2018年2月26日月曜日

かな文字の由来に驚く中国人


ひらかな、かたかなは、日本人が伝来してきた漢字を基にして、草書などから派生させ、表意文字から表音文字を生み出したものだ。

 日本人は、漢字から派生させた「かな」を使い、漢字かな交り文という世界最強言語を手にいれた。
 漢字という表意文字と表音文字であるかなを混在して使うことで、漢字というツールが本来的にもつポテンシャルを最大限引き出したと言っていいと思える。
 皮肉にも、漢字を創出した中国人は、漢字の難解さに、漢文という不完全言語に圧し潰されてしまい、歴代王朝の愚民化政策とあいまって、19世紀でも5%程度の低識字率であった。

 この低識字率こそが、以後、アヘン戦争から20世紀の支那事変~文化大革命までも続く混乱の原因となったものであろう。

 以下、新聞から抜粋。

 中国版ツイッター・微博で、中国の書道文化などを紹介するネットユーザーが、日本の「かな文字」の由来について紹介するツイートを公開し、ユーザーが関心を寄せた。
 ユーザーはまず「日本の古代には文字がなかった」として、中国の隋や唐の時代に大量の漢字が日本に伝わったことで自らの言語を記録することができるようになったと紹介。
 そして、日本で誕生したひらがなは草書から、カタカナは楷書の偏やつくりから創造されたもので、「あ」が「安」から、「ア」が「阿」から生まれたことを例に挙げた。

 このツイートに対し、ほかのユーザーからは「おお、勉強になった」、「日本の文字を作った人は行書が好きだったのか」、「日本の文字はそもそも中国起源なのか」、「韓国語にも中国の影響がある。何といっても古代中国はアジアの覇者だったから」、「草書が元か……どうりで自分には日本語が読めないわけだ」とコメントが寄せられた。
 また、日本人の姿勢について論じている。あるユーザーは「日本人はとても素晴らしい学生だ」と評し、別のユーザーは「倭人は柔軟だ」、「日本人は学んだり参考にしたりするのが上手い」とした。

 ほかにも「日本人は各国の外来文字を使って表現せざるを得なかったのか」、「日本人の書道に対する熱愛ぶりは認めなければいけない」といったコメントもあった。
 「漢字とかな文字は、正規品とパクリ品の関係のようだ」と論じたユーザーもいた。
 ただ、表意文字である漢字を表音文字(万葉仮名)として使用し、さらに漢字の文字を派生させて独自のかな文字として定着させたプロセスを「パクリ」の一言で片づけられてしまうといささか困惑してしまう……。

補足、感想など

 日本人は、自ら文字を生み出すことはできなかった。
 まぁ、島嶼国だし、刺激が乏しいためだろうなぁ。そういえば、南北アメリカ大陸の原住民でも、あれだけの広さがあっても、文字を生み出した民族はいない。
 ユーラシア大陸という広さがないと、文字を生み出せないのかもしれないな。
 中国では、紀元前10世紀頃の殷の時代の甲骨文字から出発して、漢字として成立したものだ。

 ところで、じゃ、中国語ではなぜ、表音文字を生み出す必要がなかったのだろう。
 そのあたりにふれた文章があった。
 ご紹介したい。

 --ここから--

 まず結論を:
 中国語で表音文字が発生しなかったのは、その必要が無かったからです。
 以下、なぜならば:

 漢字は表意文字(正しくは標語文字)であるため、言語を異にする文化圏でもそのまま利用することが出来ました。
 その場合、漢字の意味と音を単純に借用することから始まり、漢字に自分達の言語と意味が対応する読みを充てる(日本語では訓読み)工夫が発生しました。
 しかし、せっかく文字と言う便利な道具を手に入れたにも関わらず、気づいてみると自分達の母語を表記することには役立たないのです(漢字・漢語の音韻体系が日本語の音韻体系と一致しないから当然です)。

 そこで、日本人は日本語の音に近い音を持つ漢字を選んで、日本語の音節に代用したのが"万葉かな"です。
 この段階はまだ漢字流用の段階で、表音文字の態をなしません。
 以降、更なる工夫で"ひらがな""カタカナ"が出来て、ついに自分達の母語を記述する"表音文字"を手に入れた。
 ベトナムでは"チュノム"、朝鮮語では"ハングル"が相当します。

 中国人にとって、漢字は元来自分達の母語の発音をそのまま表しているため、敢えて表音文字を必要としなかった。
 中国は数千年の歴史の間、異民族王朝の方が多いのですが、北方/西方から漢族の土地を蹂躙した征服王朝はみな、文字は当然のこと漢民族の文化を踏襲してきました。
 有史以前に始まり、春秋戦国の頃までの漢族の築いたものの底力といえましょう。
 従って、他民族に征服されてもなお、漢字・漢語が最高の文化であり、文明の源泉であり続けました。そのような社会で、母語以外の言語を表記するために表音文字を生む必要はありません。 
 侵略者である異民族の皇帝にも、彼らの音韻に近そうな漢字を充てれば済む話です。
 それほどの漢字の威力が古典主義にのめりこみ、自縄自縛を生み、漢字・漢語研究と発展を阻害したとの見解もあります。

 表意文字言語文化で現代に繋がっているのは中国周辺漢字文化圏のみ(でしょう)。
 古代から文章は一部の教養あるものの特権でしたが、庶民の話柄を文章に残さなかっただけであり、庶民の発話に対応する漢字がなかったわけではありません。
 役人や教養人の使う言葉や文体は洗練されていましたが、漢字の母集団は庶民も役人も同じです。漢字だからこそ方言を含め異文化の種族を統一できたことは将にその通り。

 --ここまで--

 漢字の発明というものが、威力をもっていて、例え中原を征服しても、その異民族王朝は、漢字を使わざるを得なかったということだろう。
 日本語も、その威力ある漢字を混在して使っていることで、「世界最強言語」とか言っている訳か


 なお、日本の漢字かな交り文と英語との比較もみてみよう。

 --ここから--

2010/03/14()

 学術的には、英語より漢字(さらにカナ交じり漢字)の方が飛躍的に進歩した文字体系と言えるのだがな。
 かつて日本が2千年前に原日本文字(英語と同じ表音文字)から漢字(表象文字)へ移行させたのも、その進歩性を認めたからである。
 現在、世界の文字体系全体を見ても表音文字から表象文字へと移行しつつある。
 (1例を挙げれば、国際会議やスポーツ大会などで「国」を表すのに文字でよりも国旗絵で表すことが多い)

 英語などの表音文字に比べて漢字などの表象文字は、その視認性に優れていることはハッキリしていたが、 ただ難点は、その記述性であった。
 しかし、現在キーボード入力が完成されてその問題も無くなった。
 日本語は、さらに表象文字(漢字)に助詞(かな)を付記して微妙な感情表現をも可能にしている。
 日本人は、今後英語がいかに国際的に通用する言語となっても、現在のカナ交じり漢字表記を廃することはないだろう。 (しかし実を言えば、英語を使う人間に確認したところによると英語の単語などもすでに一つの視覚的表象文字として捉えられているらしいが。つまり、英語の漢字化だな)

 --ここまで--

 例えば、icbm  なんて略字だけれど、考えれば、英語における「漢字化」ということではないのかな。