2017年4月30日日曜日

12000キロ、20日間、88個のコンテナで採算がとれるのか

ユーラシア大陸の西端と東端を結ぶ鉄道というものがある。
 中国から英国ロンドンを結ぶ鉄道輸送があって、表題はその最初の実績だ。

 時間はともかくとして、100個のコンテナも運べない「鉄道輸送」では、採算がとれまい。
 ななつぼしのような豪華列車で、30日間でユーラシア大陸を横断して、帰路は飛行機で—というような計画なら、もしかして採算が取れるかもしれないなぁ。(いや、分からないけど)

 以下、新聞から抜粋。

 中国と英国を直接結ぶ初の貨物列車が29日、中国東部沿岸の浙江(Zhejiang)省義烏(Yiwu)に到着した。英ロンドン(London)からの距離は12000キロで、世界で2番目に長い路線だ。

 この路線は、西欧との貿易強化に努める中国の現代版シルクロード構想「一帯一路」の最新例。
 世界最大の貿易国である中国は同構想を2013年に打ち出して以来、広大なインフラ整備に巨額を投じている。
 ウイスキーや赤ちゃん用ミルク、医薬品、機械類が積まれた列車はロンドンを今月10日に出発し、フランス、ベルギー、ドイツ、ポーランド、ベラルーシ、ロシア、カザフスタンを経て、20日間かけて義烏に到着した。義烏は消費財の卸売りの中心地だ。

 この新ルートはロシアの有名なシベリア鉄道(Trans-Siberian Railway)より長いが、2014年に開通した中国とスペイン・マドリード(Madrid)を結ぶ世界最長路線よりは約1000キロ短い。
 ロンドンは中国の国有鉄道会社、中国鉄路総公司(China Railway)の新貨物網で結ばれた15番目の都市。同社によれば、空輸より安く、海運より速いという。

 浙江省政府によれば、船で輸送するより30日短縮できるはずだが、今回の試験運行では予定していた18日間より2日多くかかった。
 義烏当局によると、「東風号」と名付けられたこの列車が一度に運べるコンテナは88個。
 コンテナを1万~2万個積載できる貨物船に比べてはるかに少ない。

 この野心的なプロジェクトのコストは明らかにされておらず、経済的に意味があるのか疑問を呈する専門家たちもいる。

補足、感想など

 ユーラシア大陸の西端と東端を結ぶということを考えた時、船便と鉄道便では、運べる個数が1万~2万 対 88 、時間が 50日 対 20日 か。
 ちょいと、運送という面では、船便に太刀打ちできまい。

 もっと、一度に鉄道で大量に運べる工夫をするとか、冒頭でふれた豪華列車での観光という分野を開拓するか—でなければ、おそらく、計画倒れになる可能性が高いな。



 

花見は、春への賛美そのもの

中国人って、捏造・コケオドシ・人食い民族ではあるが、賢いのもいるのだなぁ、と感心した。
 以下、中国人の文章から。

 春が近づくにつれ、日本列島は今年も、1年で最も華やかな桜の開花シーズンを迎えた。
 日本の古語で「桜の頃」は、「春の季節」を意味する。
 日本人の心の中では、桜の花は春を代表するものであり、お花見は、春への賛美そのもの。
 桜のシーズンが来ると、日本人は満開の状態からやがては散りゆく桜に酔いしれる。

 また、数多くの外国人観光客も、春の到来とともにもたらされる耽美を味わうために、続々と日本を訪れる。
 (文:叢雲峰。文匯報掲載)

〇皇室から一般庶民までこぞって狂喜
 日本のお花見の起源は、奈良時代に始まった花祭花宴に遡る。
 当時、日本の皇族は中国から伝わった梅を鑑賞する宴を催した。
 平安時代になると、お花見の対象が梅から桜に変わり、大規模なお花見イベントが登場した。

 日本の華道の始祖と言われている嵯峨天皇は、毎年春になると、「桜鑑賞の宴」を催し、それが伝統的な慣習となっていった。
 その後、お花見の風習は、皇族から貴族・武士に広まり、江戸時代に日本経済の発達と庶民の生活レベルが向上するにつれて、お花見が貴族階層から庶民に伝わり、宮廷から民間まであらゆる階層の日本人にとって最大の楽しみとなった。

〇散り行く桜に対する潔さに感嘆
 桜が昔から日本人に愛されてきたのは、春の訪れを告げる象徴であるだけでなく、あっという間に散ってしまう桜のはかなくも美しい生命と、その短い命が終わる時の静けさと潔さが日本人の心に響くからだ。

 春の訪れを告げる桜の木は、昔から日本人の生活に身近な植物だった。
 古代には、正確な温度観測データがなかったため、桜の開花は、農業で年に1度の種まきシーズンの訪れを告げるサインだった。
 特に、何もかもが枯れ果てる長い冬を耐えてきた人々は、早く春が訪れて欲しいという期待を、桜の開花に託したのだ。

 また、桜の木は、日本人が重んじる人生観と価値観を体現している。
 桜の開花はごく短い。蕾が膨らみ、花が咲き、散るまで、せいぜい1週間から2週間で、花びら11枚はとても小さいが、ほころび始めると全ての花びらが一斉に開く。
 開花後は、あっというまに花びらが雪のように地面に舞い落ちる。
 さながら生命が終わる瞬間のようで、渾身の力を振りしぼって有終の美を飾る。

 日本人は、桜から、短い人生に対する虚無的なセンチメンタリズムを感じ、潔く散る美しさに感動する。
 だが、それよりも、桜は、限りある生命の中で自分を最大限に生き抜く勇気という素晴らしい贈り物を、日本人に与えてくれる。

 桜が一斉に開花して咲き誇り、また一斉に桜吹雪となって散ることも、日本人の強い団体意識とマッチしている。
 もし山に12本しか桜がなければ、開花に対する思い入れもそれほど強くはならない。
 だが、川の土手に植えられた桜が一斉に開花するシーンは壮観であり、見る人を感動させる。

〇「お花見」シーズンに現れる日本の「もう一つの顔」
 「お花見」は法定休日ではないが、その熱狂ぶりは、全国的な祝日の祝典に決して劣らない。
 お花見シーズンが来ると、日本全体が普段と異なる動きを見せる。

 皇室と内閣総理大臣は、皇居のお庭で大規模な「春の園遊会」を開催し、各界で活躍した人々を招待、顕彰する。
 また、一般企業は、半日休みや終業時刻を早めにして、各種飲料や軽食を従業員のために準備し、付近の公園で、ともにお酒を飲みながら桜を楽しむ。
 勤め人以外の人々も、友達や家族とともに、お花見に出かける。

