2018年2月14日水曜日

日本と中国との文化的な違いはどこにあるのか


表題は、中国の新聞記事のタイトルだ。
 まぁ、コケオドシ中国人には珍しく、まともな記事になっている。

 まず、記事から抜粋。

 2つの物を比較する時、比較を行う人の性格や出自、環境など様々な要因により、その見方が変わってくる。
 日本と中国という2つの国を比較する場合も、それは同じだ。
 中国メディアは、日本と中国の文化的な違いに関する各国のネットユーザーによる意見を紹介する記事を掲載。

 まず、ある日本の大学生の意見を紹介。
 「中国はアジアのローマ帝国のようだ。西ヨーロッパ諸国の文化の多くはローマ帝国を起源としている。キリスト教やラテン文字がそのいい例だ。日本と中国との文化的な差は、イタリアと英国の差みたいなものだ」と。
 続いて、中国生まれで日本や香港での生活経験がある中国人教師は「日本人は、細かいものを愛し楽しむとともに、外国文化の偉大な学習者である。
 彼らは数ではなく質を好み、自身の技術に誇りを持っている。
 これらが彼らの美学の原点担っている。
 そして安全を守る傾向にあり、リスクを冒したがらない。
 非常に礼儀正しいが、一方でそれは相手との距離を保つことへの努力も意味する。

 一方、中国人は大小や数量を好む。
 そして、時としていささかやりすぎな印象を覚える。
 人口の多い愛国ゆえ、往々にして傲慢である。そして、やり方が雑であるとともに、求められなくても意見を言う」と分析している。

 さらに、日本居住歴15年という米国籍の中国系記者は「日本人は非常に独特で、何十年住んでいても折に触れて自分が外国人であることを感じさせれられる。一方で中国では、外国人は容易に友だちを作ることができる」と説明した。

 また、中国語ができるというフランス人ネットユーザーは多様性、率直さ、歴史的な違いから日中両国の相違点を紹介。
 中国が56の民族の共存する多様性社会であるのに対し、日本は多様性が弱く「日本人はステレオタイプ的な印象が、中国人よりも当てはまる確率が高い」としたほか、「歴代王朝が何度も交代してきた中国人は、くっつけば別れる、別れればくっつくという論理に傾くが、そのような歴史的経験がない日本人は総じて日和見主義者である」と論じている。

補足、感想など

 まぁ、おかしくはない。
 比較的まともな人間の意見を集めただけという記事だからだろうな。

 筆者には、日本の立ち位置を、ローマ帝国と英国の関係になぞらえた意見を面白く感じた。
 なるほど、そういえばそうだなと思う。

 また、中国系の米男性の意見として、自分が外国人であることを認識させられるという意見を面白く感じた。
 これは、日本人の他者との距離の取り方なのだ。
 例えば、日本人の他者との距離を1.5mとるとすれば、中国系はもっと近い1mくらいを距離としてとるためであろう。
 これは、民族特有の距離の取り方であって、未開に近いほど、距離が短くなってしまう。
 「個の確立」ということと密接に関連しているのだろうな。

 最後に日本人には多様性が弱いてな表現があるが、反対に「空気を読む」ことのできる関係を日本人は選択しているということだろう。
 多様性ということは、「他者がなにを考えているけ分からない」ということだ。

 多様性が弱いということは、「他者がなにを考えているか分かる」ということだ。それが「空気を読む」ということに繋がっている。

 文化の違いなどという「大きな表現」となっているが、「暮らしていきやすいかどうか」の比較になっているような気がするな。
 中国人に、日本人の「空気が読める」という「多様性がないことでの効果」が理解できるのかな。
 日本で暮らしていくことの難しさを意味しているような気がするなぁ。