▲なにかというと、中国車の性能が、いつまでたっても、日本車に追いつけないのは何故か、と問うているのだ。
日本車に追いつけない—か。
まぁ、特にはエンジンだろうなぁ。
これはなぁ、と思う。
日本車も模倣から始まったのはその通り。
日本と中国の差は、実は英国の産業革命に100年遅れか200年遅れかの「100年の差」にその核心部分があるのだ。
どういうことかというと、20世紀の半ばあたりに、「産業革命組においつけるか否か」という境界線があったのだ—と日本の技術者がコメントしていた。
20世紀の半ばあたりで、なんとか自動車も飛行機も作れるレベルに達していたもののみが「追いつき可能」であったという。
だから、日本人は確かに100年遅れではあるが、なんとか間に合ったと。
20世紀半ばでは、中国人には自動車など作るべくもなかった。
つまり、「追いつき可能なタイミング」を逸してしまったというのだ。
以下、中国の新聞から抜粋、
毎年1月に開催され、2週間かけて9000キロの荒野を走破する「ダカール・ラリー」。
三菱自動車は1984年から参戦し、成績を残してきたが、2009年を最後にワークスでの参戦は行っていない。
中国の自動車産業は往々にして「パクリ」と批判されてきたが、中国では「日本の自動車産業だって当初は模倣から始まった」という意見が存在する。
中国メディアの今日頭条は、三菱パジェロをはじめとする日本車について「中国と同様、模倣から始まったはずなのに、日本人がダカール・ラリーをなぎ倒すことのできる車を作れたのはなぜだ」と題して記事を掲載。
記事は、三菱自動車の中国市場における販売は決して好調ではないとしながらも、WRCのランサーエボリューションと並んで三菱を代表する自動車が、「ダカールの覇者として最もよく知られた」パジェロだとした。
パジェロは、米国のJEEPをベースにして開発したもので、記事はこれを「模倣でのし上がったという点では中国車と同じ」と主張する一方、残した成績は中国車と大きく違うと論じた。
ダカール・ラリーは完走できれば勝利したのも同然と言われるほど過酷なレースだが、パジェロはプライベーターとして初参戦した1983年に総合11位という「素晴らしい成績」を残した。
翌年から「ダカール・ラリーを統治」したと言わせるほど上位入賞の常連になり、1992年には1位から3位までを独占、翌年も再び優勝を飾った。
その後も優勝、もしくは、2位か3位という上位を常にキープし、2001年には初の女性優勝を成し遂げ、2001年から2008年まで7年連続優勝、2002年にいたっては1位から8位までを独占するという偉業を達成したと紹介した。
その後、2009年を最後にレースには参戦していないが、記事は最後に、「いつになったらあの鮮やかな赤のレースカーを見ることができるのだろうか」と、三菱のラリー再参戦を期待して結んだ。
中国でもパジェロは警察車両などによく使用されており、よく知られた車種だ。
記事は「パジェロを始めとする日本車は模倣から始まった」と主張しているが、仮に当初は模倣や参考があったとしても、パジェロがダカール・ラリーで品質の高さを証明したように、中国の模倣とは大きく異なると言わざるを得ないだろう。
▲補足、感想など
同じ模倣から始まったものだけれど、最先端の技術の進歩に追いつけるか否かには、タイミングがあるということだろうな。
産業革命に200年も遅れるような中国人には、少なくとも、エンジンで日本に追いつくことはできまい。
別に、筆者は、偉そがって言っているのではない。
技術というものは、そういうものだ—ということだ。
ハッタリ、捏造なんぞとなんの関係もない。