▲ネットに載っていた話題だ。
外国人が、日本の以下の精神性を真似出来ないかと問うている。
1.高度な文化
2.礼儀作法
3.国民の責任感の強さ
4.決して立ち留まらず、常に前進し続けようとする意気込み
こうした日本人の心の持ち方って、いったいどうやって出来上がったんだ?
何か秘密でも有るのだろうか?----と。
まぁ、アレコレ議論はしているのだが、その内容よりも、日本人自身の反応の方が筆者には面白かった。
それをご紹介して、末尾に筆者の感想を述べたい。
--ここから--
■いや、それだけで簡単に理解できると思ったら甘い。
一つだけ言えるのは、我々にはターニングポイント毎に偉大な人物が存在していたって事実。
彼等はそれぞれ、日本の行き先を決めて行ってくれた人達だ。私利私欲の為じゃなくね。
■日本人はオタク気質が旺盛なんだよね
何か一つのことに打ち込まざるをえない、駆り立てられるように道を求め極める性なんだよ。
だからなろうと思ってなれるものでもないし、逃れようと思っても逃れられない。
■外人に日本を紹介するなら、江戸時代が連邦国家であって、それが現代まで多大な影響を与えていることを説明してほしい。
■個人的に日本を形成してるのは島国である事と独特の美意識だと思ってる。
何を恥と感じるのか、人に迷惑かけたくないとか自分への戒めだったり、真実や事実を追求して練度を高めたり…そういうのがしっくりくるっていうか好きなんだ。
■>日本人が率先して何か変えようとしたことあるのかな?
日本が他国に影響を及ぼすような文化や政治を産み出さなかった事をいってるのかな?
地続きのヨーロッパがお互いに行き来し合って文化や政治を変えていった状況と島国でアジアの辺境にある日本とは、そもそも前提が全く違う。
それに日本史を少しでも理解していればそんな事は言えないと思う。
大化の改新、明治維新など日本人自ら決断して国を変えた。
そもそも近代、アジア諸国は欧米諸国の争いに巻き込まれて変化した国ばかりだ。今も欧米の産み出した文化・政治が世界を支配してるし。
■「彼等は完全なる集団主義者ルールに従いまくる」フランス。
この程度にしか認識出来ない頭の悪さ、自分を守る為にル-ルに従っているし、金の掛かった格好しててもボディガ-ド無しで自分の脚で行きたい所に行けるのが日本だ。
大多数がそう考えるから安心できるのに、この馬鹿の考え方ではイリジュウムの世界が現実になるし此奴は下界の住人決定よ。
■繰り返し起こる天災によって何度も飢饉に見舞われて来た結果じゃないかな。
冬を越すのに10人居て5人分しか食べ物の貯えが無いとする。
真っ先は老人、次は確実に育つか判らない幼子、次に出産能力が下がった女性。
それを差し引いた残りが春を待つ合理的な考え。
自然には逆らえない。
その自然に一時身を置かせてもらって、合理的に子孫を残して行く為には無情も受け入れて来た。平穏を感謝し、自然と結び付く神々が鎮まって居られるように祈り、其々に今あたえられた役割を受け入れて生き延びて来たんだろう。
■フランスの経済学者が、先週、日本モデルを真似したくても、我々はできない。
それはキリスト教が、欲望の文化だから、と説明していた。
日本モデルは、17世紀から続く停滞の文化のこと。停滞が機能しているのは世界で日本だけ。
日本は素晴らしいね。
