2018年2月20日火曜日

日本人が、中国のアニメをダメだと思う理由


このテーマ、何度も何度もでてくるなぁ。
 中国人にとっては「気になる」ことなのだろう。

 筆者に言わせれば、簡単なことだと思えるのだが---
 核心は、「物語」を作る能力だし、突き詰めれば「物語の数」だ。
 そして、その背景にあるものが、「巨大な混沌」だ。
 混沌ってなんだ?と聞かれても困る---戦争、経済、音楽、闘争、貧困、エロ、嫉妬、教育、政治、本能等等の文字通りの混沌だ。

 このあたりにふれた書き込みがあったなぁ。ご紹介したい。

 --ここから--

2011/06/21()
 資源が無くても巨万の富を産む(可能性がある)商売だから。
 ただし、全世界を見渡しても、 「物語を作ること」を商売に出来ている国は非常に限られている
  その数は産油国よりもはるかに少ない

 日本では一週間に商業の場で発売される「物語」の数は 漫画、TVアニメ、WEB配信作品も含めると ゆうに200作品を越える。たぶん、300作品くらいはある。
 この圧倒的な「数」が層の厚さとなって日本の創作メディア全体を支えている。
 この「数」と同じくらいの「何か」を持っている国じゃないと、 日本のマネゴトはできないんだよなぁ

2016/05/01()
 アニメが進化するんじゃない 。総合文化がアニメとして表に出るだけ。
 だから文化そのものが育たなきゃ、面白いアニメは生まれない。
 大革命で文化を断絶し、未だにそれを否定していない中国で 面白いアニメが生まれる訳がない。

 --ここまで--

 一週間で、300作品もの物語の作れる国でなければ、日本に対抗できないということだ。
 この条件を、中国が越えることができるなら、まぁ、日本を追い越したと認めていいと筆者は思うよ。

 このあたりを踏まえた上で、中国の記事を抜粋してみよう。

2018-02-11
 かつては日本産のアニメが中国へ大量に輸出され、その逆はほぼない状況だったが、近年では中国オリジナルのアニメ作品が日本国内で放映されるケースも出てきた。
 ただ、その流れは「本格進出」という領域には至っていない。中国メディアは、「日本人が中国のアニメを見下すのには、3つの理由がある」と記事を掲載。

 記事は「日本はわが国のアニメについて、なおも10年前のレベルに留まっているとの認識を持っている。実際はこの2年ほどでわが国のインターネットアニメは発展を遂げ、題材が豊富になり、商業化レベルも高まり、画風や特殊効果のレベルも高まっているのにだ。
 しかし、日本人が中国アニメを見下すのにはやはり理由があるのだ」としたうえで、その理由を3つ挙げて説明。

 1つめは「アニメの産業体系が多分に幼稚であること」。「ここで言う幼稚は題材上の幼稚さではなく、アニメ産業体系のことだ。
 日本のアニメ産業は明確な分業制になっており、原作から最後のアテレコまで、標準化レベルが非常に高い。しかも、アニメ制作の歴史が長く、神レベルのアニメ会社や声優事務所が大量に存在する。この点では、中国はまだまだ何年も頑張らなくてはならない」と。

 2つめは「国の規制が厳しいこと」だ。「映像作品に対する様々な規制によって、アニメの題材の幅が狭くなっている。
 多くの良い小説やマンガの作品をアニメに変えることができず、ストーリー性に優れた作品の知財権ビジネスに致命的な打撃を与え、作者の収入が制限されてしまっている」と。

 3つめは「技術の点でなおも努力の必要があること」。「ここ数年で中国アニメの技術レベルは大きく高まりはしたが、見ていくうちに画風が崩れてくる状況も日常的だ。
 中国はアニメ人材が少なく日本側との協力が不可欠だったが、相手の技術に頼ることなく、自らのレベルを高める努力をすることこそが王道なのだ」と論じている。

補足、感想など

 記事の内容は、当たっているかな。
 枝葉の部分を取り上げている気がするが---

 日本の昭和30年代、手塚さんは、漫画から出発してアニメに飛び込んだ。
 漫画は、紙とペンさえあれば、できるという実に、安価でとっかかるには容易だったのだ。
 だから。
 多くの漫画家が、昭和20年代、30年代に若者が飛び込み、多くの作品がうまれた。
 その漫画の中の突出したものが、アニメへと転換していった。

 このあたり、中国でもふれていたな。

 --ここから--

2015-09-25
 中国メディアの中国動漫産業網は、アニメ産業大国の日本は漫画の存在がアニメ産業発展の基礎となり、市場開拓を容易にしていると論じた。
 記事は、日本のアニメは「視覚的な感染力がある」と主張し、日本らしさが散りばめられ、自然ながらも真実味のある描写によって、日本のアニメは世界市場において重要な地位を占めていると。

 続けて、日本のアニメ産業には「その背後に漫画という膨大な基礎」があると伝え、日本では漫画がアニメ産業の川上に位置していると主張。
 漫画は映画やテレビなどのコンテンツを制作するよりも相対的に投資額やリスクが小さく、制作期間も短くて済むうえに多くの読者もいると指摘し、漫画の存在がアニメ産業発展の基礎となり、市場開拓を容易にしている。

 また記事は、日本のアニメ産業はテレビや映画のほか、雑誌、書籍、ビデオ、DVDなどによって展開されるだけでなく、おもちゃやゲーム、文具、食品、ファッション、広告、サービスなど幅広い産業と結びついていると指摘。
 さらに近年はアニメの版権を販売するなどして、銀行や保険などさらに広い分野に進出する事例も見られると論じた。

 一方で、中国でも近年、オリジナルの作品が制作されるなどアニメ産業が発展しつつあることについて、「中国には巨大な市場があるうえに、政府の協力なサポートもある」と指摘し、日本をはじめとする「アニメ強国」とはまだまだ大きな差があるとしつつも、「市場の覚醒」とともに近い将来、中国のアニメ産業も大きな花が咲くことになると報じた。

 --ここまで--

 漫画のもつ意味をわりと正確にとらえているようだ。
 冒頭でふれたように、質を高めるためには、量が必要なのだ。<量の拡大の背後には、巨大な混沌があるわけだが---
 日本では、一週間に300作品もの漫画を含めた「物語の創出」というものが、「傑作アニメ」を生み出す土壌なのだ。

 なにか政府のサポートがどうたら、記事に書いてあるが、そんなものなんの役にも立たない。
 まず、漫画で沢山の物語を創作せよ。
 量の拡大こそが、質を高めるのだ。