2021年4月28日水曜日

ゴロツキ中国人は、文化・科学技術というものに畏敬の念をもっていない

 

なんとかという報道官が、日本の葛飾北斎の富士の浮世絵(神奈川沖波裏)を画像改作したものを提示したようだ。日本の原発の処理水の排出をいじったものらしい。ふ~ん、と思った。中国人って文化とか科学技術というものに畏敬の念がないのか。なるほどなぁ、これが簡単にパクリとか剽窃ができて、なんの痛痒も感じない理由なのだな。同時に、大切にしないから、例えば日本の盆踊り、収穫を祝うお祭り、草刈り歌などの労働歌なんてものも出現・保存されない(いや、出現したのかもしれないが、すぐに霧消してしまった)のはこのためだろう。

 ならば、一体、この千数百年間、中国人って、一体なにをやっていたのだ?

 結局、科挙制度か。

 科挙制度をめぐるアレコレをみよう。

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2016/11/12()

シナにも何代も続けて農民って家があるはずなのに、その人たちは田舎の人たちって差別受けてんだろーなー。 工業でも商業でも、「つまんない物」で続かず、唯一の救いが「科挙に合格して出世し財を成す」。 そういう社会だったんだから仕方ない。

2017/06/17()

科挙自体の考え方、「産まれた身分ではなく、実力が優れた人物を見出そう」は間違いでは無いところが「科挙を受けるだけの学力を得るために、勉強に専念できる財産が必要だ」となって、 身分が悪いとそもそも科挙を受けられないと本来の目的が明後日の方向に忘れられた。そして、「科挙に受かった人が、次の科挙の内容を決める」という仕組みのため、科挙の内容がさらに財産が必要な方向に歪んでいった。本来、科挙で必要なのはただの暗記力の試験だけではなく、 IQテストに近い、柔軟な思考力、発想力を持つことを確認できるような物だった。そういう人材が登用され、活躍できる社会だったら、清は西洋の技術や知識を取り入れられていただろうね。

2017/06/17()

あまりにも試験だけで上を目指そうとしてる人が多いため、社会が科挙によってゆがめられたんだよな。科挙の点数だけが絶対的な指針なので間違った政策でも変えることなく施行された。だから中国ではどんな災害が起きても死者は35人以上存在しないのです。

2017/06/17()

中国は幼稚園からガリ勉やらせないと生き残れない。だからお気楽な日本で小学校とか入れちゃうと勉強が遅れてしまい、途中で母国に帰って進学させることが出来なくなる。知り合いの中国人夫婦は凄く悩んで結局子供だけ中国に返して祖父母に面倒見てもらってた。そしたら子供が糖尿病になっちゃって結局日本に連れて帰ってきた。子供は日本の学校に入れるって凄く喜んでたみたい。


特に、日本人が科挙と宦官の制度を採り入れなかったのは、非常に賢い選択だったという。科挙は階級の固定化問題の真の解決にはならず、むしろ、「中国人の根底に流れる卑しさ」を生んだと指摘した。紙の上でへつらって科挙を受けるか、宦官としてへつらって金のために自ら妖怪になるしかなかったからだという。では、「科挙にはまってしまわなかった」おかげで、日本はどんな方向に進んだのだろうか。記事は、日本が全国に今の小学校教育を普及させたのは正しかったと称賛。


中国が科挙を採用していた清の時代に識字率が10%だったのに対して、科挙を取り入れず階級が固定化していた日本では40%だったという。しかも、これには各階級の武士も含み、彼らは西洋の騎士のように文武両道だったと中国との違いを指摘した。科挙制度がなくても日本では識字率が高かったことは注目に値することだ。これは寺子屋などがあって庶民でも文字を学ぶことができた環境も大きいだろう。いずれにしても日本人は、良いものだけを選りすぐって学び導入することに長けていたと言えそうだ。

20180505

日本人が中国人に「日本製品をパクるな!」と言うと彼らは必ずと言っていいほど「でも、日本も漢字をパクっただろ!」と返答する。普通の「近代人」ならそれが愚かな返答だと理解できるが、「前近代人」の特亜人にはそれが理解できない。特亜人を近代人だと仮定して話すことがそもそもの間違い。相手は未だ秦の始皇帝時代の常識と倫理観で生きているんだよ。それを日本人はしっかりと理解しないといけない。

20180505

俺も中国人とこういう話した事あるけど、あいつら嘘しか言わないから話にならない。中国人は傲慢で無礼で汚らしいのは事実なのに。で、反論が変わるんだよ。そんな事は無い。からそれは一部の人間。と言い出し、最後は文化の違い。どれだってんだよ。


