▲中国人の書いた記事を読む度に思う。
中国人ってよほど日本人に対して劣等感のようなものをもっていたのだな。
それが。
一昨年か。
中国がgnp
で日本を追い越したというニュースが流れると、どうも「嬉しくて嬉しくて狂ってしまった」ようだ。
天にも昇る気持ちというか。
オレは大物になったぞ。
まぁ、中国人の中でいろんな尺度がいっぺんに狂ってしまったようだ。
その一環か。
昨年夏の、習近平国家主席の反日騒動を引き起こしてやろう—と決断した背景にも、この「日本を追い越した」という「夢心地」に誘われたようだ。
在日の中国人も、同じような「夢心地」の中で生きているようだ。
ふ~ん。
そんなに嬉しかったのか。
「日本を追い越したということが」
以下、新聞から抜粋。
日本新華僑報は、
在日中国人ジャーナリスト、莫邦富氏の記事「中日の矛盾を簡単に解決させない元凶は何か?」を掲載。
日本に長期滞在する外国人として、筆者は各地で講演させてもらっており、47都道府県をすべて制覇した。
そこで感じたのは、
日本経済の衰退は深刻だということ。
多くの地方都市で、駅前が“シャッター商店街”化している光景を見た。
土曜の午後なのに道行く人はほとんどない。
高齢化と出生率の低下による少子化が、日本経済から元気を奪っている。
日本が直面する問題に対し、日本人自身もかなり焦っているようだ。
経済評論家のo氏ら文化人や経済界の関係者たちは「優雅な縮小」を目指し、「製造業大国という信仰」は捨て去るべきだと説いている。
スイス、ポルトガル、スペイン、シンガポールのような「世界から尊敬される小国」になるべきだというもの。
彼らは、国は小さいが先端産業を持ち、競争力も非常に高い。
だが、安倍首相をトップとする日本の政界、経済界、金融界などは、他人の後塵を排することを嫌がり、
「我が物顔で世界を闊歩する日本」を目指そうとしている。
昨年、安倍首相が政権を奪った時、
自民党の選挙ポスターには「日本を、取り戻す」と書かれていた。
その言葉には一種の焦りが隠されている。
バブル経済崩壊前の栄光をもう1度、取り戻したいのだろう。
もう1つ、この言葉には「米国の支配からの脱却」への願いも隠されているのではないか。
安倍首相率いる自民党が掲げた「日本を、取り戻す」に多くの民衆が共感し、日本は全土を挙げて
「台頭著しい中国に一歩も譲歩してはならない。
さもなければ、日本は二流国家に成り下がってしまう」との危機感を抱いている。
これもまた、中国と日本の矛盾がややこしさを増す大きな元凶になっていると筆者は考える。
▲補足、感想など
訳のわからない文章ではある。
中国人の尊大ぐせの抜けない文章といっていい。
自分で、自国のことを--台頭著しい中国—か。
こりゃ。
クールジャパンと変わらない言い方だ。
やはり、クール・ジャパンは恥ずかしいな。
最初にいうが。
もう、日本は中国のことなどどうでいいよ。
そりゃ、中国好きな人もいる。その人は自己責任が関わればいいこと。
これからは、アセアン諸国だぞ。 インド、インドネシア、ベトナムへ—だろう。
欧米諸国もなにか続いているようだ。
えっと話を戻して。
日本を取り戻そう—というのは、朝鮮系の「民主党政権」から日本人が政権を取り戻すという意味だ。
だから、今は日本人によって日本を運営しているのだ。
前とは違って、空気が変わったろう。
高齢化と出生率の低下が云々—だが、それよりも日本人の「都市部への集中」が激しくなったということが大きかろう。
道州制を予測したような、例えば九州なら福岡へ、四国なら高松へ、中国地方なら広島へ—という感じなのだろう。
言わば、「人口の偏在」というものが記事にあるような現象を生み出しているのだろうな。
だから、田舎であれば「農業」をもっと利益を生むようなものにするしかあるまい。
また、都市部でなくてもできる事業もある。そういう産業を振興するしかあるまい。
最後に「米国の支配」とかあるが、
別に日本はアメリカに支配されているのではない。
大半が貧乏人で性格の悪い中国人より、まぁ、性格がまぁまぁで、お金持ちのアメリカ人の方がより付き合いやすい—ということに過ぎない。