▲パナソニックの方向性のようなものが見えた感じがした。
えっと、いつ頃だったかなぁ。
オイルショックの後くらい。
1970年代の末頃かな。
「もはや技術なし」という本が出たことがある。
今、このタイトルを読んでみると、1970年代末で上のセリフはチョイと仰々しく感ずるなぁ。
でも、まぁ。
そんな感じを受けた数年があったということ。
オイルショックという燃料が不足する時代が来た—という切迫感もあったのだろうな。
松下電器も、テレビ、冷蔵庫、扇風機、コタツなど、一応、普通の家庭にとって必要なものは行き渡った—という感じだった。
もはや技術なし---とは、「次の新製品」が見つからない数年間があったということだ。(技術的な踊り場状態、エアーポケットと言い換えれば分かってもらえるかな)
この「もはや技術なし」という時代の後に来たのが、「ビデオ」であり、松下とソニーは別々の方式で激しく争った。
言い換えれば、「ビデオという製品」が、「もはや技術なし」という「倦怠感」を吹き払ったと言っていいと思う。
で。
”もはや技術なし”—という文を例示したのは、パナソニックが今、多分感じていることであろうからだ。
パナソニックには、次の製品がないのだ。今。
扱う商品が、白物(しろもの)というもう家庭の中にありふれた製品ばかりになってしまったのだ。
すると。
その手垢のついた「白物家電」の一つ一つを見直し、マイナーチェンジして「新鮮さ」を出し、それを売るしかないのだ—とパナソニックの経営陣は「腹をくくった」のだな。<アジアで展開というところが新味だけれど>
それが、住宅用led
ということであろう。
以下、新聞から抜粋。
パナソニック
エコソリューションズ社は、アジア市場で住宅用LED照明器具を本格展開すると発表。
6月よりベトナムで販売を開始し、インドネシア、インド、台湾、香港へ拡大。
ベトナムなどでは、経済発展により電力事情が切迫し、
省エネの要請が高まってきているという。
そこで、LED照明器具を新興国に導入することで、
電力事情の改善に貢献し、照明空間を提供する狙い。
ベトナムで発売されるLED照明は、大型/小型シーリングライト、ダウンライト、
ブラケット、ラインライト、シャンデリング(シャンデリアのような装飾性の高いシーリングライト)の合計40品番。
ほかの国でも、同様の品揃えを計画。
また、中国でも、
LEDのラインナップを拡充する。
シーリングライトは、調光・調色に対応。
ダウンライトは、多重影を抑えた
「ワンコア」タイプとなる。
照明器具を幅広くラインナップすることで、家一軒のコーディネートが可能になるという。
同社によると、照明器具の場合、国ごとに商品の仕様やデザインが
異なるため、事業を展開することは難しかったが、LEDは共通化が容易というメリットがある。
また、日本市場でLEDユニットや電源を、アジア地域向けにカスタマイズし、デバイスを
標準化することで、集中生産によるコスト競争力が高められる。
器具のデザインは、現地で適合化する「地産地消型」を採用。
デバイスは
世界全体での共通化と集中生産を行なっていく。
ベトナム、インドネシア、インドでは、顧客との接点となるショウルームや販売店を整備。
現地で
照明コンサルタントを育成することで、照明プランを提供する。
あかりプランを
インテリアデザイナーに提供することで、LEDのスペックイン化を
推進するという狙いがある。
パナソニックでは、新興国で中間層が増加することによって、住宅関連を中心に大きな需要が
見込まれているとしており、LED照明と好みに合ったあかりプランを提供する。
2012年度の住宅用照明器具の海外販売額である約30億円の2倍以上を掲げている。
▲補足、感想など
照明器具か。
日本でいえば、昭和30年からの「蛍光灯の普及」の時代に相当するのかな。
まぁ「いつか来た道」ではある。
こうして振り返ってみると。
今のパナソニックの混迷の原因とはなんであったのだろう。
つきつめてしまえば、テレビというものの「最先端ぶり」をアチコチの会社と競いあったということか。
そういえば、キャノンだって、別の方式を考えていたものなぁ。
キャノンは、幸いにも遅れていたために、テレビに参入しなかった。
もし、参入していたら、会社が傾くほどの損害であったろう。
なにを夢みたのだろうな。
台数 ✕ 価格 という考え方で、価格というものがここまで低下するということが予想できなかったということか。
要するに、台数が増えたとしても、価格は今の6掛けぐらいで落ち着くとかの経験則があったのだろう。
ところが予測に反して10パーセントくらいになった。
ここで、なにもかもが狂ったということか。
<この価格の落ち方、1970年代の電卓といっしょだな。未経験ということではないではないか>
で。
結局、先端的な製品というものがすべてなくなり、すべて手垢のついたような「白物家電」となった。
そこで。
冒頭でふれたように、「白物家電という宝の山」を見直して、かって日本が辿ってきた道を、ベトナムで、インドネシアで、再度繰り返そうとしているということなのだな。
核心は。
「白物家電」とは、宝の山—なのだということだな。改めて、パナソニックはそう思ったのだろう。
もう一度、掘り出せばいくらでも「お宝」が見つかるさ。また、数年後に踊り場状態を抜けて「ビデオ」に類するものがでてくるさ。