2016年4月14日木曜日

反省しない日本がアジアと対立するとエベンキ族工作員。

反省しない—か。
 一体、なんのこっちゃい—という話だ。

 しかし、気持ちの悪い民族ではある。エベンキ族って。
 他者を僻(ひが)んで見る—ということしかできないのだな。
 これが恨(はん)とか言うのか。

 そう言えば、電車の中で「生きていて何が楽しいのか」てな表情をした人がいる。
 自分で楽しいと思わなければ、他者から近づいてもこない。
 人生は、自分の気持ち次第ではないか。

 他者を恨んだり、僻んだりしてみれば、他者も気分が悪い。
 コイツなに考えてるんだ? てな感じを受けて、近づくまい—とか思うのが当たり前ではないか。

 他者は、自分の鏡だ。

 以下、新聞から抜粋。

 日本の大学で国際政治を教えながら、話題の一つは日本をアジアと見なすべきかだ。
 アジアに属する日本について、いまさらと言うかもしれないが、日本自らもすっきり答えられない質問だ。
 日本はアジアと言いながら一方でアジアに対抗し、一員になることを拒否してきた。
 日本が考えるアジアと、他のアジア諸国が描くアジアは違うのが常で、隙間は広がった。

 今もアジアの先頭を走る日本だが、「過去のドロ沼」から抜け出せずにいる。
 過去、日本は韓半島を制圧し、アジアを構成しようとした。
 大東亜共栄圏だ。
 底辺にあるのは日本式‘アジア主義’と竹内が喝破したように侵略を装った連帯に他ならない。   
 日本はアジアを帝国主義から守るという論理でアジアを侵略し、進出と主張した。

 「アジアの帝国」を謳歌した日本は、米国との戦争に敗れると島国に縮んだ。
 憲法‘9条’は‘敗戦国’日本がどうにか再びアジアに戻るための最小限の条件だった。

 しかし、日本の本質は冷戦に便乗しながら再びアジアと対立することだった。
 韓半島が分裂して戦争に包まれたが‘基地国家’日本は冷戦の恩恵を受けた。
 日本は逆に被害者意識に陥った。

 日本は米国に負けたが、アジアには決して敗れなかった。
 日本が清算すると言いながら出した論理は投資であった。

 アジア各国はこの様な日本のアジア再進出を「新植民地主義」と言ったが、日本はアジアを助ける「優しい」国と自らを慰めた。
 戦後日本もアジアという地域概念にインドと太平洋を加えて自分だけのアジア像を描いた。

 日本の政治学者らは、日本のアジア外交を「失われた30年」と言う。
 1980年代末、日本が強い経済を持った時、本当にアジアに戻るべきだったが、そうならず残念だという意味だ。
 アジアに対する連帯と蔑視意識を同時に持ってきた日本の二重的姿はその根元が深いからだ。

 アジアに対する日本の態度は変わらなかった。
 日本は「失われた20年」を経験しながら米日同盟を強化し、再びアジアと対立したのだ。

 この傾向は安倍政権登場後、露骨化している。
 日本は「アジアの中の日本」と言うが「日本対アジア」という対決構図も捨てるつもりがない。
 こういう集団的非アジア認識こそ日本を戦争できる普通の国家に再び戻すものである。

 私たちは日本とどのようにつき合わなければならないか。
 日本は米国という共通の友人と北朝鮮という共通の敵を持つ韓国こそ大切な友人と言う。

 一面正しい。
 だが、中国や北朝鮮は私たちにとって同じ重さにはならない。
 さらには良い友人になるには何より信頼がなければならないが、日本と私たちの間ではアジアを見る視点から違う。
 韓国政府が軍事的に再び立ち上がる日本と握手をする姿を見守りながら違和感を感じるのは筆者だけであろうか。

 李東俊(イ・ドンジュン)北九州大国際関係学科准教授

補足、感想など

 もう、気持ち悪い民族だとしか言いようがない。
 この気持ち悪い民族に誰が近づこうとするものか。

 この准教授、アメリカのバージニア工科大学で銃を乱射した犯人と考えかたがそっくりだ。
 ものごとをひねくれてひねくれて、僻んて僻んてみようとする。

 僻むことで、ひねくれることで、自分を更に窮地へ窮地へと追い込む。
 乱射事件の犯人は、他者への恨み言ばかりを喚(わめ)いて、大学の友人(あぁ、犯人は友人とは思っていないのか)を射殺したのだ。

 もう、戦後レジームは完全崩壊した。
 日本を対米追従だというのは間違いだろうな。
 まぁ、アメリカという国は、gnp が日本の3倍あるから、ものごとを考えるとき、常に視野に入れて置かなければならない国であることは確かだ--

 中国、韓国とは、まぁ、お互いが嫌いあっているのだから、それなりのつきあいでいい—と考えているのに過ぎない。
 韓国は、関わらない、助けない、教えない—どうでもいい国だ。

 日本は、もう次なる150年という新レジームに突入する。
 それは インド プラス アセアン諸国 オーストラリア アメリカ などと枠組みの中で、共に発展しようとしているのだ。
 次の150年間、日本はこれに賭ける。