▲元慰安婦と自称する人達の話を聞いて、いつも違和感を感じる。
それは。
人間って、生きるためには、食事をとらなくてはならない、どこかに宿泊する必要があるだろう。
また、どこかでお風呂にも入らなくてはならない。
そういう細かい生活した部分の話が抜けているのだ。
そして、仮に日本軍が扱っていた—というなら、日本軍が食事の用意をして、日本軍兵士がお風呂を焚いて、宿泊所の寝具などの用意をした--とでもいうのか。
慰安婦の面倒を見る部署とでもいうべきものが、日本軍という組織の中にあったとでもいうのか。
こう、考えると、もう慰安婦達の証言なんてとんでもないホラ話ではないか。
以下、新聞から抜粋。
中国・華声在線は、「湖南省の慰安婦が死去、慰安所は地獄だったと証言」と題した記事を掲載。
昨年11月に亡くなった譚さんは1928年、現在の湖南省益陽市欧江岔鎮で生まれた。
1944年6月、日本軍がやってきて
12才から65歳までの女性を全員、強姦または輪姦した。
隣家の15歳と12歳の姉妹も8人の日本兵に輪姦され、12歳の妹は悲惨な死を遂げた。
16歳だった譚さんも26歳の叔母
も65歳の祖母も、みな被害に遭った。
その後すぐに譚さんと叔母、同級生ら30数人が日本軍の「慰安婦」にさせられた。
慰安所では日本兵たちの獣欲のはけ口となり、
1日少なくとも7~8人、多い時で10数人の日本兵の相手をさせられた。
譚さんは最多で1日に16人の日本兵に蹂躙された。
譚さんは戦後も感情が抑えられなくなり、泣きだした。
「慰安所はまるで地獄だった。睡眠もままならなかった。
昼夜を問わず、日本兵たちはやってきた」と語った。
慰安所に入れられて半月後、譚さんは釈放されて家に戻った。
だが、その後も1945年8月に日本軍が降伏するまで何度も日本軍
に連行されたという。
▲補足、感想など
いや、だからどこで輪姦したのだ?
そのへんの野っ原で?
慰安所って、食事はどうしていたのか。寝るところは? 寝具はあったのか?
お風呂はどうなっていたのか?
報酬はどうなったいたのか。
冒頭でふれた。
人間として生きていくためには、食事をとって、睡眠をとって—という日常の生活が必要だ。
そのためには、食事を作る人も必要だし、食事をつくる道具、燃料も必要だ。当然、食事を専門につくる人もいたろう。
寝るためには、建物が必要だし、寝具とか、着る服も必要だ。
アカまみれの慰安婦というものもいないだろうから、当然お風呂に入ったろう。
そういう入浴の設備はどうなっていたのか。お風呂をたく燃料はどうなっていたのか?
また、慰安所の管理は誰がしていたのか。
なにか、上の記事では、そういう具体的な部分がふっとんでいる。
まぁ、はっきり言って、「虚言症」なのだろうな。
日本の吉田なんとか—という人と同じだ。
まるで「ウソを本当のように」しゃべる人なのだろう。
虚言症の患者の言うことを信じて、日本を非難するか。
もっと、キチンとした証拠を出せ。
そんな「虚言」で、日本人を騙せるものか。