▲この事件、死刑囚の死刑執行までの流れと、執行されてからなんたら—となにか、奇妙な流れなのだ。
この奇妙さ、どこに核心があるのだろうか。
どのあたりから。
まず、上川法相の執行に賛意を表したい。
日本人を代表して、その責務を果たされたことを讃えたい。
えっ、なにか大仰なとか聞こえるか。
でも、民主党時代には、「日本人を代表する」という意味すらも理解できない無能な法相がいた。
江田五月さんなんて人は、法相に任命されたが、とうとう、在任中、死刑執行の命令をすることができなかった。
国会議員というものは、選挙区の国民を代表している。ましてや、法相とは日本人全員を代表しているのだ。
この「代表する」という意味が理解できないならば、そもそも国会議員になるなよ。
江田五月さんは、在野で死刑反対の国民運動を行えばいいのだ。
結果として、刑法が死刑廃止という形となって、はじめて「執行しない」という態度が意味をもつのだ。
いや、話がどこかにいった。
まず、新聞から抜粋。
2017/12/19(火)
元少年死刑執行:関係者の評価、分かれる
千葉県市川市の会社役員一家4人殺害事件(1992年)で強盗殺人罪などで死刑が確定した関光彦死刑囚(44)ら2人の刑が、執行された。
関死刑囚は事件当時19歳。
20歳未満を適用対象とする少年法は、事件当時18歳未満だった少年の死刑を禁じているが、18、19歳は許容されている。
同日執行を明らかにした上川陽子法相は事件の被害の甚大さなどから異例の執行を決断したとみられる。
事件当時20歳未満の少年だった死刑囚に対する刑執行は20年ぶり。
関係者の評価は分かれた。
i元大学学長は「事件の動機や犯行手口の残虐性、社会に与えた影響、被害者感情を考慮すれば、執行はやむを得ない。年齢だけで更生の可能性があると単純に捉えるのは間違い。今回の執行は評価できる」と。
日本弁護士連合会死刑廃止等実現本部事務局長のo弁護士は「少年は家庭環境や社会の影響を受けやすい一方で、成長によって変わりうる存在だ。少年時代に起こした事件の責任は、個人だけに問えるものではない。当時19歳の元少年への執行は望ましくない」と批判。
一方、関死刑囚の公判で弁護人を務めた弁護士は「コメントはしない」とした。
▲補足、感想など
上掲の記事では、犯行時19才であったことで、成長すればどうこう—という弁護士の姿勢と、犯行の内容を考えれば年齢は関係ない。執行は妥当だという元学長の意見に別れる。
まぁ、議論自体はおかしくないようにみえる。
これに、毎日新聞が反応している。
--ここから--
★おことわり★
毎日新聞はこれまで、事件当時少年だった関死刑囚について、再審や恩赦による社会復帰の可能性などが残されていたことから、健全育成を目的とする少年法の理念を尊重し匿名で報道してきました。
しかし、死刑執行により更生の機会が失われたことに加え、国家による処罰で命を奪われた対象が誰であるかは明らかにすべきであると判断し、実名報道に切り替えます。
--ここまで--
この犯罪史においても屈指の残虐な事件を詳細することは避けたい。
概要をさらっと、ふれれば。
--関光彦死刑囚(当時19歳・死刑時44歳)=千葉県市川市マンションの一室に強盗目的で押し入り一家5人のうち4人をサツ害、残る1人の、以前強カンして身分証明書を脅し取っていたJKを再び強カンし現行犯逮捕。--
事件の内容をしれば、19才という年齢でも、死刑に値すると誰しも判断するであろう。
ただ、冒頭でふれた「奇妙さ」の原因は、朝日新聞、毎日新聞の論調なのだ。
つまり、関という名称となっているが、もう20年前の戦後レジームの最中のこと。
evenki族か、その関係者なのだろう。その部分が、意識的に隠されているのだ。
で。
evenki族工作組織である朝日新聞、毎日新聞では、「国家による処罰で生命を奪われた」という、実に奇妙な? 文言が付随しているのだろう。