 このようにこの時季になると、普段は物静かな日本人が突然騒ぎはじめるのだ。
 都市部や田舎に関わらず、桜の木の下は、ありとあらゆる人で埋め尽くされる。
 このような賑やかで騒々しい感覚は、日本と日本人のもう一つの顔といえるだろう。

 日本の会計年度が4月から翌年の3月であることから、4月は新入社員が入社し、新入生が入学し、社員が転勤となり、退職者が新生活をスタートする時期にあたる。
 様々な人生と様々な感情が交錯する状況から、桜の木の下は、日本人が自分の気落ちを表現し、苦しみを嘆き、涙を流す最高の舞台となる。

 一本の桜の木の下に、親しい者同士が1年に一度集まり、その後バラバラに散っていく。
 一緒に食べ、飲み、歌い、踊り、泣き、笑い、その姿はさまざまで、普段は決して見ることができない。
 人々は春の情熱と楽しみを一緒に思い存分発散することは、生命と生活をめぐる日本人の一種独特の思考や文化を表現している。

補足、感想など

 うまい文章だなと思った。ここまで日本人の奥底まで理解できる中国人がいるというのは、ある意味、恐ろしいことではある。

 日本人の財産たる百人一首から「花」の歌をご紹介しよう。

 --ここから--
 
 久方の光のどけき春の日に しづこころなく花の散るらむ  紀友則
 人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香ににほひける  紀貫之
 もろともにあはれとも思へ山桜 花よりほかに知る人もなし 大僧正行尊
 花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり 入道前太政大臣

 --ここまで--

 ちょっと分かりづらいのは、花さそふ—かな。現代語訳をみてみよう。

 --ここから--

 花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
    ふりゆくものは 我が身なりけり

             入道前太政大臣

 ※桜の花を誘って吹き散らす嵐の日の庭は、桜の花びらがまるで
 雪のように降っているが、実は老いさらばえて古(ふ)りゆくのは、
 私自身なのだなあ。

 --ここまで--
 もう、千年も前の歌なのだが、今もって、日本人の心に響いてくる。
 なんだろうなぁ。これは---

 歌いつがれていくことで、日本人のdna まで滲み込んでいくものか。




2017年4月29日土曜日

名探偵コナン、から紅の恋歌 2017/4 感想

最近の日本のアニメにせよ、映画にせよ、日本という国のガラパゴス性を充分に意識して、観客として外国人等存在していない・知ったことではない—という雰囲気をみなぎらせている。
 そして、ターゲットとしては確かに日本の国民のみを狙っているのだが、その「日本人だけ」という部分が、逆に日本化した外国人からも支持されているように見える。

 今年の新海誠監督の「君の名は」なんていうのも、上でふれたように「観客として外国人がいる」なんてことをこれっぽっちも考えていないように見える。
 それでも、東南アジア諸国では随分の人気だったようだ。

 表題にあげたコナンの映画でも、今回は主材は百人一首と、カルタ競技であり、一層、日本人化した・日本人しか分かりはしまい---というアニメだ。
 まず、粗筋については、他者の感想を抜粋して転記したい。

 --ここから--

  京都と大阪で起こる事件を軸に話が進む。
 日売テレビでは百人一首界を牽引する「皐月会」が開催する会見が行われている最中に、爆破事件が起こる。
 ビルが崩壊する中、平次と和葉だけが取り残されるが、コナンによって救出。
 時を同じく、京都の嵐山にある日本家屋で、皐月杯の優勝者が殺害される事件が発生。
 そんな中、コナンたちは平次の婚約者だと言い張る大岡紅葉という女性に会う。
 彼女は皐月会に所属する競技かるたの高校生チャンピオン。
 そして、ひょんな事から和葉は紅葉と平次のお嫁さんをかけて競技かるたで勝負する事になる。
 一方コナンと平次は、大阪・京都府警と協力して2つの事件に関係する皐月会の捜査を始める。
 最後には2つの事件が重なって黒幕が判明。
 
 --ここまで--

 粗筋は、上記の通りだ。
 まぁ、見世物としてのアクションの部分も多かったのだが、中で百人一首の歌が、ちりばめられ・紹介されていて、話を「より深く」しているような気がした。

 例えば。

 --ここから--

 瀬を早(はや)み 岩にせかるる 滝川(たきがは)の
    われても末(すゑ)に 逢はむとぞ思ふ     崇徳院

川の瀬の流れが速く、岩にせき止められた急流が2つに分かれ
 る。しかしまた1つになるように、愛しいあの人と今は分かれて
 も、いつかはきっと再会しようと思っている。

 --ここまで--
 百人一首という日本人の財産とでもいうべき「和歌」が、映画の筋とは直接関係はないのだが、映画の「陰影を深め」ていて、観客の心を揺さぶるものになっている。





お笑い、中国崩壊論なんて成り立つ訳がないとさ

ふ~ん、コケオドシ・人食い民族の中国人の言っていること、言っている内容なんて、マユツバに決まっているじゃないか。
 表題を誰が言っていると思う?
 人民日報が言っているのだぞ。

 さぁ、いよいよ危なくなったという証拠だろうな。
 いかな、国土が広大な中国でもチベットの奥地に、「金のなる木」がどっちゃり生えているということはあるまい。

 以下、新聞から抜粋。

 2017426日、人民日報が中国経済崩壊論は成り立つ訳がないとする記事を掲載。
 記事は、過去20年にわたって「中国経済崩壊論」が幾度となく言われ、ハードライディングするなどと主張する専門家もいたが、これらの予言は一度も当たったことがない。
 中国経済は崩壊するどころか、目を見張るような「中国の奇跡」を生み出してきたと論じた。

 そして、中国経済の長期的な発展の傾向は基本的に変わっておらず、この先の中国経済はさらに健全で持続的に発展すると主張。
 世界経済の成長にも大きく貢献し、経済構造からみても中国経済の質はますます良くなっており、ここ数年は国民総生産(GDP)成長率65%前後を維持していて、中国が目標とする「小康社会」が実現していると論じ、中国経済崩壊論などは全く成り立つ訳がないと主張。

 これに対し、中国のネットユーザーから「そんなに深刻とは思っていなかったが、人民日報がこう言うということは…」「人民日報がこういう記事を出すとは、本当に経済はダメなんだな」などのコメントが寄せられ、政府系メディアの報道を信用していないようである。

 また、「失業のことは職場を離れると言い、崩壊のことを新常態と言う」、「中国経済は崩壊しなくても、民衆の経済はすでに崩壊している」などの皮肉を込めたコメントも多かった。

補足、感想など

 個人でも国家でも、どこでも追い詰められるとこうなるなぁ。
 先の大戦で、日本軍が退却のことを転進と言ったとか—で、戦後散々嗤われていたなぁ。
 これと同じだろう。

 どこに核心があるのだろう。
 日本の場合なら、借金といっても国債のことだ。日本円を増刷すれば返却できる。
 中国の場合、一部は西欧諸国の金融機関からの借金であろう。
 ユーロで返金しなければなるまい。
 返せなくなれば、そこでデフォルトだ。
 この違いを認識しているか?

