▲19世紀後半、イギリス発祥の産業革命に100年もの「差」をつけられて、日本は「明治維新」というリセットを経て出発した。
その時のスローガンが「富国強兵」である。
目指すところは、「欧米列強と肩を並べる」ということであった。
欧米列強に肩を並べるという目標は、21世紀に入る頃、達することができた。
富国強兵については、富国は20世紀の半ばで敗戦国となったものの、1990年前後のバブル期を経て、それなりに順調に進展してきた。
残りの「強兵」については、20世紀の半ば以降、「自衛隊」という中途半端な形でそれなりの「強く」はなったのだが、足かせのある状況だ。
さて、昨年の夏、中国・習近平国家主席による「反日騒動」「尖閣諸島騒動」、韓国の李大統領による「天皇陛下侮辱発言」があって、いっきょに日本はこの「強兵」に覚醒した。
そのあたりを英国の新聞が記事にしている。
以下、その抜粋。
日本が長く失われていた力の源泉を再発見したことで興奮が渦巻く中、1つ、問われないままになっている疑問がある。
日本の支配者層にこれほど急激に針路を変えさせたのは何なのか。
中国政府は、日本の施政下にある尖閣諸島に対する領有権の主張を一段と強めている。
安倍氏が自民党総裁に選出される直前、中国全土の50余りの都市で激しい反日デモが起きた。
日本が目的意識を持った指導者を見つけたとすれば、中国に感謝すべきなのかもしれない。
日本の安全保障に関する不安と経済の弱体化という意識の関係は、古くて根深い。
「富国強兵」は、1868年の明治維新後の日本の近代化のスローガンだった。
安倍氏にとって、このスローガンは大きく鳴り響いている。
一言で言えば、それは、日本の経済が弱ければ、自国を守る力も弱いことを意味する。
「経済も国防も強くなければならない」
日本政府が開催した「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」では、出席者から万歳の声が上がった。
安倍氏は国家主義を放棄したわけではない。
経済を復活させるという同氏の使命も全く同じ衝動から生まれている。
ワシントンで行った「Japan
is Backと題した講演で、安倍氏はこの関係を明確にした。
「日本は常に強くなければならない。まず経済面で強くなければならず、国防でも強くなければならない」
▲補足、感想など
う~ん。
「日本は常に強くなければならない。まず経済面で強くなければならず、国防でも強くなければならない」--か。
まったく、その通りだ。
いま、こう言っても、筆者の中でまったく違和感がない。
有り難いことだ。やっと、ここまできた。やっと普通の国になれたのだな。
こうしてみると。
あの頭のキレがも一つの習近平国家主席と天皇陛下侮辱発言の李前韓国大統領さまさまだな。
あの二人の隣国の指導者のお陰で、一挙に「日本は普通の国家になった」。
いま、こうして「富国強兵」というスローガンを書いていると、明治の伊藤博文、大久保利通など元勲達が思っていたであろう「意気込み」を感じるな。
19世紀半ば、幕末→明治維新 まで、日本では逸材・偉材が雲のごとく輩出し、対立し戦った。
累々たる屍を乗り越え明治維新をなしとげ、世界に国を開いた時、自分達・日本人がイギリスの産業革命から約100年も遅れていた—という事実を知り、どれだけ驚愕したであろうか。
富国強兵とは、その「驚愕」から生まれたスローガンだ。
うかうかとして100年も遅れてしまった。ならば、これからだ---という意気込みが「富国強兵」なのだ。
2009年の夏から、うかうかと朝鮮系の国会議員、マスコミ等に扇動されて、朝鮮系の民主党政権により3年以上も国家運営を牛耳られ、多くの混乱を招き、情報機関もズタズタにされてしまった。
安倍さんが「日本は帰ってきた」--と言った。
今、明治維新の元勲達が「うかうかと世界から100年も遅れてしまった。これから頑張ろう」という意気込みの「富国強兵」を、朝鮮系の民主党政権から日本人が奪い返した—そんなタイミングで掲げるというのも、そんなにおかしなことではあるまい。