2013年5月20日月曜日

「私が証拠だ」は、証拠ではない。慰安婦騒動。


▲慰安婦という名称は、職業上の名称だ。
 売春婦という言い方では余りに露骨だ—というので、多少言い方を変えたものだ。
 「売春婦募集」ではちょっと引くであろう。そこで「慰安婦募集」としたものだ。

 ところで、元慰安婦だったというおばあさんが、私が証拠だ—とかいう。
 証拠?
 若い頃、慰安婦だった—まぁ、余り声高にいうことではないとしても、元、こういう仕事をしていた--という意味なら問題はあるまい。
 私は慰安婦だった。---ふ~ん、そうですか--としか、こちらはいいようがない。

 で。
 私が証拠だ—とはなんの意味だろう。
 論点は、「強制されたのか、どうか」--ということか。
 私が証拠だ—というのは、「私は強制的に慰安婦にされた」--という意味なのか。

 さて。
 私は慰安婦だった--
 別にご自身でいうのだから、そうだったのでしょうね--としか答えられない。

 では次に。
 「私は、強制された慰安婦だった」「私が証拠だ」--と言われれば、それは「そうですか」とは答えられない。
 じゃ、その「強制された」という部分の「証拠」を示せ—ということになる。
 私が証拠だ—は、ちっとも証拠ではない。

 以下、新聞から抜粋。

 日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長と韓国人元従軍慰安婦金福童さん(87)と吉元玉さん(84)が、 沖縄県西原町と広島県福山市でそれぞれ集会などに出席した。
 金さんは「自分の娘を(慰安婦として)送ることができるのか」と憤り、 吉さんは「暴言を吐いてはいけないと伝えたい」と話した。

 沖縄県で講演した金さんは、十四歳で従軍慰安婦になり、 中国やインドネシアなどの前線を旧日本軍と転々とした経験を話し、橋下氏の発言を「妄言」と批判。
 「過去の歴史を変えることはできない」と述べた。

 会見した金さんは、強制連行について「血の涙がにじむ経験をした本人がいるのに、 どうして証拠がなかったと言えるのか。
 それ以上の証拠があるのか」と語気を強めた。
 吉さんは、福山市内での講演会で、 平壌に住んでいた十三歳の時に「工場で稼がせてやる」とだまされて連れ出され、 ハルビンなどの慰安所を転々とした経験を語った。

 日本の政治家から相次ぐ従軍慰安婦に関する発言については 「被害に遭った人間がまだ生きているというのに、ひどいことを言うのは聞くに堪えない」と訴えた。

▲補足、感想など

 だから。
 彼女達のいう言葉のどこが「強制された」証拠となるのか。
 --十四歳で従軍慰安婦になり--って。

 本人の意志でなければ、彼女の親と女衒業者の間で、「年季奉公」の契約がなされた—ということであろう。
 悪くいえば、親が子供を女衒業者に「売り飛ばした」ということであろう。
 もう一人の証言は。
 --十三歳の時に「工場で稼がせてやる」とだまされて連れ出され、--というのも、上の女性と同じであろう。

 でなければ、若い女性の「誘拐事件」ではないか。
 誘拐事件で、親が警察にいわないわけがあるまい。
 当然、「誘拐事件」として大騒動になる。

 その時、「大騒動にならなかったのは」、親と女衒業者の間での契約だったからだろう。
 要するに、両人とも、親が娘を女衒業者へ「売り飛ばした」という例ではないか。
 親とすれば、別に殺される訳ではない。何年かすれば、年季奉公も明けるのだから—と考えたものだろう。

 これのどこが、「強制された慰安婦」なんだ?
 これのどこが、「私が証拠」なのだ?
 合理的な説明になっていないではないか。

 まぁ、親が娘を「売り飛ばす」という不幸な例で、気の毒とは思うが、「強制連行」の証拠ではない。
 そもそも元慰安婦のおばあさん達は「強制」という意味を明確に理解していないのだろう。