▲日本人という民族は、英国の産業革命に約100年遅れて、19世紀後半に「明治維新」というリ・セットを経て、以後、西欧化、自動機械化、富国強兵に邁進した。
産業革命に100年遅れか。
確かに、日本人は、間抜けなノロマな民族ではある。
産業革命の起きた英国は、ユーラシア大陸の西端、日本は東端か。距離からいえば13000キロくらいかな。
この距離が、100年遅れの直接の理由だろうな。
あぁ、話はそれるが。
総合誌で石原さんが、白人支配が終わった—とかの文章を書かれていて興味深かったのだが、なにか微分積分などの発見とかに拘った記述がされていて、ちょいとな、と感じた。
微分積分の発見が世界中のアチコチでなされていた—という個人の業績を指摘されていたのだが、それは世界のどこにでも天才が生まれるということでしかあるまい。
筆者が英国人に一目おくのは、自動機械化をなしとげた—という点だ。
そして、それを産業に利用しえたという点でだ。
自動車のエンジンをみていて、なぜ、とまらないのだろう、なぜ連続運転が可能なのだろう—とその不思議さ、玄妙さに驚かされないか。
そりゃ、まぁ理屈は分かる。でも、理屈が分かることと、その現物が目の前に存在していることは違う。
こんなものを最初に作り上げた人間って凄いと感じる。
その驚きが、筆者の中で、英国人への・白人というものへの尊敬に繋がっている。
結局、日本人は独自では「エンジン」というものを作り得なかった。
そして、産業の中で自動機械化ということができなかった。
100年という期間、この自動機械というものが存在しているかいないか—で大きな富の蓄積の差となっていったのだろうな。
上で、日本は100年遅れて出発した—と書いた。
明治の始め頃の日本の売り物ってなんだったのだろう。
農産品とか、繊維のようなものかな。
ただ、日本人という民族の特徴は「識字率」か。
江戸時代で70%あった。
要は「頭で勝負する」というのが、明治の始めからの日本・日本人の方針だったのだな。
以下、韓国の新聞から抜粋。
「戦犯」という表現が見当たらない市ヶ谷記念館
東京にある日本の防衛省には、「市ヶ谷記念館」がある。
第2次世界大戦当時、旧日本軍の大本営陸軍部が置かれた陸軍士官学校1号
館を防衛省が1998年に移転、復元した建物だ。
敗戦後に東京裁判が開かれた歴史の現場でもある。
同記念館は、東京裁判を否定する広報館だった。
講堂にはA級戦犯として終身刑を受けた梅津美治郎と荒木貞夫の軍刀が展示されていた。
軍刀が
展示されている場所は裁判官席があった場所だ。
荒木は、東京裁判で終始侵略戦争を合理化する発言を繰り返し。
展示には顔写真と共に「軍刀」という説明があっただけで、「戦犯」という表現はなかった。
講堂の右側には1945年8月15日朝に割腹自殺した阿南陸軍大将の軍服が展示されている。
案内員は「阿南大将が自殺当時着用していた
軍服は、靖国神社の展示室に展示されている」と説明した。靖国神社には展示室がある。防衛省には阿南の碑石もある。
山下奉文陸軍大将の手紙もここでは誇らしい遺物だ。
家族から寄贈されたという説明があるだけで、山下が民間人虐殺をめぐる裁判で死刑に
なったという記述はなかった。
A級戦犯として死刑になった東條英機が使っていた
印鑑は2階に展示されている。
大戦当時の日本軍の勝利を描いた絵も至る所に掲げられていた。
インド人のラダ・ビノード・パール判事の写真と判決書が展示された
コーナーで、案内員は「国際法の専門家であるパール判事は『戦争責任を問い処罰するのは不当で、
国際法的に大きな混乱を招く恐れがある』として、全員無罪を主張した」と紹介した。
案内員はまた、
「パール判事は裁判内容が誤って伝わり、日本人は自虐思想の素材になりかねないと懸念した」
とも語った。
記念館の歴史を説明する映画では、侵略戦争を反省する内容は全くない。
第2次世界大戦
当時、昭和天皇が白馬に乗り、軍人を査閲する場面が登場する。
記念館は自衛隊員にとって必須の見学コースだ。
講堂の壇上には帝国主義時代の天皇が
座った場所を示す「玉座」という案内板があった。
記念館の2階には裕仁日王が休憩した場所も
復元してある。
裕仁日王が陸軍幹部と共に撮った写真も掛かっていた。
作家の三島由紀夫が1970年にこの建物に乱入し、天皇による統治復活のためのクーデターを訴え、
割腹自殺した跡も2階の展示室にそのまま残っている。
案内員がドアの傷を指し、三島が乱入当時に
振り回した日本刀によるものだと説明すると、観客は先を争うようにシャッターを押した。
東京=車学峯(チャ・ハクポン)特派員
▲補足、感想など
この記事って面白い。
日本人からすると、韓国人ってかわいそうな民族ではある。
みずから誇るべき歴史も伝統もない、自分で自国の独立を勝ち取ったということもない。
ただただ、日本人相手に「開けイアンフ」なるおまじない—ばかりを唱えている。
朝鮮半島では、20世紀初頭で識字率2%だものなぁ。
文化も伝統もなにも生まれはしない—その直接の原因は、12世紀まで、シベリア奥地で魚とか獣をとって暮らしていた人達だからだろう。
これが核心なのだろう。
中国人は、冒頭でふれた英国の産業革命に200年遅れ、韓国人に至っては500年遅れだ。
この「産業革命に○○年遅れる」という真の意味が理解できるだろうか。
世界の最先端から「○○年、遅れる」ということだ。
日本はまだ、100年遅れだから、なんとかノロマなりに、100年先行組に追いつけたのだ。
中国は日本から比べると100年遅れ、韓国は400年遅れだ。
これだけ、遅れるともう最先端に肩を並べるということが不可能なのだろうな。
その部分に、このところの韓国・中国からの日本への攻撃の「原因」があるような気がする。
また、「○○年遅れる」という意味は、技術的な意味ではあるが、それはまた「富の蓄積の差」として顕在化する。
先の太平洋戦争での日本軍の敗北は、100年先行組と100年遅れの日本との技術的な差であったが、同時に「富の蓄積の差」であり、これが敗北の原因の比率として大きかったものと思える。
今、新聞での中国・韓国からの日本への攻撃の内容をみていると、
中国が日本から100年遅れ、韓国が400年遅れ—という事実を無理やり糊塗しようとしているとしか見えない。
日本は、異民族からの支配を受けたことがないし、また、負けなれしていないから、中国・韓国などという「日本から数百年遅れの大ノロマ国」からの攻撃を、日本在住の朝鮮系洗脳工作員達からの扇動もあって、うまく無視しきれていない。
しかし。
もう、戦後レジームも崩壊した。
日本にいる朝鮮系洗脳工作員達からの日本人への扇動・洗脳工作の効果も薄れてきた。
日本は韓国・中国という「大ノロマ国」からの捏造された攻撃など、無視すべきだ。
上の記事にある韓国からの「戦犯よばわり」なんぞ、放っておけばいい。
19世紀当時、識字率2パーセントの韓国、5パーセント程度の中国なんて、日本人の70パーセントという数字と比較してみよ。
彼らは、遅れるべくして遅れた国家・民族なのだ。
彼らからの攻撃など、放っておけばいい。