世界各国を配置すると、大卒学歴の社会的性格が見えてくる。
1.大学を出ないとキツイ社会。アメリカはこのタイプに含まれる。
2.大卒学歴が稀少価値を持つ社会、チリ。先進国ではドイツが該当。
3.大卒学歴の重要性が認識されない社会:イタリアなど
4.大卒学歴の価値が下落している社会、北欧諸国、韓国。
日本は1番目と4番目のタイプの境界に位置、先どの方向に動くだろうか。
大学進学率(現在は50%)が上昇することで、高卒以下がマイノリティーになる。
想起されるのは、「オーバーエデュケーション」問題だ。
日本は、「今の仕事に求められる学歴よりも、自分の学歴は高い」と考える労働者の割合が世界で最も高い。
同世代の半分が大学に進学するが、大卒学歴にふさわしい仕事は社会に多くない。
各国の高等教育機関の修了者と、管理職・専門技術職の数を比較すると、前者が後者から溢れているのは日本と韓国。
日本では学歴と職業のミスマッチが起きている。高等教育にはカネがかかる、社会的に人材が不足しているわけでもないのに、それを拡大しようとするなら批判を免れない。
しかしグローバル化が進んだ現在、高等教育修了生の活躍の場は国内とは限らない。
韓国では大卒者の多くが国外に出ていくというが、日本もやがてそうなっていくのだろう。
縮小を続ける国内市場だけを見据えると「大学を減らす」方が良いということになるが、これからの人材育成は、国境のない「ボーダレス」社会を想定しなければならない。
高等教育の効果は、職業がどうかという経済面だけでなく、社会的な面にも及ぶ。
知識や教養ある人間が増えれば、道徳心が増して犯罪が減るなど、社会全体の公共心の向上につながる。
高等教育の社会的な効果について、計量的な研究が待たれる。
▲補足、感想など
ふん、と思う。
なんだこれは。ニューズウイークらしい。このヨタ記事。
書いている記者が、日本人の足をひっぱってやろうと企むエベンキ族の工作員なのだろう。
大学は職業訓練校ではない—という当たり前のことだ。
教養というものが、職業と直結しない—という当たり前のことだ。
そこに核心があるのではない。
冒頭でふれた。
日本人は、400年ぶりくらいに世界の最前線に立っているのだ。
手本もない、見本もない、目標すら定かではない—そういう薄闇の世界に突入している。
(筆者がこのブログでよくふれる水素エネルギー社会なんて、世界中をみても成功している組織、国など存在していない。だから。自分の眼と才覚だけを頼りにして、ここに力を注ごうとしているのだ。自分のカンを支えるものは、自分の頭脳だけだ)
(筆者がこのブログでよくふれる水素エネルギー社会なんて、世界中をみても成功している組織、国など存在していない。だから。自分の眼と才覚だけを頼りにして、ここに力を注ごうとしているのだ。自分のカンを支えるものは、自分の頭脳だけだ)
もう、己の眼と己の頭脳だけを頼りにして・賭けて、前進するしかないのだ。
この局面でこそ、教養というものが、学問というものが本来の意味をもってくる。
新しい仕事を創造する源泉は、培ってきた教養であり、学問なのだ。
困難にぶっつかった時、それに耐える力、解決する方向性を見出すのは、教養の力であり、学問の力なのだ。(卑近な例で言えば、福島の原発の事故後の処理のことを考えても見よ。それこそ、ありとあらゆる学問・知識を総動員しなければ処理の方向性すらも定まらないのだぞ)
日本は、次なる150年という新レジームに突入している。
19世紀後半、明治維新の際、100年遅れであったものが、以後150年で欧米列強に肩を並べ、これからの150年でぶっちぎりで、追い越し抜き去ろうとしているのだ。
学問こそ、教養こそ、日本人の・日本の活力の源泉だ。日本の「その他おおぜい主義」の真骨頂なのだ。
妙なヨタ記事に騙されるな。