 宮崎さんの記事をみてみよう。

 --ここから--
2017/03/28()

 中国経済は無数の爆弾を抱えている。リーマン・ショックを越える超弩級のバブル崩壊が射程に入ってきた。
 異様な住宅投資、不動産バブルの破裂、地方政府の債務不履行、企業倒産が続き、鉄鋼や石炭、レアアースなどの企業城下町では数万人規模の暴動が起きている。

 軍人30万人削減が発表されて以来、旧軍人の抗議デモが北京のど真ん中で起きた。
 野放図な鉄鋼、アルミ、セメント、建材、板ガラスなどの過剰生産と在庫は経営を圧迫するが、国有企業の効率的な再編は遅れに遅れている。

 債務不履行を避け、不動産バブルの炸裂を回避するために、過去2年間、中国当局が採用してきた政策は、西側資本主義では考えられない無謀さを伴った。
 「株式市場への介入」「『株を売るな』という命令」「空売りをしたら手入れをする」…。
 そのうえで、巨額資金を証券会社にブチ込んで株価維持政策(PKO)を展開した。
 株は人為的な操作で維持されている。

 外貨準備を減らさないために、資本規制という禁じ手を用いる一方で、外貨交換は年間5万ドル(約560万円)以内に制限した。
 そのうえ、「銀聯カード」の新規発行停止。500万ドル(約5億6270万円)以上の海外送金を許可制として事実上禁止し、海外旅行に出ようと銀行に両替に行くと、「ドルはありません」と言われる。

 日本企業も、中国からの利益送金が来なくなって悲鳴を挙げている。
 一方、当局に寄せられた新規マンション建設の申請は、合計34億人分と発表された。
 中国の人口は14億人だから20億人分の空部屋をつくるという計画だ。
 住宅への異常な投資が過去の中国GDP(国内総生産)を成長させてきたが、昨年師走の「経済工作会議」で習近平国家主席が、次の注意をしたのだ。「住宅とは人間が住むものである」と。

 究極的に中国の債務は30兆ドル(約3376兆円)とされ、銀行の不良債権問題が浮上する。
 人民元の大下落は時間の問題である。
 「上に政策あれば、下に対策あり」というのが中国人の特性だから、庶民が何をしているかをみれば次が読める。

 人民元暴落を見越して、昨年までは海外の不動産「爆買い」を続け、外貨が規制されると人民元で購入できるトヨタ自動車の高級車ブランド「レクサス」や、スイスの高級腕時計「ロレックス」、仮想通貨の一種「ビットコイン」、「金塊」買いに狂奔している。
 大混乱は必至である。

 ZAKZAK 宮崎正弘

 --ここまで--

 最終的に3000兆円を越す債務ということか。宮崎さんの説明では、不良債権の額も1300兆円ぐらいになるのでは--と予想されていた。
 
 ちょうど一年前かな。中国経済は蟻地獄という記事があった。その一部をご紹介。

 --ここから--

 李氏自らが認めたように、中国のGDP(国内総生産)統計は水増しが多く、信頼するに値しない。
 「電力消費量」と「銀行融資残高」「鉄道貨物輸送量」の3つのデータを重視するとした。

 となると、計算上、電力消費量が40%、銀行融資残高が35%、鉄道貨物輸送量が35%として振り分けられる「李克強指標」で見ると、 7%成長をうたう中国のGDPは、本当のところ2%前後しかない。
 電力消費量は横ばい、貨物輸送量は10%のマイナスだからだ。
 「実質はマイナス成長」に陥っていると推定できる。

 中国の抱える債務はGDPの282%である。
 2015年末に400兆円、16年末に600兆円の償還時期がくるが、返済は無理。
 つまり借り換え、分かりやすくいえば、ギリシャのように「証文の書き換え」が目の前に来ているということだ。

 5兆円にものぼった中国国富ファンドの日本株保有も、いつのまにか手元資金不足に陥って、静かに売却していた。
 なぜなら、日本企業の株主リストは公開されており、豪のオムニバス・ファンド(=中国国富ファンドの別動隊)の名前が見つからなくなった。
 中国は日本株をほぼすべて売却していたのである。

 あまつさえ中国は保有する米国債を取り崩し、備蓄した金も少しずつ売却している。
 次に地方政府の債券発行を認め、さらには住宅ローンの貸し出し分を担保の銀行融資枠を拡大し、10月には銀行金利の上限も撤廃した。

 加えて、人民元建ての中国国債をロンドンでも売り出して、死に物狂いの金集めを展開している。  これは末期的症状ではないのか。

 --ここまで--

 もうすぐ、どこかの時点で、中国政府が人民元を買い支えられなくなり、人民元が半分ぐらいまで暴落する時点がくるということなのだな。

 たしかに、そうなれば、中国及び世界は混乱状態になるということか。

 結果として。
 西欧の金融機関が有する金融債権をアメリカのハゲタカどもに売り渡せば、たちまち、中国全土にハゲタカどもが舞い降りてこよう。
 おぉ、想像するだに恐ろしい。

 

 

2017年4月28日金曜日

技術は、ハッタリ・コケオドシではない。その2

中国の殲なんとかという戦闘機の記事があった。
 記事を読みながら、あぁ、中国人って急ぎすぎているなぁと感じる。
 なぜ、こんなに急ぐのだ?
 あぁ、他者から「大ノロマ」と言われるからか。

 でも。
 揚子江をせき止めた、なんとかダムたって、リスクの高い建造物であろう。
 そのリスクの高さに比べて、なにほどの下準備というか影響力調査のようなことをやったと聞いていない。

 遥かな昔、万里の長城というものを見たことがある。
 山の斜面にあれほどの連続した構造体を造るというのは、相当な技術の賜物とは思える。
 しかし、いかにも全体の構想を、丁寧に検討したものとは思えない。
 つまり、地図の上に、線を引いて、ここに連続して構造物をつくれ—と皇帝に言われたら、はいはい--と言って、そのまま造ったとしか思えない。
 そういう構造物だ。

