2013年5月24日金曜日

なぜ、謝罪がいるのか。慰安婦騒動。

もと慰安婦のおばあさんが、「謝罪を」とかいう言葉をきくとなせ? と思う。
 オランダの飾り窓の女性達が、引退した後、お客様だった男性達に「謝罪をしろ」とかいうか。

 意味が分かるまい。
 売春という社会で認められた仕事をして、その報酬も貰った。
 仕事(売春) ←→ 報酬 で、完結しているではないか。
 報酬を踏み倒した--というなら、確かに謝罪と弁償を—という議論になる。

 そうではあるまい。
 謝罪がどうたら—なんぞ、意味がわからない。

 以下、新聞から抜粋。

 旧日本軍の「慰安婦被害者証言キャンペーンinおかやま」が、 北区のセンターであり、慰安婦だった金福童さん (87)と吉元玉さん(84)、支援する韓国挺身隊問題対策協議会の 尹美香代表が語った。
 金さんと吉さんの証言を聞きながら、参加者たちは 「二度と戦争を起こさず、再び女性の人権が奪われないように」と平和を願った。

 金さんは日本政府から「謝罪がないことが、私たちを苦しめます」と述べ、戦時中は台湾や インドネシア、シンガポールなどを転々とさせられたことを証言。
 また「慰安婦は必要だった」と 発言した橋下・大阪市長に対し「市長にも家族がいるだろう。市長の資格はない。
 家庭に入って、子をしっかり育てたらいい」と批判。

 尹さんは、戦争による性暴力被害者女性を支援するために慰安婦被害者たちが創設した 「ナビ基金」を紹介。
 内戦中に被害を受けたコンゴの女性、ベトナム戦争中に 韓国軍によって性暴力を受けた女性たちに基金を活用しているといい、「チョウのように希望を 持って羽ばたけるような世界にしたい」と述べた。

 参加した女性(33)は「戦争すら十分に理解していない娘に、どうやって慰安婦問題を教えるか悩ましいが、自分なりに伝えていこうと思う」と話した。
 金さんたちは大阪や奈良を訪れ、27日に帰国する予定。


▲補足、感想など
 
 戦争と慰安婦(売春婦)とは直接的には関係はない。
 戦争だから、慰安婦がどうたら—ということになったのでない。

 戦争は戦争であり、売春婦は売春婦 と本来、別々のことであろう。
 ただ、軍隊は基本、男性だけの組織であり、彼等の性欲というものをどうするか—という問題だった。

 この韓国のおばあさん達は、親によって日本か朝鮮の女衒業者に売りとばされ、女衒業者によって、日本軍が南方へ進出するとともに、移転していったものだろう。
 それが、記事にある--台湾や インドネシア、シンガポールなどを転々とさせられた—という意味であろう。

 しかし、それは民間の女衒業者とそこに雇われていた売春婦との関係であり、日本軍がどうした—ということとは直接関係はない。

 上でふれたように、戦争と売春婦は直接関係はない。
 戦争がなくなれば、売春婦がなくなる—ということではない。

 日本人は、「性欲」とか「本能」というものに対して、キリスト教徒などより、ルーズというか「肯定的」に考えるために、「戦闘を目的とする集団であるから性欲を抑制できる筈」とか考えないのだ。
 
 秀吉が小田原城を攻めた時に、遊郭のようなものまで拵えたという故事がある。
 同じように、日本軍が戦線を拡大していく段階で、南方各地に日本軍が点在した、日本軍の「性欲」をなんならの形で処理しなければならない。
 その部分に対して、日本及び朝鮮の女衒業者が「売春婦、慰安婦」を連れて、南方の慰安所へつれていくということになったのだ。
 日本軍としても、止むをえない—と黙認した。

 以上、つらつら書いたが、どこに「謝罪がどうたら」がいるのだ。
 また、戦争と売春婦をなぜ直接的に結びつけるのだ。
 じゃ、今は平和だが、売春婦はいなくなったのか。

 ばかばかしいことを言うな。
 記事のような、稚拙な言い方に騙(たま)されるな。

 記事にでてくる韓国のおばあさんは、その親から女衒業者に売られてしまったプロの元売春婦達なのだ。
 充分な報酬をもらって職業として働いていた人達なのだ。
 変なお涙ちょうだい話に改編された「ものがたり」に騙されるな。