2017年9月11日月曜日

常識的に生きる・暮らしていくことの大切さ

いや、なにかというと30代半ばで未婚の女性の「ボヤキ」のような文章をみていて、「常識」の上で生きるということの大事さを改めて感じる。

 先日、このブログで20代後半の女性達の、「もっといい人がきっといるはず」という願いとも夢まぼろしと思える「言い分」についてコメントした。

 その「きっともっといい人がいるはず」というタイミングで結婚まで至らなかった人が、30代半ばで「ぼやき」始めるのだ。

 表題でふれた。
 30歳頃までに結婚しておけよ—と思う。
 常識的に暮らすというか、生きることの「大切さ」をしみじみと感じる。

 以下、文章から抜粋。(長い文章なので、筆者が大幅に抜粋)

 友達は、みんな結婚できているのに、なぜ自分にできないのか。婚活をすれば、簡単に結婚できると思っていたのに……。頑張っているのに結婚ができない自分って、欠陥があるんですかね。最近、自分がダメな人間に思えてきて仕方がない……」

 面談にきたs(37歳)は、言った。結婚情報センターに登録し、60回以上のお見合いをしたという。 その中で“真剣交際”に進展した人は2人いたが、結婚には至らなかった。
 また、sは、こんなことも言った。

 「電車に乗ると、中に何人結婚している人がいるんだろうって考える。髪の毛の薄い中年サラリーマンが、左手の薬指に指輪をしている。小太りの女性が、子どもを抱っこして乗り込んでくる。この人たちにできた結婚が、なんで私にはできないんだろう、と思うと落ち込む」

 婚活疲れを起こす人たちがいる。結婚する相手を探すための婚活。それが苦しい活動になってしまうのはなぜか。
 sは高校時代は生徒会の役員をやる優等生だった。高校を卒業し都内の私大に進学してみると、目の前にあこがれの世界が広がった。
 
 大学卒業後、化粧品会社に就職した。26歳のときに、会社の花形部署である商品開発部に配属。
 「刺激的で、仕事に夢中でした。大学時代から付き合っていた彼に“そろそろ結婚を考えない?”って言われたんですけど、私は、“結婚してしまったら、今の自由がなくなる”って思った。それに、彼よりもいい男性が現れてくる気がした。彼との関係もギクシャクして、28歳になって別れた」

 20代のころは仕事で出会った男性から食事に誘われることが多かったし、合コンに行けば必ず、「連絡先を教えて」と男性から声をかけられた。
 だから、結婚は30歳になって考えれば間に合う――遅くても35歳までにすればいいと思っていた。

 ところが、33歳ごろから、景色は一変。潮が引くように対象となる人が減っていった。
 そこで、35歳までには結婚できる相手を見つけたいと思うようになった。本気で結婚相手を探す目的で参加し、友達には、“いい人がいたら、紹介してください”と婚活宣言をした。

 「合コンや紹介で出会っても、1度か2度食事をすると、自然消滅的に終わってしまう。付き合ったとしても3カ月とか半年のサイクルで終わっていた」
 35歳になったsは、焦りだし、結婚情報センターに入会した。ところが、結婚したいと思う人には出会えなかった。
 出会いを楽しむ余裕がなくなり、“結婚相手に出会うこと”に執着をしていく。執着しているのに、うまくいかない。

 「週末のたびに、お見合いをしにホテルのティーラウンジに行く。ウエーターさんが案内してくれる。顔も覚えられて、“この女、またお見合いに来てる。まだ結婚できないのか”って思われているんじゃないかと邪推してしまう」
 日本で働いているが、同じ職場にいる28歳の女性社員も、30歳までには結婚したいと毎日言っている。

補足、感想など

 このブログでふれた。
 人間ってやつは、そう多くの人間と知り合うことはできない—ということだ。
 結婚というものは、その「限られた候補」の中から、一人を選択することなのだ。
 もっといい人がいるはず—というのは正しいし、その通りだろう。
 
 でも。
 「人間は、限られた人間としか、知り合うことはできない」のだ。
 また、上でふれたように「30歳」というのが、ひとつのタイムリミットであろう。
 限られた範囲、限られた時間の中で、「その中の一人」を選択するしかない—その覚悟を問われているのだと思う。

 記事のsさんは、「限られた時間・範囲の中で、一人を選ぶ」という、「覚悟が甘い」。 
 その「覚悟の甘さ」が、現在の状況を招いているということであろう。

 判断ミスといえばその通り。
 その「判断ミス」を、自分の中でどう消化するか--が、この先の人生を決めていくのだろう。