▲なにかというと、akb48についてのコメントのことだ。
麻生さんの言いたいことの骨子は、例えばヨーロッパにおける「エリート主義」と、日本でみられる「その他大勢主義」との比較だと思えるのだが、その解釈がはずれてきているようだ。
こういう風に導いて、で、どうしたいのだ?
以下、抜粋。
「AKBには1人では一級品はいない」という麻生副総理の発言が、広がりを見せている。
「講演会で、麻生さんは『日本人は体格的には劣位でも、まとまったときは間違いなく強い』というたとえとして、
なでしこジャパンAKB48を上げた。
『一級品はいない』直後に『まとまったらいい』と付け加えています」
ただ、麻生氏はこう“ダメ押し”している。
「プロポーションもいい、歌もいい、顔もきれいと、みんな言う。しかし、“せーの”でまとまったら必ずAKBだ」
微妙な表現である。
「麻生氏だけに『またか』と問題視する向きもあるにはありました。
でも、経済再生、地方の活性化をテーマにした話のなかで、ユニットとして人気を誇るAKBに日本の底力を見たと、
麻生氏なりにAKBを評価していることは伝わり、『たまにはいいことを言う』と支持する人が多かった」
とはいえ、「一級品はいない」と言い切られて、関係者たちはどういう思いなのだろうか。
芸能プロ関係者はこう解説する。
「彼女たちはアイドルとして選ばれ、AKBのメンバーだから人気があるわけ。
1人の芸能人として特別優れているわけではなく、それは当人たちも自覚しているはずです」
実際、卒業していったメンバーたちの苦戦は続いている。
「sが関わっていたアパレル会社が破綻して騒がれ、女優に転身したoはもっぱらoとの熱愛が話題になるだけで、
仕事の方はAKB48時代の人気に相応しい成功は収めていません。
oが女優としてどこまで伸びるかは未知数ですが、 トップに立つのは生き残るのも並大抵ではありません」
麻生副総理の鼻を明かす一級品の出現が待たれる。
▲補足、感想など
ヨーロッパの科学技術などの進展に行き詰まりが見えているのは、階層社会とそれをベースにしたエリート主義というものが原因であろう。
エリート主義に対比されるものは、日本での「その他大勢主義」とでも言うべきものか。
この理屈をもうちょいと数字で表現してみようか。
ここにヨーロッパのある国があって、10人の国民がいる。
対して、日本は同じく10人の国民がいるとする。
エリートというものは、どんな国どんな民族でも数%存在している。
ここでは、ともに2人としよう。
エリートだから、当然能力は高い。ヨーロッパでは10点満点中8点としよう。日本は7点だ。
問題はエリート以外(要するにその他大勢ということ)だ。ヨーロッパでは4点ぐらい、日本では6点としようか。
これで、能力の総合点はどのくらいだろう。
あ、ヨーロッパ 8✕2人=16 4✕8人=32 合計 48
い、日本 7✕2人=14 6✕8人=48 合計 62 ぐらいか。
これが、日本とヨーロッパとの違いであり、「差」なのだ。
いい加減な数字を当てはめて妙な結論へもっていくなよ--てな言葉が聞こえそうだが、そうピントの外れた推論でもあるまい。
上の推論をみて分かるように、エリートだけを比較すれば日本は負けてしまう。
でも全体をみていると、ヨーロッパに10点以上の点差をつけて勝つ。<その理由は上の推論で分かるように、その他大勢の人達のレベル・能力の高さだ。これこそ、麻生さんが指摘したかったことだ。まぁ、ついでながら、ヨーロッパの人達が日本人と真っ向勝負しても勝てないな--と感じている理由でもあるのだ>
ここで対比しているのは、「エリート主義」と「その他大勢主義」だ。
それは、また、上の例示で分かるごとく、ヨーロッパと日本との違いであり、また欧米の芸能人と日本のakbを比較する場合に利用してもそうおかしなことでもあるまい。
だから。
決して、akb
を貶(おとし)めている発言ではない。
「その他大勢主義」こそ、日本の生きる道だと麻生さんは言っているのだ。