2017年9月23日土曜日

辺境の地にあって並外れた力を発揮する日本人に恐怖を感ずると中国人

英国の産業革命に200年も遅れる大ノロマ頭脳の中国人に言われてもなぁ。
 また、「並外れた力を発揮する」たって、日本人は英国の産業革命に結局、100年も遅れてしまった。
 日本人は、周辺が「大ノロマ」「超大ノロマ」ばっかりに囲まれた民族で、孤立性を運命づけられている—そういう民族だ。

 で。
 その孤立した民族が、アジアで「突出した能力」を発揮できた理由はどこにあるのか?
 それが、「識字率の高さ」と「漢字かな交り文を使う日本語」というものを所有したためだ。
 そこに、表題の核心部分がある。

 こう、書いてみると、13世紀、モンゴル人がなぜ、あれだけ巨大な版図のモンゴル帝国を築くことができたか—という疑問に通ずるものがあるなぁ。
 13世紀、モンゴル人のもっていた弓矢は、周辺民族のもっていた弓矢より数百メートル、遠くまで飛ばせることができた---だから、モンゴル人は最強民族だった。
 
 並べて書いてみようか。
 モンゴル人—周辺民族より、遠くまで矢が届く「弓」をもっていた。 
 日本人—周辺民族より、「高い識字率」「漢字かな交じり文という日本語」をもっていた。
 
 たったそれだけのことだ。
 しかし、このことが結果的に「巨大な差」を生み出すことになるのだ。
 結果として、日本語を使って、アジアで日本は突出した競争力をもっことになった。
 
 以下、新聞から抜粋。

 歴史問題や領土をめぐる対立を理由に、日本に敵対心を抱く中国人もいるが、一方で、中国人にはない日本人の特性を認める中国人も少なからず存在する。
 中国メディアはこのほど、日本人は「中国人にとって憎愛半ばの感情を抱く民族である」と論じる記事を掲載。

 記事は、中国人にとって日本人は「侵略によって大きな災難をもたらした加害者」であるとし、それゆえ日本人を嫌う中国人は少なくないとしながらも、日本人には「中国人が恐ろしいと感じるほどの特性」があると指摘。
 こうした特性があるからこそ、中国人は日本人に複雑な感情を抱くのだと論じた。

 日本人が持つ特性の1つとして「並外れた学習能力」を挙げ、日本はアジアの最端に位置し、海で隔てられているうえに自然災害も多く、決して恵まれた環境でないにもかかわらず、現在ほどの発展を遂げることができたのは「他者の優れた点を学び取る能力」が優れているためだとし、かつては歴代の中国王朝に学び、中国が衰退すると欧米に学んだと指摘。
 日本の学習能力は「恐ろしさを感じるほどだ」と論じた。

 また、日本人と中国人の学習能力の差を示す身近な例としてサッカーを挙げ、日本はブラジルなどに学んだ結果、今やワールドカップの常連国になったとする一方、中国もサッカー強国に学んでいるものの、全く結果が出せていないと指摘、「これが学習能力の差」であるとした。
 さらに、日本人の「並外れた団結力」も中国人にとっては恐ろしさを感じるものであるとし、こうした団結力は「海に囲まれ、資源が少なく、自然災害が多いという環境によって醸成されたもの」であると主張。

 日本という地理的に劣悪な環境で生きるためには団結するしかなく、こうした団結力は日本人がルールや規則を自発的に守るという行動からも見て取れると指摘した。
 中国人と日本人は見た目こそ似ているが、中身はまったく違っており、日本人は新しいことを取り入れるのに長けている一方で頑固さも持ち合わせていて、謙虚で礼儀正しいのに、侵略時には残虐で野蛮さも見せたと主張。中国人から見ると「日本人は非常に不思議な民族」に見えると伝えている。

補足、感想など

 ピントのあったような、あっていないような奇妙な文章だな。
 中国人の文章を読んでいつも感じる「奇妙さ」の核心は、おそらく、中国人の自分自身を客観的に見るだけの「勇気がないこと」だろうな。

 20世紀半ば、識字率一桁台で、国民の殆どが黄巾賊のような蛮族、自分達を守るべき武器すらも作れない無学文盲・無知蒙昧に沈んでいたではないか。
 それを直視しろよ。
 直視もできないような惨めな歴史をもっているが故に、その恥ずかしさを糊塗しようと返って他者へハッタリ、コケオドシを喚(わめ)き、居丈高にふるまう。

 だから。
 日本人から侵略されてどうたらになるのだ。
 冒頭でふれた。
 日本人は、20世紀半ば、識字率は、ほぼ100%だ。
 戦艦大和を建造し、ゼロ戦を製造するまでになっていたのだ。
 それが、満州地区では、無学文盲な黄巾賊のような蛮族と隣合わせで暮らしていた。

 黄巾賊のような蛮族と識字率100%の日本人が隣り合わせで暮らしていたのだ。
 トラブルが起こらない訳がない。
 蛮族との小競り合いが続き、それが拡大して、日本人は、満州国を建国して、自分達の利権を守ろうとしただけだ。
 それが、蛮族から見ると「侵略」とかか。

 また、学習能力に長けている—という表現はどうなのかな。
 いつも、このブログでふれているように、「漢字」をどう扱っているかの「差」ではないのか。
 もう、いい加減、漢字オンリーの中国語が不完全言語だということを認めたらどうなんだ。
 漢字オンリーでは、他者に高度で複雑な概念を正確に伝えることができまい。

 対して、日本語は、漢字かな交じり文で、大学院レベルまで、使用することができる。
 つまり。
 中国人は、漢字というツールに圧し潰された民族であり、日本人は、漢字かな交じり文という形式を使って、「漢字」というツールの本来的にもつポテンシャルを最大限引き出した民族なのだ。

 この「差」が、学習能力の「差」になっているのだ。

 冒頭で、モンゴル人の「弓矢」についてふれた。
 表面的には、ホンの少しの「差」に見える。
 しかし、その「差」が、あの巨大な版図のモンゴル帝国を作ってしまうだけの「差」となってしまう。

 漢字の利用方法についても、同じことなのだろうな。