韓国人や中国人が平然とウソをつくのはなぜか。 工学博士の林思雲氏(中国出身)などによれば、韓国や中国では、国家や家族にとって都合の悪いことや不名誉なことは隠すのが正義であり、そのためにウソをつくのは倫理的に正しい行為なのだという。韓国人や中国人のこの一般的な心性は、日本では全くなじみのない「避諱(ひき)」という儒教上の概念でくくられるのだそうだ。いやはや、日本人とは真逆の国民性ではないか。日本には「清き明き心」に通底する謙虚・謙譲・謙遜といった価値観もあり、それが自虐教育の背景の一つにもなっていると思われるが、この心情も「避諱」の国には全く通じない。他人を悪く言うことを慎む日本では、他国の性悪な面を学校で子供たちに教えることを避ける傾向があるが、日本人の美徳は大切にしながらも、世界には日本の価値観が通じない現実があることを正しく教えていく必要がある。ウソにまみれた国を相手にするには、それなりのしたたかさと覚悟が不可欠なのだ。


その一方で、「彼は盲目的に学ぶのではなく、悪いものについては決して学ばない、ずる賢さがあるのだ」と解説。古代日本は唐に何度も使者を派遣して、文化や建築などを深く学ばせて日本に持ち帰らせたが、「唐王朝の制度上における弊害も吸収し、日本になじまないものについては決して学ぼうとしなかった」と説明している。記事はその例として、宦官制度と科挙制度を挙げた。宦官については「心理を歪ませ、失われたものを権力や金銭という別のもので取り返そうとする」とし、中国で宦官が政治を乱す状況を見た日本人はこの制度を日本に取り入れなかったと解説した。また、科挙制度については、世襲制による既得権益を脅かすものとして学び入れられなかったとした。そして最後に「ともあれ、学びの王である日本は成績良好であり、教師を超えさえした。これらの優れた点は、中国が学ぶに値する」と結んだ。


パッと見て「いい」と思ったことを学び、そのまま取り入れるのではなく、それが自分に合うものかどうかを熟慮し取捨選択したうえで取り入れる。それは、外から入って来るものを消化、吸収するプロセスそのものと言える。体にいいものは吸収され、身体が欲していないものは吸収しない。それでも無理して体内に取り込もうとすれば、体のシステムを乱し体調を崩すことになるのだ。

 --ここまで--

 ちょいと、日本の匠の文化についてもみてみよう。

 --ここから--

2016/02/07()

働くことを、生き甲斐や誇りとする日本人の感性は独特で、 それを苦役と考えるキリスト教を基にする民族や、 特に貴人は労働を卑しむとするシナ朝鮮とは大きく違う。日本人と同じ匠の域には並大抵では及ばない。

2016/02/07(

>日本の「匠の文化」について、「ポイントはたった2つ」と論じた。>「職業を敬うこと」と「真面目であること」という。 敢えて言えば、もう1つ、ポイントがある。 「匠の文化を敬い、受け入れる土壌があること」。 日本の匠の文化がこれまで生きながらえてこれたのは、 この3番目のポイントも大きい。しかしながら、最近の日本は、このポイントは、 かなり揺らいできてるね。

2016/02/07()

日本の職人かたぎは、師匠を超える努力を推奨する。これは実際に職人として腕を磨く努力をしてきた人々が、自然に感得する 心の姿勢だ。師匠を超えようと努めなければ技術の維持すら困難だからだ。結局それが、儒教的な固定した上下関係をはねつけることになったわけだな。さらには、伝統の継承と維持にも役立ったのだ。

2016/02/07()

「匠の文化」「職人気質」こそがアジアで唯一日本がノーベル賞を輩出している 説明になるだろう。一つの物事に寝食を忘れて没頭する姿勢が古来から権力者に よって褒めたたえられている。「手に職を持つ」事が個人を、ひいては社会を 豊かにする道である事を肌で知っていた日本の先人たちは偉いよ。

 --ここまで--

冒頭でふれた。中国人には、日本の葛飾北斎の偉さが理解できまい。北斎の凱風快晴(がいふうかいせい)という富士の浮世絵があるが、これなど、「天才の仕事」としか思えない。こういう天才の仕事に「画像の改変」なんてことは、恐ろしくて思いもつかない。そのあたり、中国人にはものの価値も理解できない猫頭(ネコアタマ)で結構なことだ。あぁ、天才北斎の凱風快晴を添付しておこう。