 三峡ダムもそんな感じがする。
 国威発揚のために、揚子江をせき止めてダムを作ろう—というプランを偉いさんが言ったら、後は、いつ出来るか--だけなのだろう。
 場所の選定とか、どういう構造にしたらいいのか—とか、仮にリスクが高まったとき、どう対応するか--なんてなにほども検討していない。

 ここらあたりだろうな。核心は。
 殲なんとかという戦闘機もどこかの国から、設計図だけの盗んだものだろう。<中国製のpcとかソフトなんてあぶないものだらけだ>
 図面さえあれば、この通りに作ればいいのだろうと、そのまま真似というかパクってしまう。
 日本車のエンジンをリバースエンジニアリングするという感覚と同じか。

 形だけ真似をしても、中国人に苦手な「冶金」の部分等が真似できまい。
 で。
 戦闘機のエンジンが使い物にならない。
 つまり、技術として薄っぺらいのだ。

 以下、中国の新聞から抜粋。

 中国は第5世代戦闘機「J-20(殲-20)」を開発中だが、米戦略国際問題研究所(CSIS)はJ-20について、「以前は想像すらできなかった空中戦の選択肢を中国に提供する」と分析している。
 中国国内でも2017-18年ごろに実戦配備が始まるとみられるJ-20を高く評価する声は多い。

 たとえば、「米国のF-22にも対抗できる先進的な戦闘機」、「F-35を含めて、米国が輸出しているいかなる戦闘機に対しても、圧倒的に優勢」「J-20の実戦配備で、武力による台湾の『解放』が可能になる」と。
 しかし、香港メディアの鳳凰網は、J-20に対する海外メディアの評価は「まちまち」であり、J-20を脅威とする報道もあれば、「ほとんど脅威にならない」とする報道もあると紹介している。

 記事は、J-20を脅威とする報道の一例として、「J-20は台湾のF-16、日本のF-15、ベトナムのSu-30などよりかなり優れており、台湾のF-16VはJ-20に対応できず、あっという間に制空権を失う」と分析する見方もあると説明した。
 一方でJ-20を「ステルスの皮を着せたJ-10」として、「ほとんど脅威にならない」と分析するメディアもあると紹介。

 脅威にならないと主張する根拠は、たとえば新型戦闘機にとって必須とも言える「超音速巡航能力」がないこと、エンジンの推力が深刻なほど不足していること、ステルス性能に大きく関わる赤外線放射の低減や弾倉設計に欠陥があることなどが指摘されていると紹介した。

 記事はJ-20を称賛し過ぎるのも批判し過ぎるのも良いことではなく、ただ事実に即して評価を下すのが賢明だと結論を下しているが、J-20に対する評価は非常にまちまちであるのが現状だ。  実戦配備が始まれば、その実力のほどがより鮮明に見えてくるだろう。

補足、感想など

 実戦配備?
 冒頭でふれた。
 技術に、ハッタリコケオドシは、通用しない。

 盗んできた図面どおりにつくっても、細かいノウハウがあちこちにあるのだ。
 冒頭でふれたように、日本車のエンジンを分解して、そのままパクっても同じようには動かない。
 仮に同じように動くなら、もう、中国メーカーのエンジンは自社開発のものに切り替わっているさ。

 切り替わらないのは、同じに造っても、同じようには動かないからだ。
 日本と中国との間には、100年間の技術格差があるのだ。
 そんな技術格差が、簡単に埋まる訳があるまい。

 中国人のやり方—について、日本人が批判していたな。
 なにかを他者から習うということを、日本人は守破離という段階で理解する。

 --ここから--

 日本の場合、守破離の守破の段階が徹底される。
 特に中国の場合は見切りが早すぎて直ぐ離れるからクオリティが維持できない。

 韓に至っては守すら怪しい。いきなり簡単な道を選ぶ。

 --ここまで--

 中国人の場合、守→破 はそこそこできるが、離れるのが早すぎるといっている訳か。
 中国人は頭が良すぎるのだろうな。
 地道さ・繰り返しに耐えることができないのだろう。

 でも。
 最前線に立てば、もう、パクリはできないぞ。
 先行者がいるからこそのパクリなのだ。




2017年4月27日木曜日

なぜ、日本は中国を敵視するようになったのか

敵視ねぇ。
 確かに、日本固有の領土である尖閣諸島を強奪にくる--というのは敵と言ってもいいか。
 まぁ、それでも日本人はコケオドシ・人食い民族の中国人を敵視するというほどでもないさ。
 中国人のカンチガイだろう。

 どうも、中国人って、他者と適当な距離を取ることができないのだな。
 まぁ、あの偏執狂のような報道官がコケオドシをしゃべっている国だから、他国と「適当な距離感」で関係を維持するということが難しいのだ。

 じゃ、敵視の反対ってなんだ?
 中国人には適当な言葉さえ見つかるまい。

 どうも、金盾という自分で情報を制限するツールの落とし穴に落ち込んでいるようだな。
 また、英国の産業革命に200年も遅れる「大ノロマ」民族であり、20世紀半ばに自国を守る武器すらも製造できない—という惨め極まる歴史をもっているからだろう。
 余りの惨めさに正視できないような歴史からの劣等感が、逆に他者に向かってのハッタリ・コケオドシの原動力となってしまうのだろう。

 中国人からすれば、民族の惨めな歴史からの劣等感を見透かされないように、他者にむかってハッタリ・コケオドシを言う。
 反対に、他者は、「この200年遅れの大ノロマが大口を叩く」—としか受け取らない。

 で。
 中国人は、日本人を始めとする産業革命組の諸国民に嫌われるのだ。
 これって、べつに敵視じゃないだろう。
 単に、ハッタリ・コケオドシ・人食い民族を「嫌っている」だけ。

 以下、中国の新聞から抜粋。

 現在となっては信じられないことだが、日本と中国はかつて蜜月と呼べるほど良好な関係だった時期がある。だが、近年の日中関係は冷え込み、政治・経済など様々な分野で競合関係にあると言える。

 中国メディアの騰訊大家は、故・小渕恵三氏が総理大臣だったころは日本政府が親中政策に傾いていたと主張する一方、21世紀に入ると親中政策は終焉を迎えたと指摘し、「日本はなぜ再び中国を敵視するようになったのか」と疑問を投げかける記事を掲載。

 日本人が今、中国を敵視するようになったのは「政治家の考え方」と「日本国内の一種の空気」によるものだとし、この「空気」が生じたのは、自国の経済や政治に失望した日本人が「新型のうつ病」を患うようになったことが理由だと主張。
 またその苦悶を吐きだすために日本国民は「社会の敵」を探し求めるようになり、たとえば日本はかつて「ゆとり教育」を社会の敵とみなし、また「官僚」を社会の悪の根源として批判したこともあったと論じた。