■日本は相互監視社会が出来上がっちゃってるけど、マイノリティーには寛容だし、変な恰好のやつらも個性で通るし非難も排除されない。相互監視で不自由な感じがするけど、そのお陰で治安も良いし、他の自由を謳う国より自由に行動できる。結構自由で住みよい国だと思うよ、日本は。
■>>自然界に対する愛、単純さや質素や素朴(wabisabi)、高潔性等はこの時期に備わって行った。
中国の唐に質素や素朴な文化なんてないよ。
中国は朝廷の権力を誇示するためにいつも絢爛豪華で見栄を張らざるを得なかった。
高潔性が中国にあったら易姓革命なんて起きてないよ。
日本独自の美徳まで中国に起源求めるとか西洋人って何も知らない無知ばかり。
日本には1万5千年以上も戦争もなく平和な縄文時代というのがあってだな。
縄文人らは女系社会で武器は発明せず、首飾りなどの装飾品を作ってどんぐり栽培して、自然崇拝(神道は縄文時代から続く土着宗教)して集落作ってたんだよ。
神はアイヌ語でカムイ。
■基本はガイジンさんの言う通り、規範や強い者に従うのが好きな、無責任な民族。
それが国家の調和と平和の基礎になってる。
でも、最後の日本人が言うように、歴史のポイントではなぜか国の為に一人立つ天才が出てくる面白い国だ。
■保守派に対する風当たりの強さや保守的な考えに対して言うことすら憚られるような欧米社会や、毎日毎日これでもかというくらい馬鹿馬鹿しいネタを世界中に提供しまくってる日本の対比を見ても、東洋人が集団主義で西洋人は個人主義ってのは単なる偏見だろと思う。
そもそもこういう行動の違いが論じられるとき、まるで個人主義者は未知の領域や妨害をものともしない勇敢な者みたいに語るのもいかがなものかと思うが。
■日本人は正しさや勝つことより、自己犠牲的に美しく生きた者を称賛する。
これは西洋や中国とは大きな違い。外国人の多くは日本の自爆攻撃や切腹による自殺の美を理解しない。
多くはそれを弱さだと判断する。日本の男は近代思想を妄信している人以外は、彼らに対する英雄崇拝を頭の片隅に持っている。
だから、他国ほど自己中心的な行動を取らないんだと思う。
恥とかみっともないことはしたくないっていうのは日本的で、外国の多くでは戒律と法を行動基準としていることが大きな違いだと思っている。
■>頭に来てもグッと堪えるような文化が良いのか?
少なくとも、カッとなってすぐ銃に手が伸びてしまう米国よりは遥かに良い制度だと思うのだが。
日本で何か違いがあるかと言えば、普通の人、それこそ小さな会社の社長さんレベルが『世のため人のため』に仕事をしているところかな。
これはアメリカンドリームとかいう個人の利益追求とも、キリスト教に基づいた宗教者が行う善行とも違う。
個人が弱い、組織を優先し過ぎる、と欧米の人から見たら思うのかもしれないけれど、普遍的な善を為そうとすると個人の幸福なんて瑣末なものに見えてしまうからな。
この辺は仏教の『智慧』の概念が根底にあるのだが、残念ながらこれは体得するもので言語で説明できるものではないというね。
そして非言語的な方法でそれを継承する社会も中々ありえない話だ。
■江戸時代の町人文化の影響が色濃いとは思う
■エジプトだかの「改善」ってテレビがあって日本のいいところを学ぼうと小学校で小学生が自分で掃除をするところから教えてるらしいじゃん。
そういう小さなことから意識改革をしていったら日本みたいに「自分のことは自分でする。」
裏返しでは「自分のことは自分でやれ」になっちゃうけど、相手の領域に踏み込まない、踏み込ませない意識が沸くんじゃないかな?
