▲このブログでなんども触れた。
硫黄島の現滑走路は、1945年春、栗林中将率いる硫黄島の兵士達を制圧した後、つくられたものだ。
硫黄島を制圧した時、浜辺などには2万人近い日本軍兵士の死体が転がっていた。
さて、これをどうしよう—と米軍は判断に苦しんだのだろう。
海に流すわけにもいかない。かといって、地下の要塞の中に放り込むこともできない。
そこで、ブルドーザーで、土砂とともに死体を数箇所の山にし、その後ブルで押し出し、平らにして、この上にブ厚いコンクリートを流しこんで滑走路とした。<なにか、見てきたようなウソとなっているが、状況とかを考えと外に考えようがない>
つまり、現滑走路は、栗林忠通中将など2万人近い日本軍兵士達の「墓標」となっているのだ。
この事実をアメリカ政府・米軍は、日本の国民に知られることを嫌がった。怖がった。
事実上、日本政府に「緘口令」を引いた—と言ってよいであろう。
戦後60年以上も、日本の國民にしらせないようにしていたし、このこともあって、元の島民達を硫黄島に帰還することを制限させていたのだろう。
インターネットがここ数年普及し、この滑走路が「日本軍兵士達の墓標」となっていることも知られるようになった。<まぁ、最早、隠し切れない--とアメリカ政府・米軍・日本政府がそう思ったということだろうな>
そこで、いよいよ、現滑走路を取り壊し、別の場所に滑走路を移設する工事を来年度から始めると発表した。
まぁ、移設は口実(移設しなければ、交通の足がなくなるということではあるが)で、核心は、上でふれた「栗林忠道中将ほか2万人近い英霊達の遺骨を掘り出す」ということだ。
戦後、すでに70年近い歳月が経過した。
硫黄島の英霊達を本土に帰還させるまでにこれだけの「歳月」が必要だったのか?
なぜ、これだけ時間がかかったのか?
う~ん。
やっぱり、ブルドーザーで、死体を粉々にしたという事実を日本の国民達に知られた時の「反応」が怖かったのだろうな。アメリカ政府と米軍は。
そのために、後回し、後回しとなって、ここまで来たということであろう。
もはや、戦後70年近い。
遺骨が粉々になっていたって、別に日本人はなんとも思いはしない。
それより、一刻も速く、内地に—あぁ、本土に帰還させてあげることの方が大事ではないのか。
以下、少し、古いニュースなんだが、記事から抜粋。
2013/04/22
政府は、太平洋戦争末期の激戦地・硫黄島の自衛隊基地の滑走路下にある戦没者の遺骨収容に向け、2014年度にも滑走路移設に着手する方向で調整を始めた。
近く具体的な工程表づくりに入る。
多くの遺骨が埋まっているとされ、遺族らが収容を長年要望してきた。政府関係者が21日、明らかにした。
滑走路移設には10年で200億~300億円程度の予算が必要とみられている。
首相は硫黄島訪問前に「換算すれば年間約30億円で済む」と述べた。
訪問時には官邸主導で遺骨帰還事業を加速させる考えを表明した。
▲補足、感想など
---滑走路下にある戦没者の遺骨収容に向け、---か。
新聞記事で、滑走路下の遺骨云々—という文章を見たには、これが始めてだな。
冒頭でふれたように、アメリカ政府も米軍も日本政府も「もう、隠し切れない」と判断したということだろう。
そうとなれば、できるだけ早急に滑走路を移設して、2万人近い英霊達の遺骨を「本土」へ帰還させてあげよう。<英霊達は、どれだけ、早く帰りたかったことか>
また、硫黄島の元島民達に、島に帰還することを認めて、暮らしてもらう—ことを進めよう。
硫黄島の観光と漁業等が主たる産業となろうが、新しい観光地が生まれる可能性も高い。
あぁ、温泉もあるとか。
リゾートホテルなども建設できるかもしれない。
硫黄島を巡る様々な問題が一挙に解決しそうだな。