▲勝てないから—か。
まぁ、強弱はそうかもしれないな。
でも、日馬富士関が引退した理由は、そんなところにあるのではない。
相撲は、日本の神事から出発して、江戸時代に発展し、現在に至ったものだ。
世界中のありとあらゆる格闘技の中で、一番、「稼げる格闘技」となっているようだ。
稼げる格闘技である理由は、それだけ観客が多いからだ。
この「観客が多い」という部分に着目してほしい。
そもそも、土俵という舞台と、例えば「押出し」という形で勝負がつく—という点などの着目してほしい。
江戸時代において、日本人は楽しめる格闘技を作り上げるため、ルールとか見せ方を工夫してきたのだ。血を見ない—なんてものもそうだ。
長くみても飽きない・面白い—そういう格闘技を作り上げてきたのだ。
そして、上位になればなるほど、横綱相撲などいう名称で別格のうまさ、品格を要求してきた。
こういう長期間において、少しづつ日本人の「好みに合う格闘技」に仕立て上げたのだ。
こうして、日本人が愛し、支持する相撲というものが継続してきた。
相撲は、日本人に支持され、愛されることで、続いてきたし、「稼げる」ものとなった。
「強いだけ」では、日本人は支持しない。
横綱は横綱なりの、大関は大関なりの「相撲のうまさ」と「行動の品格」を要求してきた。
今度の日馬富士関の引退について、外からは「日本人が勝てないから追い出した」と見えるのかもしれない。
上でふれたように、核心は、「相撲がこれからも日本人に愛され支持されるための措置」なのだ。
その行動に「品格」が欠ける横綱には、やめてもらうしか無い。
そうでなければ、日本人にそっぽを向かれるからだ。
以下、新聞から抜粋。
大相撲の横綱日馬富士が引退を表明したニュースは、故郷モンゴルでも大きく報じられた。
「英雄」の突然の引退に、多くの大相撲ファンらはやりきれない思いを抱えている。
「とても感謝している。僕が日馬富士を守る!」
ウランバートル市内の団地に住むイルムーン君(8)は、28日、記者にこう話した。
その願いもむなしく、引退が現実になった。
4歳のころ、心臓に重大な疾患があると診断された。
モンゴルで心臓病の子供に医療支援する日本のNPO「ハートセービングプロジェクト」の助力でモンゴルを訪れた日本人医師の診察を受け、昨年12月に日本人医師による手術を受けた。
NPOに日馬富士が深く関わっていることを知ったのは、その時だ。
NPOによると、日馬富士は日本人医師がモンゴルを巡回する費用を負担したり、自ら描いた絵の売却益を寄付したりしてきた。
イルムーン君の父親のロトゥバヤルさん(35)は「日本人医師と日馬富士は息子の命の恩人。日馬富士を許してあげて」。
▲補足、感想など
冒頭でふれた。
日本人だから、モンゴル人であるからなんてなんの関係もない。
日本人に長く愛され支持されるためには、「横綱という地位にそぐう品格と行動」が要求されるということだ。
横綱という地位に応じた品格にそぐう行動のできない横綱には、やめてもらうしかない—ということに過ぎない。
そのことに不満なら、モンゴルで相撲に似た興行をしてみれば分かる。
どれだけの人間が見に来るか?
日本における相撲というものが、これだけの観客を得ることができるのは、長い歴史と、その歴史によって作り上げられた「日本人に愛され支持される格闘技」であるからだ。
核心の部分を見間違えるな。