それが電車やエレベーターの乗り降りとかの降りてから乗るとかの効率的な動きに結びついてて結果、他人に迷惑をかけないで効率のいい、つまり安全な社会になっていくんじゃないかなと思う。
■日本みたいに庶民が好き勝手して庶民文化がルールになってる国もめずらしいでしょう。
平安時代には女性が世界で初めての長編小説を書いて、しかも内容が帝の色恋沙汰のゴシップなのに宮廷から庶民まで連載の続きを楽しみにして、対立勢力の女性は今で言う人気ブロガーで萌えを綴って、帝まで男の娘して自分の黒猫がどれだけ可愛いか萌え萌え日記書いて、南蛮人がキリスト教を布教しようとしたら、そこら辺の普通の農民からキリスト教の矛盾を論破されて布教できずに、宣教師はローマのパパに泣きの手紙書いてるし、戦国時代には歌舞伎者出てきたり洒脱な鎧兜に拘る武士が出てきて、農民はお弁当持って侍達の合戦を見学して、江戸時代には寺子屋が一万件以上あって、農民の子も武士の子も同じように学んで、農民の暇潰しは他の人よりも難しい微分問題を作ること、庶民生活が派手になって幕府が「もうちょっと節約して慎ましく暮らしなさい」って御触れがでたら庶民は「おk、じゃ派手路線じゃなくてシックでカッコいい路線でお洒落楽しむわ」って粋って概念作るし、幕府が浮世絵のエロ規制したら庶民は「おk、人間と絡まなきゃいいんだな?w」って触手登場させちゃうし。
■日本人の高度な精神性は、もうネットでも何度も説明され済みだが、それをもたらしたものは、縄文初期から1万5千年も続く社会の継続性にすべてがある。
この1万5千年という期間は、中途半端な長さではない。
その間を生き延びて継続した社会は、他の生滅を繰り返した社会にはない何等かのものが成し遂げられている可能性が高い。
日本人の場合は、その長大な期間で何を成し遂げているかと言えば、これも様々にこれまで指摘されてるが、ずばり「人間発見」ということになるだろう。
日本においては「人の1個の命は地球よりも重い」という或る総理の発言が、素直に受け入れられたが、その時に他の国では「何を馬鹿なことを」と嘲笑されていた。他国では理解できないことなのだ。
西欧でも近代のルネサンスで「人間発見」が謳われて現在もその流れにあるが、まだ一般的には浸透はしていない。本当に浸透するには少なくともアト数千年はかかるだろう。
■「中国も文革がなければ文化と礼儀が残っていたかもしれない」
嘘、だってあの大陸は孔子が生まれる前も、孔子が教えを説いていたときも、孔子が死んだ後も、文化大革命の前も、今の中国と同じだったから。
あそこは古代から多民族国家で、支配した民族が他の民族を弾圧して搾取する歴史しかない。
そんな歴史だから大陸は古代から「力がある者に対して弱者は絶対服従」という中華思想が生まれ「正直者は間抜け、騙される方が悪い」「家族以外信用しない」という文化で礼儀もなにも有ったもんじゃない。
よく中国人と韓国人が「日本は強い者に平伏して弱者は踏みつける」って言うけど、あれは中華思想がそうだから日本も同じだと思ってる投影なんだよ。
日本はそんな中華思想が下品で嫌いで唐を野蛮な国と認定して国交を断絶したのに、中国人は「日本は唐を手本にした」と嘘をつく中華思想の厚かましさ…
それと似たような投影で西洋人の「日本人は権力に従順」ってのもあるよね。
あれは西洋の王様の多くが暴君で逆らうことを一切許さなかったから、日本も同じだったはずって思い込みなんだよ。
京都御所を見てご覧よ、古代から中世に至るまで君主の家があんなにセキュリティがユルいのは暴君じゃなかったから庶民から襲われる危険がなかった証拠。
庶民から恨まれてないんだから、庶民発のクーデターが起こるわけがない。
暴君に反逆した自分達の歴史を誇るのはどうぞ御勝手にだけど、日本みたいに名君が統治して幸せなら反逆する必要ないことを「従順」と馬鹿にして虚しくないのかな?
今の天皇陛下を好きな外国人は結構いるみたいだけど、日本の帝って破天荒な帝が何人かいた以外は今の天皇陛下みたいな文化の最先端のヒップスター系だったり、学者みたいなほのぼの系の感じなのに…何で反逆するの必要があるの?
--ここまで--
日本人からの様々な反応があった。
筆者は、やはり、--我々にはターニングポイント毎に偉大な人物が存在していたって事実。
彼等はそれぞれ、日本の行き先を決めて行ってくれた人達だ。私利私欲の為じゃなくね。--をとるなぁ。
来年は、明治維新150周年である。
日本人は、坂の上にかかる雲を眺めながら、明治維新から150年という歳月、坂を登りつづけてきた。
伊藤、大久保等の元勲達は、今の日本人を認めてくれるだろうか。