 そして、日本で尖閣諸島の国有化を実施したことで、日本国民は「中国を日本社会の敵とみなし、苦悶のはけ口とするよう強制された」と説明。

 また、これは第2次世界大戦後に米国によって抑圧されていた日本人の愛国心に訴える力もあったため、結果として日本国民が自分たちではコントロール不可能な「空気」が生じるに至ったと論じた。

 日本政府の対中政策の変化は個々の政治家の考え方と関係しているという分析があるなか、記事は自国の経済・政治に失望した日本人が社会の敵を必要とするようになったとき、折り悪く個々の政治家の考え方に引っ張られて中国を社会の敵とみなすようになったと論じている。

 だが、中国が近年、東シナ海などで挑発とも取れる行動を繰り返したり、度を超えた反日デモを行ったりしたことが日本で中国へのイメージが悪化した要因ではないだろうか。

補足、感想など

  そもそも、反日・反中の大元は、1980年代末、中国の天安門事件後、江沢民国家主席が、アメリカの日中離反工作に乗って、反日政策を始めてからのものだろう。
 だから、1980年台の半ば頃まで、別に反日も反中もなかった。
 まぁ、親中というほどではないとしても、平穏無事な時間が流れていたのだ。

 反日政策というものは、アメリカが仕掛けた日本と中国の経済を分離するという企てであり、同時に、江沢民国家主席にとって、天安門事件の不満(なんせ、数千人の学生達を、戦車で轢き殺しセンベイ状態にした)を日本人に向け、中国人のガス抜きをしたものだ。
 いわば、中国の中での共産党政権の自作自演なのだ。

 日本人にとって、中国人の「天安門事件抹殺工作」なんぞ、知ったことではない。
 天安門事件なんぞというものに、なんの関係もない日本人が「中国人の不満のはけ口」に勝手にされて、いい面の革だ。

 まぁ、日本人も2014年頃に、日本人弱体化工作である「戦後レジーム」が完全崩壊し、以後、日本人は、日本にいるevenki族工作員達(朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、その他地方紙のevenki族、テレビなら、nhk,tbs、テレビ朝日、フジテレビのevenki族局員、テレビで偉そうにしゃべるevenki族大学教授、国会議員、コメンテーター、日教組を中心とする義務教育におけるevenki族教師達、国歌を唱うことを拒否するevenki族高校教師達など)にだまされることはなくなった。絶対にミスリードされなくなった。

 上で、evenki族工作員にだまされなくなったと書いた。それは同時に中国人工作員達にもだまされなくなったということだ。

 記事にある「敵視」という言葉の意味が、中国人に「だまされなくなった」という意味なら、当たっているだろうな。

 その結果、次のようなことが起こった。
 日本と中国との間での戦時賠償問題にふれよう。

 1972年の日本の田中角栄首相と中国の周恩来首相との間で完全に解決済みだ。

 いまさら、日本は中国に対してなにをする必要もない。
 謝罪? 賠償? 南京大虐殺? 重慶爆撃? 731部隊? なにそれ美味しいのか。
 すべて解決済み。
 このすべて解決済ということを気に入らないなら、どうぞ、ハーグの国際司法裁判所へ訴えればいい。お好きにどうぞ。

 この日中間の戦時賠償問題が解決済みということを「なし崩し・骨抜き」にしてやろうと昨年の「三菱マテリアル騒動」のような悪巧みを企むなら、どうぞ、日本にいる中国人の尻の穴でも、☓☓でもなんでも喜んで舐めてくれようという媚中派の国会議員達へたっぷり、工作資金を渡せばいい。

 たっぷり工作資金をもらった媚中派の国会議員達は、「よし、オレに任せろ、オレが日本人をちょちょちょいとだまして、<ああ、中国様ぁ、日本人がなにもかも悪いございました。日本人の税金をたっぷり、たっぷり差し上げます>てな具合に言わせてやるよ。うまくいったら、お金をキックバックしろよ」てなことを言ってくれるかもしれないぞ。よかったなぁ。よかった、よかった。

 で。
 その媚中派の国会議員達をご紹介。

 --ここから--

 自由民主党
 二階さん、高村正彦さん、鶴保庸介さん、西村明宏さん、橋本岳さん、平井卓也さん、甘利明さん、松島みどりさん、後藤田正純さん、西村康稔さん、井上信治さん、愛知治郎さん、今津寛さん、大塚拓さん、鈴木馨祐さん、逢沢一郎さん、平将明さん、菅原一秀さん、左藤章さん

 --ここまで--

 最後に大事なことを繰り返そう。
 尖閣諸島は、日本固有の領土だ。日中間に領土問題は存在しない




 

小池東京都知事は、落とし所が分からない。その8

筆者は、基本的に小池都知事を責めているのではない。
 ただ、東京都という公共団体のトップとして、「判断が遅すぎる」と言っているだけだ。

 そして、その判断する—という内容が、外から見ていて、「豊洲移転」以外に考えられないという状況の下で、「自己保身のための大義名分を欲しがる」という姿勢がいかがか--と思うのだ。

 判断を後ろに後ろにすることで、多くの人間を巻き込み、意味もない多大な出費を強いられるということはおかしかろう—と思う。

 トップなのだから、「総合的に考えてこう決断した」という一言で済む話ではないか。
 それを、上でふれたように「保身のための大義名分」を必要とし、かつ、時間をかける—って、都知事というポストにいる人間として、「能力不足」を露呈していないか。

 以下、新聞から抜粋。

 豊洲市場への移転問題を検証する東京都の市場問題プロジェクトチーム(PT)は、都庁で会合を開き、築地市場を移転せず再整備する案と豊洲移転案を両論併記した報告書の素案を公表。

 築地再整備案は座長の小島敏郎弁護士らが今月公表した内容をそのまま盛り込んだが、複数の委員から「アイデアから抜け切れていない」などと実現性を疑問視する意見が相次いだ。

 築地再整備案は工費約734億円、工期を7年とし、営業を続けながら部分的に工事を進めると想定。
 これに対し、日本建築構造技術者協会会長の森高英夫委員は「10年以上かかる案だ」と批判した。

補足、感想など

 築地再整備なんて、単なる思いつき、ホラ話に近い。
 なんどでもいいたい。

 小池都知事は、「保身」のためのなんとか委員会の「大義名分」を欲しがるな。
 組織のトップなのだから、「総合的に考慮して、こう判断した」--という「一言」で済む話を、ずるずると引き伸ばすな。

