2013年5月14日火曜日

慰安婦問題の核心はなにか?


▲慰安婦という存在を考えるとき、日本人とアメリカ人との宗教の違いが根底にあるような気がする。
 仏教は日本に入ってから、一層緩くなり、宗教家の「肉食妻帯」を認めることとなった。
 そういえば—と思う。
 有名な一休さんは、妻帯どころか、まことに放埒無頼な暮らしをしていて、それでもなお一流の宗教家なのだ。

 どこに核心があるのだろうか。
 日本人の場合、「形じゃないんだ」「格好じゃないんだ」--ということなのだろうな。
 外国から入ってきた宗教(ここでは仏教だが)、日本人の感性にあうように「魔改造」してしまったのだろうな。
 それが、浄土真宗等というものに結果的になってしまったのだろう。

 このあたりだな。
 人間のもつ本能-例えば、性欲など—を肯定的に捉えるようになった。
 それが、たとえ戦場にあぅたとしても、「性欲」がなくなる訳がないじゃないか--。ならば、慰安婦というか売春婦を戦場まで連れて行こう--とそれを肯定的に捉えることとなった。(誤解のないように付言するが、日本軍が連れていったものではない。日本の民間の女衒業者が主として朝鮮系の女性をはるばる南方まで連れてきたものだ。日本軍はそれを上でいうように「若い男ばかりなのだ。致し方なし」と許容したということであろう)

 対して、キリスト教の場合、カトリックの神父は妻帯が認められず、プロテスタントの牧師が妻帯が認められている。
 ただ、キリスト教の場合、仏教と較べて、非寛容で、軍人などの例では、日本軍のような慰安婦を連れていく—という発想がそもそもないようだ。

 はっきり言えば、「性欲というものを否定的にとらえている」「本能というものを宗教を背景にした縛りでむりやり押さえつけている」ということなのだろうな。
 そこに無理があるから、米軍の基地の周辺で強姦事件などが発生する。

 そこに人間として無理しすぎではないか—と日本の橋下市長が発言すると、アメリカから意外な反応が返ってきた--

 以下、新聞から抜粋。


 橋下大阪市長が旧日本軍の従軍慰安婦を容認する発言をしたことについて、 米紙ニューヨーク・タイムズは13日、発言の内容と、日本国内や韓国政府高官からの 批判を東京発で報じた。
 AP通信も同日、「戦時中の性奴隷は必要だったと大阪市長」との見出しで伝えた。

 ニューヨーク・タイムズは橋下氏について、将来の首相候補とみる人もいると紹介。
 橋下氏の発言は国会議員や人権団体から直ちに非難されたと伝えた。

 安倍晋三首相が「侵略」について「どちらから見るかということにおいて(評価が)違う」と述べたとも指摘し、橋下氏の発言は、第2次大戦中の歴史が歪曲されているとする日本の政治家 による一連の発言に連なっていると位置付けた。

 
▲補足、感想など

 どこらあたりが核心なのかな。
 アメリカで妻帯を禁止された神父さんが、時々、どんでもない「性的事件」を引き起こしてニュースとなる。
 これなど、「人間として無視をしすぎ」なのだろう。

 ただ、キリスト教のもつ「縛り」が、「本能としてもつ性欲」を肯定的にとらえてはならない—と世間というか一般人が考えるのだろうな。
 だって、アメリカの建国の祖は「清教徒達」だぞ。
 うかうかと、「性欲を肯定する」という具合に動かないのだろう。

 日本の場合は、一休禅師のごとく、肉欲だろうが肉食だろうが、すべてを「肯定」し、その上で「精神の高み」へ昇りつめればいいじゃないか—という、なんというか、教条的ではない、格好ではない、形にこだわらない—そういう先達がいるからであろう。---まさしく、仏教の魔改造ではある---

 だから。
 日本人は本能というものに、性欲というものに「肯定的」なのだ。
 アメリカ人は、清教徒の末裔達であり、格好にこだわる、キリスト教の戒律にこだわるのだ。米軍という仕事の前であれば、「当然、性欲は抑制できる筈」とか思うのだろう。

 その清教徒の末裔という視点からすれば、日本の慰安婦達を肯定することができないのだろう。(建前からすれば--
 そこで、慰安婦を「性奴隷」か。
 まぁ、馬鹿馬鹿しい—人間の本能を無視したような、教条的な視点だな。

 そこで。
 橋下さんは、米軍に向かって、「無理するなよ--と発言したものだ。
 日本人からすれば、当たり前というか、常識的な発言だろうな。

 対するアメリカ人がいう「性奴隷」なんて、馬鹿馬鹿しい発言でしかない。