2014年8月18日月曜日

慰安所は地獄だった—と中国人。

元慰安婦と自称する人達の話を聞いて、いつも違和感を感じる。
 それは。
 人間って、生きるためには、食事をとらなくてはならない、どこかに宿泊する必要があるだろう。
 また、どこかでお風呂にも入らなくてはならない。

 そういう細かい生活した部分の話が抜けているのだ。
 そして、仮に日本軍が扱っていた—というなら、日本軍が食事の用意をして、日本軍兵士がお風呂を焚いて、宿泊所の寝具などの用意をした--とでもいうのか。

 慰安婦の面倒を見る部署とでもいうべきものが、日本軍という組織の中にあったとでもいうのか。
 こう、考えると、もう慰安婦達の証言なんてとんでもないホラ話ではないか。

 以下、新聞から抜粋。

 中国・華声在線は、「湖南省の慰安婦が死去、慰安所は地獄だったと証言」と題した記事を掲載。  昨年11月に亡くなった譚さんは1928年、現在の湖南省益陽市欧江岔鎮で生まれた。
 1944年6月、日本軍がやってきて 12才から65歳までの女性を全員、強姦または輪姦した。

 隣家の15歳と12歳の姉妹も8人の日本兵に輪姦され、12歳の妹は悲惨な死を遂げた。
 16歳だった譚さんも26歳の叔母 も65歳の祖母も、みな被害に遭った。
 その後すぐに譚さんと叔母、同級生ら30数人が日本軍の「慰安婦」にさせられた。

 慰安所では日本兵たちの獣欲のはけ口となり、 1日少なくとも7~8人、多い時で10数人の日本兵の相手をさせられた。
 譚さんは最多で1日に16人の日本兵に蹂躙された。

 譚さんは戦後も感情が抑えられなくなり、泣きだした。
 「慰安所はまるで地獄だった。睡眠もままならなかった。
 昼夜を問わず、日本兵たちはやってきた」と語った。

 慰安所に入れられて半月後、譚さんは釈放されて家に戻った。
 だが、その後も1945年8月に日本軍が降伏するまで何度も日本軍 に連行されたという。


▲補足、感想など

 いや、だからどこで輪姦したのだ?
 そのへんの野っ原で?

 慰安所って、食事はどうしていたのか。寝るところは? 寝具はあったのか?
 お風呂はどうなっていたのか?
 報酬はどうなったいたのか。

 冒頭でふれた。
 人間として生きていくためには、食事をとって、睡眠をとって—という日常の生活が必要だ。
 そのためには、食事を作る人も必要だし、食事をつくる道具、燃料も必要だ。当然、食事を専門につくる人もいたろう。

 寝るためには、建物が必要だし、寝具とか、着る服も必要だ。
 アカまみれの慰安婦というものもいないだろうから、当然お風呂に入ったろう。
 そういう入浴の設備はどうなっていたのか。お風呂をたく燃料はどうなっていたのか?

 また、慰安所の管理は誰がしていたのか。
 なにか、上の記事では、そういう具体的な部分がふっとんでいる。

 まぁ、はっきり言って、「虚言症」なのだろうな。
 日本の吉田なんとか—という人と同じだ。
 まるで「ウソを本当のように」しゃべる人なのだろう。

 虚言症の患者の言うことを信じて、日本を非難するか。
 もっと、キチンとした証拠を出せ。

 そんな「虚言」で、日本人を騙せるものか。