 自分の保身なんてほっておけ。
 一番大切なことは、どうすることが「東京都民」にとって、役に立つか—ではないのか。





2017年4月26日水曜日

なぜ、日本は発展したのか---と中国人

資源もないし、国土も狭いのに---ということらしい。
 この答えは簡単だ。
 「識字率の差」、「日本語と中国語の差」---だ。

 考えても見よ。
 日本は江戸時代でもはや70~80%の識字率を誇っていた。
 対して、中国の識字率は20世紀始めでもせいぜい一桁、現代時点でも40%を切る程度だろう。
<因みに、日本人は20世紀半ばでほぼ100%だ>
 また、日本語の漢字かな交じり文と、漢字オンリーの中国語とを比較してみれば、その「使い勝手」の差が明白ではないか。
 こんなものが、そもそも、比較になるものか。

 以下、中国の新聞から抜粋。

 世界第2位の経済大国となった中国は今なお経済発展を続けている。
 中国経済は広大な国土と莫大な人口という「規模」を背景とした強みはあるものの、まだ「質」が伴っていないのが現状だ。
 特に中国の経済成長は投資が牽引する歪んだ構造となっており、抜本的な改革が必要な状況だ。

 中国から見れば、日本は国土が小さく、人口も少ないうえに天然資源もほとんど存在しない国だ。
 にもかかわらず、日本は先進国として世界第3位の経済規模を誇ることが中国人にとっては不思議で仕方がないことのようだ。

 中国メディアの今日頭条はこのほど、国土も人口も資源も中国より圧倒的に劣っている日本は「どうやってここまで発展できたのか」と疑問を投げかける記事を掲載、中国人ネットユーザーたちが論議を交わしている。

 日本が「どうやってここまで発展できたのか」という問いに対し、ある中国人ネットユーザーからは「日本人は保守的ではあるが、新しいものは積極的に試し、良いものはあらゆる方法を使って学び取ろうとする。
 昔は中国から学び、今は西洋から学ぶ優秀な学生だ」というコメントが寄せられた。
 つまり、自分から新しいものを作り出すのではなく、時代に応じて学ぶ対象を変えながら、自らを高めてきたという指摘だ。

 また、日本人の「集団主義の強さ」を指摘する声もあり、「日本人と中国人は1対1なら同等だが、3対3になると中国人はもう敵わない。
 中国人には協調性がないが、日本人は集団を優先し、集団で1つのことに取り組むことができる」という意見があった。

 同様の意見は多く、「中国人は1人なら龍に相当する力を発揮できるが、3人集まると虫けら程度の力しか発揮できない」とし、中国人はお互いに足を引っ張り合っているが、日本人は協力することができると指摘、こうした国民性が日本の発展につながったというコメントが見られた。
 他にも、「日本人が勤勉であること」、「ほぼ単一民族の国であり、まとまりやすいこと」など、国土も人口も資源も中国より圧倒的に劣っている日本が発展できた理由を「国民性」によるものと分析する声は多かった。

補足、感想など

 ふ~ん。
 いつまでたっても、この程度の理解か。
 なるほど、英国の産業革命に200年も遅れる「大ノロマ民族」だけのことはある。
 20世紀半ばで、自分の国を守る武器すらも作れなかった理由がよく分かるではないか。

 識字率が仮に10%だとすると、総人口10億人に掛ければ大きな数字となる。
 しかし、それは文が読める人が中国全土にバラバラにいるということだ。

 だから。
 ちょいと、そのあたりで、集まるという場合、ほとんどが文盲ということになる。
 一人文章が読めても、外9人が文盲だとすれば、もはや、話し合いにはならない。
 従って、砂のごとくバラバラになってしまうのだ。力を出せない理由がそこにある。

 また、この低識字率では、知性主義というものが成り立たない。
 北斗の拳ばりの暴力が支配する荒涼たる生き方となるのだろうな。

 また、中国語について言うなら、この漢字だけの文章ではこまかいニュアンスを伝えることができまい。
 大雑把な意味を伝えるということしかできまい。
 それでは、高等教育を実施するには不適当なのだ。
 はっきり言えば、中国語は欠陥言語だ。

 以上、2つの理由を挙げた。
 上の新聞が指摘している内容とは随分違うようだ。

 どちらが、真実を突いているのは、筆者には分からない。
 回答は、中国人自身が試行錯誤して確かめるしかあるまい。

 ただ、日本・日本人は、上で筆者がふれた「やり方」で、ここまで発展してきたのだ。



グローバル化というものが、お花畑であり過ぎた。西欧諸国

夢のような話に踊らされいて、ある日、ハッと夢から覚めた---という感じの話だろう。
 でも。
 夢から覚めてみると、そこにはコントロールもできないほどのムスリム達が、ゴロゴロしていて、治安は悪化し、経済はガタガタになりつつある---というのが、ヨーロッパ諸国だろう。

 なんという悪夢に踊らされていたのだ。
 フランスへの日本からの旅行者は激減した。
 これから、様々なマイナス面がでてくるだろうな。プラスの面がでてくるのには、随分の時間がかかりそうだ。

 以下、記事から抜粋。

 グローバル化(グローバリゼーション)について語られてから久しい。
 国対国の国際化とは異なり、国境を越え地球規模でヒト、モノ、カネが飛躍的に拡大することを意味するグローバル化は、政治史的には1991年のソ連崩壊をメルクマールとしている。

 世界銀行の世界開発報告書はこう記した。
 「世界大戦間に資本、労働、財の流れが制限され世界経済は分断化されたが、冷戦が終わった1990年以降にグローバリゼーションが加速し、制限が緩和され世界経済は統合化へ向かった」。

 そして、昨年からイギリスのEU離脱、トランプ政権の誕生、フランス大統領選において反EU、反移民を唱える「国民戦線」のルペン候補が決選投票に進出するなど、反グローバル化の政治潮流が鮮明になりつつある。
 グローバル化の流れを振り返ってみる。

 グローバル化を示す指標は何だろうか。
 地球規模のヒト、モノ、カネの移動量が、何年頃を境に次元の異なるレベルに達したかという点に着眼し、グローバル化の進展を時系列グラフを掲げる。

1990年代に急拡大したヒトの世界的移動
 ヒトの移動に関しては、移民数や観光客数が指標として考えられる。
 世界全体の長期推移が得られる前者の指標を見る。

 国連は、世界の将来人口推計の際に、将来人口推計の前提条件の1つとして、国外との流出入人口についての各国の過去の実績をまとめる。流入から流出を差し引いた純流入数なので、先進国地域ではプラス、途上国地域ではマイナスとなる。各地域内の国家間の流出入は相殺されている。

