2017年12月31日日曜日

ひきこもり29年目という記事を読んで

社会的弱者と言ってしまえば、それまでだけど--
 もっと若い時に「打つ手」はなかったものか—と思う。
 また、老齢化したこういう「ひきこもり」をどうすればいいのか—社会的な問題が顕在化するだろうなぁと思う。

 まず、表題の記事から抜粋。

 平成とは、家族の姿が静かに、だが劇的に変わった時代だ。
 ひきこもる中高年の子どもを支え、老後を迎えても保護者の役割からおりられない。
 いま、そんな高齢の親たちが増えている。新たな家族危機だ。

 その86歳の男性は、最前列で熱心にメモをとっていた。
 元高校教諭。10月に東京都内で開かれた全国ひきこもり家族会連合会の全国大会に、泊まりがけで参加。
 長男は47歳。ひきこもりは1989年から続き、29年目になる。
 「あと3~4年の命でしょうが、ひきこもりの解決を考えることが使命。できるだけのことをしてあの世にいこうと思っています」

 深刻さを増すひきこもりの高年齢化。
 長男が心に変調をきたしたのは大学受験がきっかけだ。
 第1志望の国立大に不合格となり、不本意ながら別の大学に進んだものの、すぐ実家に戻った。
 以来、バブルの崩壊やIT社会の到来、大震災など、世の中が動くなか、社会との接点をほとんど持たずに生きた。アルバイトも続かなかった。

 男性の退職金も底をつき--

補足、感想など

 人間が暮らしていくとは、社会の中でなんらかの技で、糧を得て、他者と関係をもちつつ、生きていくことだ。
 ひきこもりという人達は、この「他者と関係をもちつつ」ということができない人達だ。
 劣等感にさいなまれ、生きる生命力が乏しい人と言ってそう外れてはいまい。

 どんな環境にあっても「生きたい」と思う力となると、筆者には戸塚ヨットスクールが思いつく。
 少し、戸塚さんの記事をみようか。

--ここから--

【戸塚宏氏は「体罰は教育だ」と言う】
2016.07.16
 いまや体罰は「絶対悪」の時代である。しかし、戸塚ヨットスクール校長で、過去の指導中に生徒が死亡したことで非難を浴びた 戸塚宏氏は、今でも体罰肯定論者である。
 その真意はどこにあるのか。

 今も、戸塚ヨットスクールは存在している。100人もの訓練生を預かっていた時代もあったが、今はわずか8人だ。
 昔は中学生ぐらいが中心だったが、今はいちばん下が高校生で、いちばん上は40歳代である。
 「50歳過ぎてから親に連れてこられるやつもいるよ。マスコミのせいよ。戸塚ヨットスクールに入れるような親は鬼だっていう書き方をするでしょう。だから、精神科やらフリースクールに行って、でも何ともならなくて、最後の手段としてうちにくる。その頃には、40歳とか50歳になってる
 5年前から、3歳から12歳までの幼児を対象に一週間前後の合宿「戸塚ジュニアヨットスクール」をほぼ毎月、開催するようになった。
 「結局、教育は幼児からやらんと手遅れなんだということがようわかった。幼児のときにきっちりやれば、あとは自分で自分を伸ばすことができる」

──著書には、体罰は肯定しているけど、事件後は封印した、とありました。

 「封印なんかしてないよ。違法じゃないんやから。そんな法律はない。体罰禁止は学校教育法の中にあるだけで、民法の中にはないんや。体罰を使った方が、この子たちはうまくなるということを知っとったもんで、うちは学校法人にせず株式会社にしたんや。でも、そうしたらマスコミは株式会社が教育をやるのはけしからんと言う」

──著書には、もう手は出していないと書かれていましたが。
 「してない、と言っとかないと」

──今回の記事で、今の発言を書いてもいいんですか。
 「いいですよ」

──子どもを預けに来た親には体罰を行うこともありますと言う?
 「親に対しては一切口を出すなって言う。うちの教育者たちはプロ中のプロやぞいう自負がありますから。うちのスタッフに比べたら、ほかの教育者なんてみんな素人よ。親は口を出さない。これが条件。口を出すんだったら、最初から預からない」

 狂信的な言葉に聞こえる。ただ、戸塚がここまで言う背景を顧みて辿り着くのは、私がかつて取材した強豪高校野球部監督の言葉だ。
 その高校は一昔前まで、素行が悪く、引き受け手のない中学生が最後に辿り着く場所でもあった。しかし不祥事があれば、事情を考慮されることもなく、あらゆる高校と同等に世間から叩かれる。
 「うちの学校の子と、進学校の子を一緒にしたらあかんわ。うちで煙草なんてかわいいもんやで。今の風潮だと、問題を起こす子は取らないのがいちばん楽。でも、そうしたら、どこにも行けん子はどうしたらええんや?」

 戸塚も「捨てる方が冷たい」と言う。戸塚ヨットスクールは原則的に、精神疾患者、知的障害者、自閉症の子以外にはすべて門戸を開いている。
 ただし、戸塚は今の時代に精神疾患と診断された子どもの8割が誤診だと言い切る。
 「学校が手に負えんやつに、みんな病名を与える。発達障害の子どもって、ものすごく増えてるじゃない。あんなのインチキや。そう言えば学校の責任じゃなくなるからでしょ。
 昔から、自分の子どもを精神疾患だと言われ、納得できない親がうちに連れてくることがよくあった。やってみると、10人中8人は治る。昔はそういう子どもを発達障害なんて言わんやって」

