2013年5月10日金曜日

日本が国際的に孤立化する—てさ。だから?


朝鮮民族というものは、なんとも偏頗で狂おしい民族だ。
 事大(じだい)主義という—大(だい)に事(つか)える--大きいものに擦り寄るという意味--という民族としての生き残り方をずーと持ち続けている人達だ。

 その割には、奇妙なほど「尊大」で、行く国行く国で、そこの住民とトラブルを起こし、自分達は「差別された」とその国の住民を恨む。そして、さらに嫌われる。
 アメリカのバージニア工科大学の銃乱射事件も、同根の動機によってなされたものであろう。
 まぁ、この事件のあと、韓国からの移民をアメリカは実質的に禁止してしまった。

 日本でも戦後、朝鮮系の記者等がマスコミの世界に巣食っている訳だが、日本人を卑しめることに快感を覚えるものらしい。
 朝日新聞のタイトルを見る度に、なんじゃこれは—と思う。

 韓国とか中国と同調しないと、すぐに「日本は国際的の孤立」するそうな。
 世界には、日本-韓国-中国 しかないのか。

 このブログで何度もふれた。
 日本は、これからは 日本 + インド + アセアン というあたりを中心にして、アメリカ、ロシアと仲良くやるさ。

 中国とか韓国なんぞ、どうでもいい。
 関わらない、助けない、教えない。

 以下、新聞から抜粋。

★社説:歴史認識―孤立を避けるために

 「東北アジア地域の平和のためには、日本が正しい歴史認識を持たなければいけない」
 韓国の朴大統領が、オバマ米大統領との会談で対日関係に言及した。
 歴史認識をめぐる安倍首相の言動や、麻生副総理らの靖国神社参拝を念頭に置いての発言である。

 それほど日本への不信感が強いということだろう。
 韓国の対日不信を決定的にしたのは、先月の閣僚らによる靖国参拝と、安倍首相の国会答弁だ。
 首相は「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と発言。
 これが韓国では「植民地支配や侵略戦争を否定したもの」ととらえられた。

 今年に入って日韓間では関係改善を探る努力が続けられてきたが、以来、政府間の交流は再び滞ってしまった。安倍政権の責任は大きい。
 この問題は、日米関係にも影を落とし始めている。
 米議会調査局の報告書は、首相の歴史認識について「侵略の歴史を否定する修正主義者の見方を持っている」と指摘。

 ワシントン・ポストなど米主要紙も首相発言を批判している。
 さらに、慰安婦問題をめぐる河野談話見直しの動きがあることについて、前駐日大使は「見直しを受け入れる人は米国にはまったくいない」と語った。

 安倍政権の歴史認識を疑問視する声が、米国内で急速に広がっている。
 日本の国際的な孤立さえ招きかねないことを、首相は深刻に受けとめるべきだ。

 首相は、8日の参院予算委員会で「アジアの人々に多大な損害と苦痛を与えた」と、95年の村山談話と同様の認識を示すなど軌道修正を図りつつある。
 歴史認識で対立を煽るような言動は厳に慎み、一致できる部分で連携を深める。
 各国の信頼を回復する道はそれしかない。

 一方、韓国側にも冷静な対応を望みたい。
 朴氏自身、米議会での演説で「歴史に目をつぶる者は未来を見ることができない」としたうえで、日本を含む北東アジアの国々が環境や災害救助、テロ対策などに協力して取り組み、信頼を構築すべきだと語った。
 日韓が対立していては、地域の問題は何も解決できない。
 両首脳は、事態打開の道を本気で探ってほしい。


▲補足、感想など

 朝日新聞の朝鮮系の記者って面白いなぁ、と思う。
 こんな記事を書いて、これを日本人がそのまま信じると思うのか。
 あぁ、ウソを1万回繰り返せば、日本人も本当かな—と思うってか。

 なるほど。
 朝鮮民族の「真の恐ろしさ」は、そこにあるのだな。
 大声で、何度も何度も繰り返す。相手が根負けするほど、大声で喚きちらす。
 そしたら、自分達が勝てるのだ—と思いこんでいるのだな。

 こんなやり方で、戦後長い間、日本人をミスリードしてきた—ということか。<それだけの実績も自負もあるということだ>
 従軍慰安婦騒動もこんな風にして”でっちあげ”てきた—ということなのだな。

 で。
 朝鮮系の人間として、記者として、日本人を貶めて嬉しいのか。ミスリードして楽しいのか。
 恨みを晴らした—とか思うのか。

 まぁ、インターネットが普及する前なら、日本人を騙(だま)してやった。サマアミロ—という感覚だったのだろうな。
 気分が爽快になったのかもしれない。

 でも、これだけインターネットが普及して、朝鮮系の記者(あぁ、論説委員か)の書く「朝日新聞の社説」なんぞ信用できるかい—とか国民が思うのにも関わらず、従来を同じことをしよう--とするってなんだろう。

 これはなぁ。
 朝鮮系の人間というものは、合理的にものを考えているのではないのだな。
 科学的にものが考えられない--
 いや、一応、合理的にものを考えるのだが、情緒というか、嫉妬、恨みなどの「感情」が、「合理性」「科学的思考」というものを押しつぶし、塗りつぶしてしまう—ということだろう。

 なるほど、「合理性」より「民族の血」か。
 いや、話が記事から離れてしまった。

 安倍首相がどう発言するか—なんて、直接、筆者には関係がない。
 なにか、朝鮮系・中国系の人間の思考として、その組織のトップの「発言」を押さえさえすれば、その組織内の人間の方向性も左右できる<筈>とか思うようだ。

 日本人は、個人々で、情報を集め、個人で判断し行動する。
 安倍さんがなにを言おうと、筆者の発言・行動は左右されない。
 日本人はテンデバラバラの方向に顔が向いた民族なのだ。

 今の時代、新聞に「情報操作」なんぞされない。
 ましてや、産業革命に500年も遅れる民族の言うことなんぞ、それこそどうでもいい。