 先進国への純流入(年平均)は1980年代までは100万人台前半のレベルであったが、1990年代前半には一気にそれまでの2倍以上の250万人を越えるレベルへと急拡大。
 直接のきっかけは、ベルリンの壁崩壊(1989年)、ソ連崩壊(1991年)、ユーゴスラビア解体(1992年)といった東西冷戦体制の終焉を告げた諸事件。
 これらに伴い、途上国から先進国への人口移動のレベルが、まるで断層のように拡大を示した。

 ヒトの移動の拡大は、政治事件や内戦に伴う一時的な人口移動が収まった後も世界的に高いレベルの状態が続いた。
 欧州への流入増は、1990年代後半以降にややレベルダウンしたが、欧州に代わって北米などの流入増が拡大し、先進国全体の純流入のレベルは維持された。
 また、欧州においても東欧からの流入はピークを過ぎたが、これに代わって中東や北アフリカからの流入が増えたため、流入レベルは拡大基調にある。

 このように高い流入者レベルが継続したため、欧米先進国では移民人口比率は上昇を続け、今では軒並み10%を大きく上回る。
 日本の純流入数は、外国人の流入が増加した1990年代以降でも、5年ごとの年平均でせいぜい10万人と人口規模に比べて少なく、移民人口比率は1%台に過ぎない。
 反移民感情の高まりは、外国人流入の少ない日本では想像できないような政治環境を生み出していると考えられる。

✦拡大したモノのグローバル化は2000年代後半に横ばいへ
 モノの移動は、貿易に伴う物資の移動量を取り上げる。
 代理指標として貿易額を見る。世界全体の貿易額(ここでは輸出額)の対GDP比の推移を追った。

 世界全体の貿易規模は、1960年代以降、一貫して拡大。
 1960年前後にはGDP10%台前半だった貿易額は、2008年には30.8%とピークを迎えている。拡大のテンポに着目すると1990年代後半から急拡大がはじまっている。
 顕著であるのは、リーマンショック後の世界不況による落ち込み幅が、大きな減少幅となった点である。
 モノの移動において、グローバル化は、「レベルの上昇」と「変動の激しさ」という側面でインパクトを世界経済に与えている。

 そして、リーマンショック以降は、横ばい傾向が顕著となり、貿易規模の拡大というグローバル化は限界に達したかのごとくである。
 TPP(環太平洋パートナーシップ)協定がトランプ政権の誕生によって頓挫したことにも、その限界が現れたもの。

✦カネのグローバル化は急拡大と激しい変動が特徴
 3番目に、カネの国際移動である。
 カネは、海外事業を展開するための直接投資によって、どれだけ国境を越えてカネが動いたかの推移を追った。

 対GDP比で見た直接投資規模(投資の純増額)は、1980年代半ばまでは0.5%水準であったが、日本では1980年代後半から急拡大し、2000年には4.1%にまで達した。
 1997年からのアジア通貨危機、ロシア財政危機、ITバブル崩壊などを経て収縮したが、再度、2007年の5.4%まで急上昇した。

 ところが、2008年にサブプライム住宅ローン危機、リーマンショック後の世界金融危機が世界経済を揺るがし、2009年には2.1%まで再度急落した。
 その後、2011年には2.9%まで回復した直接投資規模が、欧州債務危機を背景に再度2014年には1.9%にまで落ち込んだ。

 貿易と直接投資の動きの推移を見比べると、リーマンショック後の世界金融危機は、実物経済を大きく巻き込むようになった点が新しい事態といえる。
 グローバル化したカネの動きは、突如の過熱と急なクールダウンが特徴だが、ここで見てきた直接投資は企業の生産活動と結びついているだけに、まだ安定的な方である。

 直接投資の規模の推移については、こうした変動要素を除いて見る限りほぼ横ばいに過ぎなくなっているようである。
 日本においては、東芝、日本郵政と海外企業の大型買収の失敗が相次いであらわになっているが、世界的に見ても直接投資の拡大による企業成長に限界が訪れていると解することが可能なのではなかろうか。

✦グローバル化の光と影がもたらす先進国における国民意識の亀裂
 ヒト、モノ、カネのグローバル化の指標は、1990年代前半から、レベルがワンランク・アップしていることが確かめられた。
 それとともに、特にカネの動きの変動の激しさによって、ヒトやモノといった実物の動きが大きく左右されるようになったことがグローバル化の側面である。

 また、ヒト、モノ、カネのグローバルな移動量の拡大によって、社会や経済を発展させるには、ヒト、モノ、カネのそれぞれで限界が近づいている可能性が高いと見て取れる。
 自国第一主義を掲げる保護主義への回帰の動きが見られるとしたら、それは、グローバル化がもたらすメリットが小さくなっているからに過ぎないからなのであろう。

 グローバル化についての変化が、人々の意識に影響を及ぼしているかについて、国際意識調査の結果からデータを紹介しよう。

 フランス、ドイツ、米国という欧米主要先進国3ヵ国の合計で、階層ごとの世界市民意識についての意見を掲げた。ここから、グローバル化との関係で階層ごとにどう意識が異なるかうかがわれる。
 何に着目するかで、3つの読み取りが可能であろう。

1)どの階層がグローバル化の利益を享受しているか
 「そう思う」が上層階級で多く、「そう思わない」が下層階級に多いことから次のようにいえる。
 上層階級は、裕福な自国出身者を含めてグローバル化の利益を得ているので世界市民でありたいと考えている。
 かたや下層階級は、グローバル化はむしろ不利益を生んでいると感じているので、反グローバル化の政治潮流を支持する意識が強まっている。

2)同じ階層の中で意見の対立が強くなっているか
 上層階級では「そう思う」が多いが、同時に「どちらかといえばそう思う」や「どちらかといえばそう思わない」も多い。
 一方、下層階級では中間的な立場は少なく、「そう思う」や「そう思わない」という両極の意見の人が多い。

 こうした点から次のようなことがいえる。
 上層階級では中間的な意見の人が多いが、下層階級には移民系住民も多い反面、グローバル化のマイナスの影響を受けている者も多いため、世界市民派と自国ファースト派という意見の対立が深まっている。

3)国や世界との関係で自分を位置づけているか
 「どちらともいえない」あるいは「わからない・無回答」が上層階級に少なく、下層階級に多いことから、次のように言える。
 上層階級は世界の市民と考える人も多いし、反対に国の一員としての自覚のある人も多い。
 これに対して下層階級は、毎日の生活に追われ、世界の市民だとか考えている余裕がない。
 難民問題、経済危機、国政選挙などで社会情勢が緊迫すると、こうした下層階級が特定の政治潮流へ急に傾く可能性が高い。