 秩序を守れない子どもたちへのレッテル貼りが進むと同時に、教育現場では「個性」が尊重される時代だという。
 「ニートまで個性だなんて言い出すから、日本の教育がおかしくなった。中学生の女の子が売春して、私の権利でしょと言う。おかしいよね。今の教育者は、子どもに恥をかかしちゃいけないって言うけど、悪いことをしたら引っぱたかれる。それがトラウマとなって悪いことをしなくなる。これが人間のあり方よ」

 個人的な体験になるが、私も学生時代、運動部の監督から体罰を受けたことがある。自分は動物じゃない、と思った。どんな些細な体罰であれ、私は反対の立場である。
 ただ、戸塚の意見を暴論だと簡単に捨てることができないのも正直な感想である。
 万能薬が存在しないように、ありとあらゆる子どもに通用する教育論などありはしない。そして効く薬に害があるように、効果的な教育には負の側面もあるのだろう。
 ごく少数だが、「体罰」というコミュニケーションが必要な子どももいるのかもしれない。

 体罰を容認するかしないは別として、教育を考えるとき「体罰=悪」と何でもかんでも一緒くたにするのではなく、そう思いを巡らせることができる小さなスペースぐらいは残して置いてもいいのではないか。

 --ここまで--

 筆者は、なんでもかんでも暴力だという名称で排除することに反対だ
 戸塚さんのヨットスクールで、生徒を海に放り込むということをやっていた。
 生徒達も、溺れ死にたくはない。だから、必死で手足をバタバタさせる。これこそが「生への執着」であろう。
 それが、生き残るための行動というか生命力の根源だ。
 生きるということは、こういうことなのだと思う。戸塚さんの狙いは、「生きようとジタバタする力」を引き出すということではないのかな。

 ついでに、ひきこもりといわれる人達の社会へ復帰することの難しさについての記事をご紹介したい。

 --ここから--

 内閣府が公表した調査によると、仕事や学校に行かず、6カ月以上家族以外とほとんど交流せずに 自宅にいる「ひきこもり」(1539歳)の人は、全国に約54万人いるとされる。
 外部との交流はあるがやはり仕事をしていない「ニート」を含めると、その数は確実に数倍になる。  もちろん、行政側も状況を認識し、職業訓練や就業支援をはじめとしたサポート体制を整えている。
 しかし、何年も、10年以上も社会とかかわりを持たずに過ごしてきた人が、外に出て働くということは、やはり簡単ではない。

■「ひきこもり・ニートの99%は就労できない」が現場の常識
 ひきこもり相談員として、ひきこもりの自立支援に従事した経験を持つiさんは、支援現場の常識は「ひきこもり・ニートの99%は就労できない」だと。
 多くの人が想像する「ひきこもり・ニートからの脱出」とは、「正社員として就労し、いずれ経済的に自立する」というプロセスだろう。
 国は、そのプロセスをモデルとして支援を行っている。
 しかし、仕事として多くのひきこもりやニートと接してきたiさんが、こういうケースに出会ったのはわずか一度。

 就労する意欲があっても「正社員」のハードルは高い。
 非正規雇用では、継続的に自立した生活を送ることができるか心もとない。そして、そもそも働く意欲のない人も存在する。
 ひきこもり・ニートにとって「正規雇用から経済的自立」というプロセスはかくも困難なものなのだ。

 --ここまで--

 上のヨットスクールの話になぞらえれば、海に放り込まれても、バタバタせずにそのまま沈んでしまうような人ということか。
 そんな人間って、存在しているのか。
 上でふれたように誰しも海に放り込まれれば必死でバタバタするだろう。
 それこそが、生命力だ。
 自立した生活ができないというなら、極限まで生命力が衰えているということだろうな。
 ちょいと、書き込みを紹介する。

 2016/10/21()
 何らかの特質する能力があればな。引き篭もりでも文学者にはなれるし やれる事は色々ある、時間もあるし 何も考えずダラダラしているなら意味が無い 。
 結局はきっかけ何だよ。最近は過保護すぎるからそのきっかけすら見失ってる。

 2016/10/21()
 ひここもりの何割かは自分が外に出ると悪口を言われているとか いじめられるという恐怖を持ってる、糖質に近い妄想障害や。大人のADHDだったりする。先に病院で治療しないと無理。

 次に、生命力が回復しないまま、年取った場合、なにか宗教と親和性が高くなるようだ。
 そんな話が書き込まれてあった。
 筆者が適当に抜粋する。

 --ここから--

 伯父1次男が一番本家宅に近かったから、否応なしに伯父1次男夫婦が食事の世話等してた。
それで伯父1次男嫁がキレちゃって実家に帰る。
 同じくブチギレの伯父1次男に対し、元凶の伯父3は涼しい顔で「瑣末事で大騒ぎしてまったく小人は度し難い。もっと大局を見据えろ」とかなんとか言いはなったそうな。

 伯父1次男は「のたれタヒね!」と言い放って以後伯父3の世話を放棄。
 で、結局どうしたかというと、今は変な宗教の人が本家(と言っても伯父3しか住んでない)に出入りして、伯父3の面倒を見てるらしい。
たぶん本家の土地家屋とかその宗教に吸い上げられるだろうけど、皆もうそれでいいやって黙認してる。

 --ここまで--
 なにか、年取ったひきこもりの周辺には、怪しげな宗教、怪しげな業者がたむろしている。
 最後に土地建物を取られる代わりに、最後までひきこもりの面倒をみる--というような宗教法人がでてきそうだな。