補足、感想など

 筆者には、この記事の核心部分が見えない。
 どうやら、保護主義への回帰は、グローバル化によるメリットが小さくなったためだ—と解釈すべきだ--と言っているようだ。

 でも、それは、難民騒動の一面だろう。

 --ここから--

2015/10/22
 ポルトガルからスウェーデンまで、欧州諸国は統治が難しくなりつつあり、経済改革の実行は一段と難しさを増している。
 金融危機が長引いた結果、各国の政府は弱体化し、政権内の分裂も深刻化しているためだ。

 それに拍車をかけているのが、中東やアジア、アフリカの内戦や貧困から逃れようと欧州に殺到する移民・難民の存在だ。
 難民らの大量流入で反移民を掲げるポピュリストが勢いを増し、伝統的な政党が失速している。

 難民の流入が深刻になる以前には、中道右派政党がユーロ圏金融危機の恩恵を受けて支持を集めてきた。
 ところが今では、急速に台頭する極右政党や欧州連合(EU)懐疑派の主張を無視できなくなっている。

 米銀行シティの世界政治担当のチーフアナリストは「欧州では全般的に経済が成長を再開しているが、伝統的な政党以外のものを求める声が強まっている」と指摘。
 「その背景にあるのが、政府のみならずエリート層全般に対する不信感だ」と話す。
 今年に入って実施された西欧の選挙では、ギリシャを除いて財政緊縮策の導入を主導してきた中道右派政党が勝利する例が大半を占めた。
 ただ勝利はしたものの議席を減らすなど、中道右派の退潮も鮮明になっている。

 総選挙があったカナダの例でも示されたように、経済面の成功が必ずしも政治的に報われるわけではない。
 欧州の多くの国では、経済ではなく難民への警戒感が投票行動を左右するようになっている。
 シティのフォーダム氏は「今後の欧州の選挙では、経済ではなく難民問題が主な争点になる」と見る。

 ドイツではメルケル首相の支持率が難民問題を受けて低下していおり、フランスでは反移民を掲げる国民戦線が国民の人気を集めている。

<極右に引きつけられる有権者>
 金融危機後の今日の欧州で見られる政治的な両極化や、2大政党制の崩壊について考える上で、ドイツのIFO経済研究所が最近公表した調査リポートが興味深い。
 これは過去140年間にわたって、金融危機後に20カ国の先進国で行われた800以上の選挙を分析したものだ。
 リポートによると、金融危機後に政府が軒並み弱体化した結果、危機の解決がますます困難になるケースが顕著に見られたという。

 リポートは「主な発見は、金融危機後には政権与党が議席を減らし、両極化が深まる中、政治的な不透明感が高まることだ」と指摘。
 「有権者は危機後、問題の責任をマイノリティーや外国人に押しつけることが多い極右の主張に引きつけられるようだ」と分析。
 実際、調査リポートによると、極右政党は金融危機後の5年間に実施された選挙において、得票シェアを平均で30%も伸ばしていることが分かった。

 リポートは結論として、有権者は金融危機後、国粋主義や外国人排斥を主張する極右の主張に同調しがちになり、政治的な分裂拡大で統治が一段と難しくなり、デモが急増することが多いとした。
 ユーロ圏債務危機からまだ十分に回復しない段階で、第2次世界大戦後以来で最大規模の難民が押し寄せている現状を踏まえると、調査リポートが指摘しているようなトレンドが今回も起こる可能性は大きい。

<既存政党の退潮鮮明>
 ユーロ圏債務危機に苦しんだポルトガルの政局を例にとると、今月実施された総選挙では中道右派連立与党が勝利したものの、過半数議席は確保できなかった。
 議席をわずかに伸ばした野党の社会党は現在、政権獲得に向けて共産党や急進左派との連携を模索しているとされる。

 スペインのラホイ首相が率いる与党の国民党は、12月20日の総選挙で過半数を大幅に割り込む可能性が高いと見られる。
 このように、欧州の多くの諸国で政府が弱体化すれば、難民の受け入れを国民に納得させることがさらに困難になる。
 その結果、難民支援の金銭的な負担をめぐって、他のEU諸国との対立が激化しかねない。

 専門家らの多くは、亡命・移民受け入れ政策の大胆な改革がユーロ圏に必要だと訴えるが、政治力が低下すれば改革の実行はおぼつかないだろう。
 欧州政策センター(EPC)の調査ディレクターは、今後数年のEUの政治に期待できることはせいぜい「後手後手に対応しながら、何とかやっていく」くらいだと語った。

 --ここまで--

 上は2015/10時点での記事だ。
 では、最近はどうか。スウェーデンを例にとってみよう。

 --ここから--

 2017.03.21
 ニュースサイトが「ブライトバート」。右翼的サイトと米国では認識されているが、その「ブライトバート」で、スウェーデンの国防省が発表したレポートについて記事を掲載。

■「パラレル・ソサエティ」化するスウェーデン
 「ムスリム批判は絶対に許されない」移民が侵食するスウェーデンのパラレル・ソサエティ化が深刻すぎる。
 「Breitbart」の記事より
 公表されたこの「国防省レポート」は、まず、「ムスリム同胞団のような反民主的組織の排除を目的」に書かれたと述べている。
 続いて、スンナ派イスラム主義組織のムスリム同胞団がスウェーデン社会内に密かに浸透し、組織や政党を立ち上げ、「パラレル・ソサエティ」を構築しようとしていると主張。

 パラレル・ソサエティとはスウェーデンの文化と融合せずに、イスラム文化をスウェーデンで育む共同体だ。
 そして、スウェーデンの「ポリティカリーコレクト」つまり中立性を重んじる文化がある意味災いして、この風潮を支持する様相になっていることを指摘。

 さらに記事が訴えている問題点は下記。
 「ムスリム同胞団活動家が目指しているパラレル・ソサエティの構築によって、スウェーデンは国家の社会的一体感の面で長期的な問題を抱える」
 「アフリカと中東からの移民は親族の招聘や難民のかたちで、今後も継続して増える可能性がある」

 --ここまで--

 西欧諸国に難民としてもぐりこんだムスリム達が、スウェーデンでなにをしようとしているかが分かる。
 これが、上の記事のような「グローバル化のメリットが小さくなったため」の保護主義なのか?

 そうではあるまい。
 ムスリム達が、国内で10%程度を越えるとどのようなことが起こるか---如実に示している。
 かれらは、郷にいっても絶対に郷に従わない人達なのだ。郷のものがオレ達のやり方を受け入れろ—とのみ言う人達だ。

 彼らの恐ろしさを直視せよ。